山際大臣の失言から学ぶ、湯河原町政の腐敗の原因
参議院選挙真っ只中の7月3日、街頭演説で、山際大志郎経済再生担当大臣が次の様な発言をしたと報道された。
「野党の人から来る話は、政府は何一つ聞かない。本当に生活を良くしたいなら、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」
一党独裁政治ととれる、とんでもない発言だ、と野党からは批判の声、自民党内部からも厳重注意があったとも書かれていた。現在山際大臣は発言の撤回はしていないが、誤解を招いたと釈明している。
私はこの記事を見て、山際大臣の発言は「本音が出てしまったのだな」と思った。ちょうど同じ時期に、ある自民党の政治家に同じ様な事を言われたのがデジャブしたのだ。
時同じくしてこの数日前、足柄下郡選出の高橋延幸県議会議員が主催する、湯河原町議会議員有志との勉強会というものが開催されているのをSNSで見た私の知り合いが、「土屋さんはこれに呼ばれていないの?」と連絡をくれた。
これには、私土屋と元同じ会派の熊谷議員、共産党の渡辺議員の3名以外の議員の名前がズラリと並べてある。
お察しの通り、私はこの会には呼ばれていない。知人には「私は呼ばれていません」とお応えすると、青い顔をしたスタンプが送られてきた。
そこで、私は考える。これは、どういった方が呼ばれていて、どういった意味で、私と熊谷議員、渡辺議員は呼ばれていないのだろうか、と。
まさか、県議会議員ともあろう方が、好き嫌いで議員を呼ぶ呼ばないを決めるわけはなかろうし、タグ付けにもあるが #湯政研 と #協創会 という湯河原町の2大会派に入っていないというのが理由だとしたら、それが理由にはならないのでは???と疑問が生じる。
考えても明確な理由がわからないので、直接高橋県議に聞いてみる事にした。
「この会は、なぜ私は呼ばれてないのでしょうか?」
すると、色々やり取りした結果、高橋県議が提示して来られた呼ばない理由は以下の点である事がわかった。
自民党の議員なので保守系の議員と連携している
選挙の際にお互い挨拶していない
立憲民主党の佐々木県議と親しくしている
その後も意見交換していない
まぁ、色々と言いたい事はありましたが、
「是非、次回は呼んでください」とお伝えすると、まずは意見交換から、と仰られたので、「では是非意見交換よろしくお願いします!」と言うと
「考え方が違えば、お呼びしないです」と言われました。
流石の私も空気を読んで、これ以上はもう何も申し上げませんでしたが、
湯河原町の「唯一」の県議会議員が主催する
湯河原町議会議員を対象にした
神奈川県事業に対する説明と勉強、要望を聞く会に
保守系以外の(考え方が違う)議員は呼ばない
という事で、理解し、そっと身を引いた次第です。
さて、私は高橋県議に恨みがあるわけでも、勉強会に呼ばれなかったからと憤慨しているわけでもありません。
薄々勘づいていた事がクリアに理解できたのでその気づきをここに書き留めておこうと思いました。
こういった「自分の仲間じゃないから意見を聞かない、通さない」といった価値観には今まで湯河原町議会で幾度となく対面してきました。
議員になって初めての臨時会で(当時)村瀬議長に
「新人の言うことなんて何も通らない」と言われてカチンときて喧嘩したのが始まりでした。
その後行政からは「会派に所属していない議員からの要望は受け付けない」と言われて、冨田町長に噛み付きました。
議員は町民の代表者、新人であろうと、会派に所属してなかろうと、関係ありません。多種多様な意見を聞いて、穴がないか、本当に町全体の利益になっているか、という検証をするにはむしろ、少数派の意見を聞いた方が町政は良くなります。
しかし、なんだかんだ理由をつけて、うるさいものには蓋をして、考え方の違う意見に耳を傾けない、という「少数(弱者)排除文化」が横行しているのが湯河原町なのです。
さて、皆さんは「少数派(弱者)」になった事がありますか?
学校で、いじめられた経験は?
社会から取り残された経験は?
受験や就職活動で失敗した経験は?
病気になった事は?
自分とは反対の意見が通ってしまった経験は?
できれば経験したくない自分が少数派(弱者)になる経験ですが、一度も体験した事がない人はいないはずです。
もし自分がその様な立場になった時、困った時に助けてくれるのが社会保障などの政治の役割だと私は思っています。
一般企業と違うのは、サービスを受けたい人と提供する側が納得して金銭のやり取りをしているわけではなく、私たちは日本国民である限り、税金を支払う義務があります。
そして、その税金の使い道に意見を言ったり、説明を受ける権利は誰にでも認められ、そこで差別される事はあってはならないのです。
しかし、現状では湯河原町のこの排除文化は横行しているどころか、その文化に対して弱き立場の町民は必死に多数派でいようとしなければならないのです。悲しいのは、努力して多数派であろうとするあまり、その多数派になった方々がまた少数派を潰そうとするのです。
私はこれこそが、政治の腐敗の原因だと思いました。意見が通るか通らないかは最終的に多数決であるのは納得できますが、そもそも意見を聞かない、聞こうとしない、だったら多数派に迎合しろ、というのは恐怖政治です。
選挙の時に多くの湯河原町民に言われた言葉を思い出しました。「(議員になる人は)皆最初は頑張ってるんだけどね、すぐにあちら側(多数派)に取り込まれちゃうんだよ」
自分の意見を通してもらうために仕方なく多数派に迎合すると、今度は少数派排除をしなければなりません。
こんな事を続けていれば、誰もが自由に意見表明して生きられる社会はつくられないのは当たり前です。
議員は町民の代表者。少数派の議員の意見を聞かない、通さないという事は、その議員を支持した町民の声も聞かないし通さないという事です。
しかし恐ろしいのはこの様な少数排除文化を堂々と表明できてしまう政治家がいるところ。この思想が恥ずかしい事だという事がわからない方が多いのです。建前であっても、小さき声を聞くとか、聞く耳を持つとか、言っているのが政治家であったのに、その線引きさえもわからないのでしょうか。
私は例え今、自分の意見が通らなくても、多数派に迎合したりはしません。なぜなら、私が意見を通すために多数派に迎合するという事は、この少数派排除文化を肯定する事になるからです。
時間がかかったとしても、湯河原町のこの体質こそ変えていかないと良い町にはなりません。
山際大臣の発言から、ハッキリした気づきは、湯河原町の政治の腐敗の原因はこの様な「少数(弱者)排除文化」なのだという事です。
そして、もし、今後私が多数派になる事があったとしたら、少数派の意見を排除する様な多数派にだけはならないぞ、と心に誓いました。
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