国会議員の男女比は、どうでもいい
我々が欲するのは、、、いや、この言い方はよろしくない。
私が欲するのは、だ。
私はなんらかの集団の代弁者でもなんでもない。我々と言ったところで、それは私が勝手にイメージするそれなりの数の人達という想像上のなにかであり、つまりは詭弁の類いかあるいはファンタジーである。上手に使いたい場合は新聞やテレビを見るのが近道であるが、ともかく。
私が欲するのは、結果の平等ではなく、機会の平等である。要するに男女平等の話である。ここではひとまず国会議員の男女比のことである。
平成30年の数字では、衆議院で約10%、参議院で約20%とのことだ。女性の割合であるのはいうまでもない。
さて、この数字は妥当であろうか? 私の答えは「分からない」だ。50%付近が望ましいとも思わない。
我々が、もとい、私が欲するのは、有能な議員である。性別は関係ない。なにをもって有能とするのかはとても難しいと思う。仮のその指標があったとして、それに従って選考したとして、結果はどんな数字になるだろうか。
100:0 か 0:100の可能性もある。うまい具合に50%あたりで落ち着く可能性もある。だがしかし、そんな数字はどうでもいいのだ。そうだ、さきほど「わからない」と書いたが、ここまで(ほん数行ではあるが)書いて気がついた。「どうでもいい」だ。
私が恐れるのは、結果の平等が優先されて、無能な人間がその椅子に座ることだ。この例では女性議員がそれにあたるように読めてしまうが本意ではない。無能な議員は男女を問わず不要である。