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私は一度死んでいる〜過去にハラスメント被害に合ったお話〜
物怖じせずに町の最高権力者に対しハッキリモノを言ったり、寄ってたかって攻撃してくる男達を蹴散らしたり(比喩)、しまいにゃ町を相手に裁判なんか起こしちゃったりと敵をガンガン作っている為「土屋さん、何でそんなに度胸あるの?」「怖いものないの?」なんて、
有り難く(?)言われる事が多々ありますが、
(褒め言葉だと受け止めています)
私としては自然と生きてるだけで、特に意識して強く生きているわけではないんだけど、改めて聞かれて何でかなぁと思い返してみると、私には「私は死んだ」と思った体験があり、それが大きな影響を与えて今があるのかもしれないと思いました。
もう何年も前になりますが、ある人物(女性)にハラスメントを受けて身も心もボロボロになってしまった事があります。
彼女はあるボランティア組織の代表で、後から理解しましたが自己愛性パーソナリティ障害と思われる方でした。
自己愛性パーソナリティ障害…ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型(Wikipediaより)
機嫌の良い時は近しい距離感で素晴らしい理想を語り、人をベタベタと褒め、新しい提案と行動力で周りを巻き込み実行する魅力的な方でした。
しかし何かのトリガーで一気に不信感に陥り、たちまちターゲットに攻撃を開始、そんな時の彼女の口癖は「土屋さんは私を利用している」でした。
当然利用しているつもりもなく、寧ろ側から見たら私の方が利用されている様なポジションな訳で、誤解を解くために彼女と会い、説明し、諭し、ご機嫌を取らなければなりませんでした。
そんな人は放っておけば良いのですが、一緒に事業を始めてしまった事もあり、責任感から彼女の暴走を止める役目を自ら引き受けてしまい、理由なき突然のトリガーによる嫌悪のシャワーを浴びせられ、その泥の様な憎悪を拭い取る為に大切な時間と、労力と、お金を使いました。
最初は彼女を思い込みの激しい少し変わった方くらいに思っていましたので、なぜ彼女を怒らせてしまうのか、私にもきっと原因があるのだろうと、私自身も改善を試みました。
彼女は私のほんの一粒の罪悪感に漬け入り「みんなあなたのことをこう思っている」とか「やっぱり土屋さんはそういった方なんですね」と蔑んだ目で貶めてきました。
その度に私は彼女に言い訳し、なぜそんなふうに彼女が思ってしまうのか悩み、彼女が不信感に陥ると周りにも迷惑をかけてしまうので、彼女がそうならない様に彼女の機嫌を取り続ける様になりました。しかし彼女のトリガーには理由がないため、私の行動変容も虚しく、やはり定期的に彼女の嫌悪が私に向くのです。
そんな生活が1年も続くと、1年後にはすっかり調教され、彼女からの長文のメッセージがくると恐怖で手が震え、立てなくなり、食欲がなくなり、夜は寝れなくなりました。
次第に幻覚症状や、現実と夢の区別がつかなくなり、死にたいと思う様になり、彼女が死ぬか、私が死ぬかのどちらかしかない、と思う様になりました。
今思えば私は、彼女の被害妄想によって毎回当て付けられる嫌悪に胸焼けし、どうにかその苦痛から逃げる為、彼女に譲歩し、譲歩する事で自分を少しづつ少しづつ、殺していったのです。
肉体的に傷つけられたわけではありません、明らかな嫌がらせをされた訳でもありません。だからこそ見えない心の傷を誰かにわかってもらうのは容易ではありませんでした。
彼女は一見、とても素晴らしい、魅力的な人物で、私がこんなにも傷つけられている事は誰にもわかってもらえないと思いました。実際にこの体験を話しても、同じ様な体験をしている方にしかこの辛さがわかってもらえませんでしたし、言葉にすると、何故そこまで私が追い詰められているのかがなかなか伝えにくいのです。
