見出し画像

いわゆる「出題ミス」について

今年も受験シーズンがやってきたが、残念ながら出題ミス(?)の報道などもちらほらと聞かれる。実際に大学入試の採点や作題に長年従事し、このマガジンでも「大学入試について思うこと」や「採点基準と頭のよさ(1)〜(5)」などの記事を書いてきた私にとっても、いろいろと考えさせられる次第である。

報道などで出題ミスとされるケースは、チェック体制の甘さやうっかりミスなどから起こるものとされることが多い(今年もそういう種類のものがあったようだ)。しかし、端的にいって、報道されるようなミスが本当に起こり得るなんて、私の経験からすると、とても考えられないようなことばかりである。だからこの手の報道に接するたびに、どうしてこんなことが起こったのか?と考え込んでしまうことが多い。少なくとも私の経験では、何度も何度も何重にもチェックを重ねて問題は作られるので、初等的な間違いやうっかりミスなどが起こる隙は、とてもないように思われるからだ。

そこで、少々憶測が過ぎるかもしれないが、どのような状況でどんなことが起こった場合に、このような出題ミスが起こってしまうのか考えてみた。以下で取り上げるのは、特定の事例について論じているのもではない。あくまでも一般論として考えられ得ることを、すでに大学を辞職してアウトサイダーになっている人間が論じるものであることを最初にお断りしておく。

入試の作題は概ね初夏あたりから始まるが、作題委員が各自作問したものを、何度も会議を行なって検討し、取捨選択し、改良に改良を重ねて、最終的な問題となる。会議は基本的には土日休日に行われ、問題案は鍵のかかる場所に保管される。作題委員の面子も非公開(秘密)だ。彼らは何度も何度もそれらの問題を解き、改良するわけだから、それらの問題を隅の隅まで知り尽くしている。だから、うっかりミスなどはおよそ起こり得ない。

では、なぜ時々起こるのか?

ここからは私の完全な私見であり、しかも本来複数あるべき可能性のうちの一つでしかない。

作題委員は、本問題の他に「予備問題」を作っておく。これは何かのトラブルで本問題が使えなくなったときの予備である。「何かのトラブル」とはどういうものかというと、例えば一番ありそう(あってはいけない)なことは、問題の紛失である。委員の誰かが(それこそうっかりして)どこかに問題を置き忘れてしまって、それっきり見つからないというときだ。このようなとき、問題自体は漏洩していないかもしれない(例えば、誰かが気づかずにゴミとして捨てたとか)。しかし、紛失の事実があったら、その問題は本番では使えない。そういうときのために予備問題がある。

しかし、この予備問題が少々曲者かもしれな。問題を作る方としては、本問題に比べて予備問題には少々気合が入らないのも事実だろう。だから、本問題ほどの注意を払ってチェックはされないかもしれない(もちろん、そうあってはいけないが)。

今回は過去に出題ミスがあった大学で、予備問題を作っているか、そして予備問題のチェックも本問題と同様に厳しく行なっているかは、私にはわからない。しかし、現実に出題ミスがある(あった)以上、私としては本問題ではなく予備問題が使われたからなのではないか?という感覚(憶測)を拭えないのである。

つまり、こういうことである。問題の紛失や漏洩など、本当はあってはならない事故があった。このこと自体は表沙汰にはならないかもしれない。例えば、報道されるような深刻な事態ではなかった可能性も多い。例えば、うっかりしてゴミ箱に入れちゃったとか。そういう場合、かなりの確率で漏洩はしていないと思われても、問題はそっくり予備問題と入れ替えなければならなくなる。それが入試問題の印刷過程の終盤などで起こってしまうと、差し替えのための作業は大忙しとなる。チェックは甘くなってしまうかもしれない。そして、予備問題の方のチェックはそもそも最初から甘かったかもしれない。

さらに、使えなくなった本問題と問題の質を合わせるために、それに近い予備問題を大急ぎで修正し、少しばかり小問を付け加えるということもしたのかもしれない。そうすると、また余計にチェックの回数は減ってしまう。

以上はあくまでも私の憶測であるが、報道されるような出題ミスなど、普通には到底起こり得ないはずなのだから、起こったのだとすれば、何か普通とは異なる非常事態があったのだと考えるのは、とても自然なことだ。私の憶測はきっと当たっていないだろうが、一つの可能性ではあり得るだろう。

いいなと思ったら応援しよう!