わからないから手を伸ばす少年と、知っているから手を引っ込めるおじさん
片方の手でトートバックを肩に担ぎ、もう片方の手をポケットに突っ込んでいる成人男性と、頭にリボンをつけている成人女性がすこぶる苦手な加藤です。
#大抵その男性はジャージ
#大抵その女性の髪は長い
#めちゃくちゃ偏見
怖いという感情が歳をとるにつれてなくなってきてるなと思っている今日この頃です。
どこかで読んだ本の中で、恐怖や不安といったネガティブな感情は、因数分解すると解決することができるといった内容が書かれてあって
例えば、”学校に行くのが嫌だ”っていう感情をもっと具体的に考えて
授業が嫌なのか、何の教科が嫌なのか、
誰かに会うのが嫌なのか
部活が嫌なのか、部活のどのメニューが嫌なのか
様々な要素があるわけです。
そのどの因数が嫌なのかを見つけて、それに対してどんな解決方法があるのか考える。
そうすると大抵大したことないことで解決しちゃったりします。
大人というのは、それを繰り返し経験しているから怖さがなくなっていくわけで
結局のところ、怖さの大元は”わからない”なんじゃないかなと思っています。
#犯人はお前だ
#真実はいつも一つ
#見た目はおじさん頭脳はピーターパン
#その名も
#加藤諒
子供の頃は、知っているという安全地帯が小さいから、その領域を脅かされぬよう、これ以上小さくならないよう安全を求めて自ずと知らない世界に出ていかなければなりません。
でも、大人の安全地帯は広くて、ここまでは安全だとわかっているから、それより先には手を伸ばさなくなります。
昔も僕は、安全地帯から一歩も出ずに手を引っ込めていた方でした
でも心はピーターパンだったので、安全地帯からそういうチャレンジしていく人たちを見て、羨ましく思っていました。
僕の場合は、運がよく、チャレンジができる環境があったのと、応援してくれる人たちがいたので、踏み出すことができましたが。
正直この一歩目が一番怖いと思います。
わからなすぎて怖いです。
それに加えて、そっから成功したかしないかがわからなくて
メディアに出てこなければ、成功したかどうかもわからなくて
だから、あまりこういう人が世にはびこらないんだろうなと思ったりします。
都会に出て、地方に戻ってくると
より実感できたのが、都会の楽しさです。
いろんなものや、いろんなことが自分のすぐ手の届くところにあって
何でもできるような気がして
チャレンジする熱い人もいっぱいいて
そんな中に自分もいると
頑張ってる気がして
楽しいです。
これをこの地方で実現することの難しさを今身にしみて実感しています。
んー、かなりむずいっす笑
だからこそやる意味はあるのかなと思います。
おじさんが手を伸ばした先に何があるのか
何年かかるかわかりませんが
わかったらお話ししますね