そんな私の苦しみなどよそに、彼女が何食わぬ顔で機嫌よく皆と戯れ、彼女が称賛されている状況が更に私を苦しめ、その世界に拒否反応が出るのです。
最後、もういつ死んでもおかしくない、と思った時に一絞り残った勇気で、居なくなっても後はよろしくお願いしますと同じ事業をやっていたメンバーに相談すると、彼女とは連絡を取らなくて良い、対策を練るので少し待ってくれと言われ思い止まりました。
そこから別の友人にも一連の自分の状態を話したところ、それは「モラルハラスメント」ではないかと言われました。
調べてみると、驚くほどに状況が一致。そこでこの恐怖や構造、今まで起こった事を理解し、やっと死の淵から這い上がったのです。
それからは、何十冊も本を読み、自分に起こった事を勉強して理解しました。事業も終わり、彼女とも別れを告げ、カウンセリングにも行きリハビリをし、数ヶ月かかりましたが元の自分に戻りました。
肉体的暴力より、精神的暴力の方がよほど辛いと思った経験です。精神的暴力は見えにくく、助けにくい。そして自分自身でも気付きにくく、気付いた時にはもう死の寸前まできていたりします。児童虐待でも、精神的な暴力の方が脳に悪い影響を与えるというデータが出ています。
今ではすっかり過去の話ですが、
「あの時私は一回(精神的に)死んだのだ」と思っています。
乗り越え、後遺症(彼女と打ち合わせをした場所に行くと気分が悪くなるのでそういった場所にしばらく近づくことができませんでした)もなくなり、すっかり元の自分を取り戻した今は、この経験でとても多くの事を学んだとさえ思えます。(美談にはしませんし、他の方にこんな経験を絶対にさせたくないとは思っています)
この経験で私が学んだ大きな反省が一つあります。
なぜ、私は、私のことをもっと大切にしてあげなかったのだろう。という事です。
自分が譲歩し、犠牲になる事で周りがうまくいくのなら、我慢して、自分を殺してしまえばよいと思っていました。そうやって、自己犠牲を払う事でどうにかその場を取り繕いたかったのです。でも、表面的にはうまく行っていると見せかけても、私の中身はボロ雑巾の様に消耗してクタクタになっていました。
結果的に私は沢山の方に迷惑をかけました。私が助けたかった人達の事もほっぽり出しました。良い人たちに恵まれたのに、自分に余裕がない為にそれ以降深く付き合えませんでした。
私が私を大切にしてあげなかったから、結局は他人の事も大切にする事ができませんでした。
「自分が意見を言うことで、この場の雰囲気を壊してしまいそうだから、思う事はあっても言わないでいよう」「ここで一人だけみんなと違う事を言ったら変な人だと思われるからやめておこう」
これは誰もが経験した事のある状況だと思いますが、そんな些細な「みんなのために自分の意見を封じ込めておく」事が、私は後々とんでもないことに繋がってしまった経験をしているのです。
だから、私は私を傷つける事をしない様に、自分を尊重して生きていくことに決めました。私はみんなの事(意見)も大切だけど、それと同じ様に私の事(意見)も大切にします。
そうしないと、結局はみんなのためにならないからです。
私が強く見える理由は、一度死んだのだから、もうそれ以上に苦しい事はないだろう、あれだけ苦しい思いをした経験に比べたら、目の前にある困難なんてそれほどでもないと思えてるからかもしれません。
また、同調圧力に屈してその場をやり過ごす事はとても楽なのですが、それをやってしまうと麻薬の様に抜けられなくなってしまう事も知っているからです。
表面的にうまく行っている様見せかけても、中身が腐っていたら簡単に崩れ落ちてしまう事を経験しているからです。
誰もが尊重される社会への第一歩は、まず自分自身を尊重する事から始まります。
どうか皆さんも、皆さん自身を大切にしてあげてください。そして、同じ様に、他者を大切にしてあげてください。
私や他者が、大切にされていないと思ったら、怒らなければならないのです。