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文章欲
徒然なるままに日々の雑感をば。
長めの文章書きたいと思って久しい。多分もう5年ぐらい経った。自身の言い憚るべき性質として、やりてぇな…と思ってから取り掛かるのがとにかく遅い点がある。動かざること山の如し。
コンタクトにしてぇな…と高校生の時思って実際買ったのは10年後とかである。鈍牛である。
急を要さないし別になくても困らないからケツに火がつかない訳である。文章書かなくても死なないし、コンタクトにしなくても死なない。
死ぬまでの急要し具合なら流石にやるだろうけども、先延ばしにする間、月の給料1マン減るよ、と言われてもやらない可能性ある。金を軽んじている所もある。恐ろしいよこれは。動かざること山の如しは強い意志の形容であるべきです。惰性の形容でなく。
なぜ文章を書きたくなったのか。
自分でも解せない衝動ですが、定期的にそれはやってくる。Twitterをやってんのも根を同じにしている欲求であろうと思う。でもTwitterは140字という制限があり混沌とした物思いを書き連ねるにはあまりに窮屈な訳である。収まらねぇ訳です。大抵のことは140字に。
しかしながら140字以内というレギュレーションがまたTwitterの魅力でもある訳で、あれは競技性が高い。ルールの枠あるからスポーツやらゲームは競技性維持し、おもろくなる訳で、制限の中での表現もまた、スキルな訳である。短歌とか決まり事がある表現もそうか。
帰ってこい、話題。
何故文章を書きたくなったのか。
まさしく今この堂々巡りの文章が示しているとおり、この堂々巡りの混沌をなんか吐き出したい訳である。公にしている以上共感者がいたら嬉しいな、という下心もある。ちびっと。
しかしながら、何よりもこの混沌をとにかく吐き出したい。それに尽きるように思う。
まがりなりにも楽曲を作って人前でわざわざ歌ったりしてるもんだから、混沌を吐き出すカタルシスを知ってしまっている。そのカタルシスが脳の構造を既に変えてしまっていてもう修復不可なんだと思っている。生まれながら持ち合わせて業の可能性も否定できないが。
やすやすと逃げ出せない呪いだから。というのはカラーコード先生である。
混沌を吐き出すこと、それによって素直になるざるを得なくなる。よそ様に自身の恥部含め全部をさらけ出しちまったらそれはもうウソはまかり通らない。ウソが通らなくなれば、ありのままで挑まざるを得ない。全裸になるわけです。
自分自身に素直であることはとても困難だが、とてつもなく気持ちがいい。
人間は自分自身に素直であってそれに従い生きることを普遍的に希求していると思っている。ワタクシの信条として。
それ故に中央集権的な社会主義はいつも破綻すると思っている。経済だけ資本主義を取り入れたとしても、だ。
余談すぎて話がキケンな流れになってしまいそうなのでやめる。
以上のことから、文章書きたい欲求に素直である為、書きたくなったら惜しみなく我が恥部をここ10年で肥大しまくったネットの海に放流しようと思う。
現実における下水も次亜注入したり浄化のうえ放流しているので、私が垂れ流した恥部もどっかから次亜的なもんが流れてきてクリーンにしてくれる事を願っています。
子供じみた心がまだまだ心臓の小さな部屋に宿ってて手に負えないです。
https://music.apple.com/jp/album/all-the-young-hopes/1576299580?i=1576299594