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仏壇の花瓶
夏が来た!というような日差しのジリジリを感じる縁側で、紫陽花に緑が芽吹いているのを見つけると、あっ梅雨を経ないと夏が来ないんだっと、早くも雨の季節を憂いた今朝でした。雨の日は、どしゃぶりであればあるほど、窓に打ち付ける雨音が心地よくて、もっと降れ〜と、八代亜紀ばりに雨を思い存分楽しむのですが、雨が降っていても晴れていても、仏壇に手を合わせることから1日が始まるのが、けっこう一般的な家庭なんじゃないかと思うんです。
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「あら、やだ。仏壇の花を買いそびれちゃったわ。どうしましょ」
( そんなに毎日丁寧にやらんでも、雨の日くらい休んでもいいじゃよ )
「・・・スーパーは今日棚卸しで休みだし、こんなに雨降っていたら遠くまでいけないわ。」
( そうそう、雨の日くらいいいんじゃよ。死んだ人のことばかりをそんなに考えんでもえんよ )
「あっそうだった。昨日、田中さんからマドレーヌもらったんだったわ。」
( 田中さんのマドレーヌ美味しいもんな。そうじゃ、それで息抜きしておくれ )
「あら、3つも入ってるわ。でも全部種類が違うから楽しみだわ!」
( おい、これ。全部食くう気か?わしにも供えんんか。 )
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「あれ?花瓶の位置、こんなとこだったかしら・・・?動いた?」
( いかん。いかん。成仏してないと気づかれてしまう。)
「あっ、そんなことより、洗濯物できてたんだったわ。」
( おーっ田中さんのマドレーヌがこんな近くに・・・、1つぐらいいいじゃろ。)
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「!!壺がやっぱり動いてる!しかもマドレーヌが!!」
( うまいのう )
「やっぱり花を買いに行くべきだわね。午後からは晴れて暑くなりそうだわ。もうすぐ夏だわね。」
三回忌かなんかの時に、お経をあげている最中、全く風が吹いていない密室だったのですが、蝋燭がゆらゆらと激しく揺れていたことがありました。きっとおじいちゃんが、やってきたんだろうと、親類で話してましたが、もしかしたら見えないところに最新の空調が入っていたってのもあるかもしれませんね。ボケと勘違いと、思い込みと、それとハイテクと先祖とか妖怪みたいなものは、けっこう同じであることって幸せだなと思います。
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ランドリー・・・
どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。
[ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。