特注ヘッドギア装着で リハビリに励む
5月19日(金) ヘッドギア届く
パックの角を切り落とされたお豆腐を守るため 骨なし状態の頭を採寸し、特注製作したヘッドギアが届きました。
私の病棟は5階でリハビリ室は1階。原則 車椅子移動 組の私は、その日 割当られた PT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語療法)の予定時間に合わせて送迎に来てくれるサポートスタッフさんを待つ。
リハビリ担当の先生方に初めて様子を見ていただいたのは、「リハビリ総合実施計画書」の記載日付によると ICUからHCUに移動した5月11日で、気切(気管切開)を行った翌日。
意識は戻っているはずですが、自分自身の記憶には一切残っていません。
本格的なリハビリ開始は5月15日(月)から。その頃は脳出血者特有の症状である「半側空間無視」が出ていたらしく、後から「しぎょうさん、最初は一階通路の左側にあるコンビニを認識してなかったのよ〜」と教えられ愕然としました。脳って不思議。
リハビリ開始当初は 万が一の転倒で頭を打ってはならじ!と 「単独では移乗しないでねー」と動きを止められ大人しくしていましたが、ヘッドギアがあれば安心・大丈夫…少し行動範囲広げたいな..と冒険心がムクムクと。
車椅子の足置きに乗せる時に少し動きの鈍かった左脚も、手を添えなくても自力で乗せられるようになってきてちょっと嬉しい。
PT(理学療法)での課題
リハビリ開始前の総合評価には 運動機能障害 [麻痺]、階段昇降・更衣 [不可]の記載があったものの、随意運動制御は次第に可能になっていきました。この時点では まだ右側の頭蓋骨を外した状態だったので、頭の重量バランスに左右差があったこと、10日以上の臥床で筋肉が脆弱化しており、平行棒での歩行訓練で 左右方向の揺れが若干 認められ「一番の課題は筋トレだねー」というお言葉が印象的だったのか、自分で iphone のメモアプリに「筋トレが大事!」と書き残していました。
OT(作業療法)での課題
脳出血が右側頭葉であったことで、左利きである私は 利き手の影響が最も懸念。繊細な動きを必要としない 積み木やパズルの課題訓練をしていたように記憶しています(やっぱりこの時期の記憶は曖昧)
どちらかというと もともとの仕事がら 空間把握・空間認識には強いタイプという自負もあり年齢相応レベルの課題達成度であったのではないかと。
ST(言語療法)での課題
この時点で失語症状は見られないことが、伴侶とのやり取り、彼から家族の報告でわかっています。ありがたい。
気切(気管切開) 直後で声が出せない状態でのST、まず確認すべきは嚥下に問題がないかどうか。正直 嚥下そのものには問題はなかったものの..。
自分としては、お粥はともかくいろいろな味のゼリーには食欲が湧かないのが辛かったですねぇ。あとカニューレに溜まる痰には閉口しました。早々にティッシュ1箱使い切っております。
あ、16日(朝)は 嚥下食だったけど お昼から中粥食だー嬉しー♡ …と
ここから次の問題。 19日(金)お昼のメモに
「
くちをおおきくあけることができない」 とあります。
この時のメニューは「オムレツ、カボチャの煮物」相応に柔らかいおかずですが、供せられた かぼちゃの大きさのまま口に運ぼうとして 違和感を覚えたようです。 え? 私のお口どうなってる? それはまた別のおはなし。
退院後「リハビリ大変だったでしょ?」と言われることが多いけれど、幸いなことに 急性期病院からリハビリ専門病院への入院時期を通して、私には大変だった とか つらかった〜という記憶は一切なかったりします。
急性期では無刺激な病室にいるより、リハビリ室に行けるのがとにかく嬉しかったし、PT,OT,ST各先生方のアドバイスや励まし、声掛けで前向きな気持ちで取り組めて、(なんでもない推しの話もできたりして)本当に楽しかった〜。
とにかく生きていられただけでも運が良かったし…
※ 退院後の今も、脳外科の定期通院の度にちょっとでもお話ししたくてリハビリ室入口からこっそり中を覗き込んで 当時の担当の先生方のお姿を探してしまう…毎度お邪魔してすみません…だって大好きなんだもん。