知られていることに意味がある
パインアメを食べると、どうしても一度あの穴から息を吹き出したくてしょうがない加藤です。
#パインアメが1番うまい説
#笛になる駄菓子
#アメちゃん
相手のことを知りたいと思った時に、その人と直接話すことや書籍を買うことをしなくても、現代ではsnsを覗けば簡単にその人がどんな人なのかがざっとわかるようになりました。嘘を含めて。
どんなにそこの街で3人しかいない小学生だったとしても
どんなにそこの中学で成績が良くても
大衆の一部なんだと気づいたのは高校生の時です。
受けて側に任せると意図しない方向に印象付けされること
知られない=使ってもらえないこと
を知ったのは大学から社会人になって気づいた点です。
まずは知ってもらうこと
組織が大きくなればなるほど、分母が増えて当然自分という存在が薄まっていくことは実体験として学びました。
小学生の時は3人しか同級生がいなかったし
中学生の時はクラス20人で2組
高校生の時はクラス40人で5組
大学生の時はもはや数えきれないほど
社会人の時はさらに多く
え?僕のこと知らないの?っていうのはだんだん自分の驕りであったことに気づかされます。
前職で
「予算に関わること全部に顔を出せ」
と言われたことがあります。
僕の仕事はお金関係全般で、お金に絡むものは全部に耳を傾けろという指示でした。
最初はそばでひっそりと存在を隠して聞いてるだけでしたが、最後の方はその話し合いにあたかも最初から参加する予定だったかのようにどっしりと椅子に座ってました。
その頃からだったでしょうか。
以前より直接担当から“これどうすればいい?”という相談が多くなりました。
相手の中に、“僕に相談する”という選択肢を増やすことができたと実感しました。
相手の土俵に入ること
決して相手の土俵で「戦え」と言ってるわけではなく、相手の土俵に“入って欲しい”ということです。
自分を知ってもらう方法は“顔を出す”だけでは少し足りなくて、“知ってもらいたい人がいるところ”に顔を出すことが大切です。
例えば60代-70代の方から支持を集めたいのにYouTubeで宣伝活動してもそんなに意味がないように、知ってもらいたい人がそこにいなければ意味がありません。
もしかしたら相手がいる場所が自分の不得意な場所かもしれません。
それでも“知られている”ことと“知らない”ことには大きな差があることを知ってほしいです。
なんにせよ信用と継続なり
ここで勘違いして欲しくないのは、何でもかんでも自分が目立つように顔を出したり、顔を出したりしなかったりするだけでは意味がないということです。
“知られる”ということの奥に実は“信用されて”知られるというのが存在します。たぶん今回はここがハイライトです。
相手に知ってもらえても、自分に信用がなければあの人を使おうとか、あの人に相談しようとはなりません。
そこに相手が期待できる価値がないからです。
信用は積み重ねるしか方法はなくて、遅刻しないとか、お願いされたことを必ずやるとか、ほんの些細なことです。これがまた地味な作業ですが、ここが1番大事なことです。
ドラクエで言うと、メタルスライムを永遠と倒してレベル上げしてる場面です。
#違うか
そしてもう一つ、顔を出すことを一過性にしないことです。一度だけ顔を出したり、気分が乗った時にだけやるのでは全く意味がありません。“常にそこに自分がいる”状態を作っていく必要があります。相手が10回やって自分に気づくのか、100回やって気づくのかはわかりませんが、やり続けるしか気づかれる方法はありません。
相手の土俵にずっとい続けることで、自分がいることを気付かせることが何よりも大事だと思うのです。