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堂々と便利を享受する

 えへへ。
 スマホで長々とした文章を打つのが苦手な私、ようやくキーボードを手に入れた。
 ちょっと不便な場所にあるデスクトップパソコンを立ち上げて長時間地べたに座らずとも、これからはタブレットをぱっと開いてすぐ文字が打てる。こたつに入りながららくらくできるし。気分が軽い。パソコン自体も少々古くて動作ももっさりしてきていたし、余計に。で、今回はそのテスト。
 3coinsで1500円で売ってたので衝動的に買っちゃったけれど、まぁ動作はさほど問題はなし。今はAndroidタブレットに繋いでいるからか、キーの操作がいろいろ変わっていたりするけれど、それは慣れるしかないな。この安さなんだから、あまり文句は言えますまい。

 快適な環境に投資を惜しまないのは大事なことだ。

 効率化とか生産性によるコストパフォーマンスなんかもよく言われているが、ただ単に気分をよくするだけ、というのも重要だと思う。趣味で楽しむための行動とはいえ、それでストレスをためてしまっては意味がない。特に私のような「気分がいいことが大概の状況を好転させていく」と思っている人種にとっては。
 しかし、その快適さを手に入れることをよしとしない人も数多くいる。(ケチな私も自分自身の投資だけは惜しむことが多いけれど)苦労してこそナンボ、だとか、昔はそんなものなかったのに、だとか。苦労なんてどんな場面でも0になることなんてないのに、そんな無用なことで神経をすり減らしたくなんてない。便利さがなくて苦労した自分の気持ちをきちんと成仏させることもできないゆえに、人に同じ気持ちになることを押し付けるのも、いささかみっともない。

 世の中のほとんどすべてのことは「人を幸福にさせたい」と願うがゆえのものだ。たまに意図しない形で悪いように使われることもあるだろうが、最初に技術は物、決まりごとを作った人からしたら、そういった純粋な願いからの行動だろう。ならば、存分に利用するのが筋ってものじゃない。そしてさらなる進歩ができるんだから。私自身は、ただ幸福になっていくだけだけれど。そこで不必要に古いものに固執してしまってもなんの意味もない。「進歩や流れを止めて停滞させてしまっても、現状維持もできずに後退していくだけだ」ということは、この1年で一般人でさえも嫌というほど学んだだろう。

 さて、少しこのキーボードにも慣れてきたところでテストとしてはこんなもんでいいかな。いい話題にもなってよかった。私のようなものぐさな人間は、便利になれるとまたすぐサボる方向になっていくのも十二分にありえるからね。今使ってる充電式の乾電池も、そろそろテレビのリモコンに戻さないと。あれ?実はお気軽noteへの道はまだまだ思った以上に遠かったりして。何気にアルファベットの変換も、ちゃんとは理解できてないし……

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