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できない方が都合がいい

店頭のメニューをわざわざ持ち上げて見る人は、元あった状態にそれを戻してはくれない説を2年前から提唱している加藤です。
#たまに投げて返す人もいますがあれは相当ブチギレてるのでやめてください
#お会計の時にお金投げてくる人と同義です
#なんで持ち上げるん
#なんでもとに戻さへんの
#なんで関西弁なん
#エセ

期待値の話はその名を直接出さずとも何回かnoteに書かせていただいていて
期待というシステムってほんと良くないなあと常々思っております。
その最たるベクトルは自分への期待でして

自分だったらできるという謎の期待
他の人とは違うんだ
俺にはできる。なんて
そのまま海賊王にでもなってしまうんでないかと思ってしまうほど
鼻息荒く生きた20代もいつの間にかすぎてしまい

暑さと寒さにだんだんと耐えられなくなり、あーなんて人生ってしんどいんだろうと空を見上げ、何かを考えているようで何にも考えていない顔になる30代にもはや片足どころか、気づいたら全身どっぷり浸かっておりました。

できなかったらどうしよう。。。
なんて考えるは、もしかしたら”できない自分”を期待してるんではないかと思っておりまして

まあ、普通に考えたら”できる”自分を期待して怖気付いていると思いがちですが
期待というのは、将来それが実現するように待ち構えることの意味でして、別にポジティブかネガティブかは示されていません。
一般的にポジティブな方で使われるので、皆さんの解釈としてそう思われがちですが、別にネガティブを想像しても”期待”と表現することができます。

できない自分の方が楽だと無意識に思っているのではないでしょうか?
できない方が都合がいいと
できなければ、あとは誰かがやってくれる
できなければ、これ以上仕事が増えることはない
できなければ、諦められる、終われる
なんて思ってたりして

そんなこと思ってないと言われる方もいるかもしれません。
しかし、今ネガティブな感情があることは事実なので
その可能性は完全には否定できませんよね

時間とは残酷なもので、何をしていても平等に経過します。
楽しく過ごしても
イライラして過ごしても
悲しく過ごしても
不安に過ごしても
同じ1秒1分1時間です。その課題に感情を出すことはなんの解決にもなりません。
でも、そんな感情がないロボットのような人は稀にしかいないことも知っています。
その時間は本来はいらないものなんだよっていう解釈ができればいいのかと思います。
結局終わってみれば、なんであの時に不安に思っていたんだろう
っていうオチしかないですから
今不安に思うのは時間の無駄でしかないです。

このクリボーを僕は踏めないかもしれないと思って一向に右スクロールしないマリオなんて存在しないのと同じように
僕らは見えないポール(ゴール)に向かって飛んだり、しゃがんだり、変身したりして前に進むしか方法はありません。


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