忘れかけてた心のゴミ捨て
なんとなく気持ちが重いとき。
少しのことなら放置してしまいがちだった。対処するために動くことすら億劫だったりもしたし。体力が落ちたのかなぁとかホルモンバランスが悪いのかなぁとか、適当な理由をつけて。
「だったら動いても仕方ないよね」と思わせて、なんとなく重たいままでいさせる。
本当に体調もイマイチなのかもしれないが、そういうときっておそらく体を理由にするにはあまりにも表面的すぎる。
自分の中にある「自分をいじめてしまう悪魔」が、心の中の「本当のこと」にたどり着かせないようにしている。
「自分をいじめてしまう悪魔」と言うと害しかないようにも思うが、ただただ自傷癖があるわけではなく、それなりの理由がある。
新しい物事に取り掛かるときや変化に身を投じようとしているとき、危険な目にあったり不用意に傷つくことがないよう、ブレーキをかける役割がある。恐怖心を忘れ、好奇心のままに「I can fly!!!」と飛び降りれば、当たり前だが無事では済まない。ある意味、本能で止めにかかっているのだ。恐怖は本能。
とはいえ、なんてことないときにまでいちいちブレーキをかけられてしまっては鬱陶しくてしょうがない。
私、最近この悪魔を丁寧に対処することやってなかったわ、と気付いた。
もやもやした気分のまま、どうにか気分が上がることをやろうと、普段自分が楽しんでやることを先に取り掛かっていたのだ。
楽しいことをやって気分をあげるのはこの上なく素晴らしい!
けれど、もやもやに蓋した状態で気分上げようと躍起になっても大して上がることはない。天井が低い部屋でトランポリン使って飛んでも、天井が邪魔してしまうだろうってお話。
いつの間にか、「本当にまだ対処するまでもないくらい些細な気分の悪さ」をどんどん積み重ねて、そして「まだこれくらいなら大丈夫」という尺度もどんどん麻痺していってしまっていたんだなぁ。
と、改めて思ったのが今日!
スーパーで買い物して、半額のお寿司やおいしそうなお惣菜買ったのに、ものすごく疲労感がすごかったし、なんか物悲しかった。
「楽しく食べなきゃ本当にこのお金無駄にするじゃん……」とシャワーを浴びつつ落ち込んでたら、そういえば!と気付いた。
動機は小さすぎるけど、大事なこと。
ここまでひとつひとつ丁寧に自分の気持ちと向き合ってこなかったから、調子悪かったのか……
何をやるかと言えば至極簡単なもので、いらない紙に思っていることを書き出すのである。どんなに悪口だろうが、どんなに脈絡のないことだろうが、何回同じ言葉を書こうが。最初はつっかえながら言葉を出していくが、そのうちトランス状態でも入ったのかというほどに、すらすらと胸の内を曝け出していく。
私の場合は大概ひどいことばかり書いているので、「呪詛写経」と言っている。
軽いうちに取り掛かると、5分もやっていれば言葉は出尽くす。さらに私はその紙を思いっきり細かくちぎって捨てる。そうやって心のゴミを捨て、キャパシティを広げていく。
こうして私は心からおいしくお寿司をいただいたのだったw元は800円のパック寿司なんだけれど!
今日は特に面白くて、気分が悪いときにはリアルでも気分悪くなるところから連絡が来ていた!そして呪詛を書いて寿司を食べたあとに、ふと普段貯めてるポイントを確認するとありえないポイント数が増えていた。
精神と現実のリンクが!早すぎる!!!
丁寧に向き合うことを、やっていたつもりで全くできていなかったというお話。
しんどくて何もやりたくないってときでも、心の断捨離だけは欠かしちゃいけないかもしれないね。「やっても仕方ないよ体の調子だから」の声に、耳を傾けすぎずに。