感受性の欠落を感じたお話 『成瀬は天下を取りにいく』
タイトルの通り、自分の小説の読み方に疑問を覚えてしまった雨の日。
話題の新星のデビュー作を読んでみた。
幼い頃から、能力、性格、行動で周囲を寄せ付けなかった少女、成瀬あかり。その彼女が高校を卒業するまでの足跡を描いた物語。
独自の行動理念を持ち、思いついたことはとにかく実行してしまう成瀬は、中学2年生の夏を8月の終わりと共に閉店する西武大津店に毎日通ってみたり、親友の島崎を巻き込んでM-1グランプリに出場してみたり、突飛な思いつきをずば抜けた実行力で実現していく。
その淡々とした姿が共感を集め、何か大きなことが起こっているわけではないのに、これも間違いなく青春のかたちであると絶賛された。
……らしい。
正直、その面白さはあまりよく分からなかった。
とても読みやすく、ある程度は引き込まれて没頭できたのだけど、読み終えただけに終わってしまった。
確かに成瀬というキャラクターは面白い。潔い話し方も、整然とした理念も、目的への一貫した姿勢も、どれもが清々しく心地いい。
だから、最初は彼女の思考や行動を楽しめばいいんだなと思っており、導入はうまく行っていた。それが途中から割とはぐらかされるようになり、消化不良で終わってしまった。成瀬自身の深掘りがされず、どことなくラノベでよく見る天然無双のテンプレ感だけが残された感もあり。
深掘りがされなかったのは、彼女に関わる人々が知らず知らずに影響されているというエピソードを連ねていくことで、成瀬あかりという人物の輪郭を鮮明にしていく構成だったから、というのは分かった。
でもそれが彼女の理解できたという実感につながらなかったし、そのために物語の楽しさを感情にまで落とし込めなかったのだ。
単純に向いてなかっただけなのかも知れない。世の中の物語の全部が全部、曇りなく楽しめるなんてことはない。それも知っている。何度も経験してきたことだ。
それにしても、ここまで評判になっている、しかも自分の好きだったはずの青春要素を含む小説が、こんなにも響かないというのは納得できないというか、不安になってしまう。
特に最近は小説なんてほとんど読むこともなくなっているから、もっと新鮮に楽しめてもいいはずなのに。
物語と噛み合ったと思えた瞬間もあったのに、そこから踏み込むことができなかった。
そこにあるはずなのに、感じられない、手が届かない。これまであまり抱いた記憶のない感想だ。
そんなわけで、読了後、最初に思ったのが冒頭の感受性が腐ってしまったんじゃないかということだった。
向き不向きとか以前に、面白いものを受け取るアンテナがポッキリ行っちゃってることを疑うべきなんじゃないかと。
あれ、小説ってどうやって読んでたっけ? どう楽しめばいいだっけ? と根本的な部分から揺らいでしまった。
やはり脳も心も使っていない部分は鈍麻する。これはリハビリが必要なんだろうなあ。