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私がここ(中国上海)にいる理由
某監督のドキュメンタリーみたいなタイトルにしてみた。監督と私は同い年だが、だからといって彼とは何もない。
私もとある転換期にさしかかってきて、ふと、自分の人生を振り返ってみた時に、「何故私はここ(上海)にいるのだろうか?」と考えてしまった。
理由は、ただ単に「自分がここにいたいから」。それに尽きる。なんだよそれ、って感じだがそれしか理由がない。
よく色々な人に言われる、「KENさんって、いい感じで中国ナイズされてますよね」だの、「中国に来てからそんな感じになったんですよね?」とか。
正直言って、そんなの全く関係ない。
私は小さい頃から、日本って生きにくいというか、めんどくさい社会だなぁと思ってた。
大学を出て、中国広東省の東莞で働きだして、2年後にまた祖国に帰り、日本の会社で働き始めたのだが、違和感の半端なさはすごかった。
※そもそも、大学3年生の秋の頃から、卒業できるかも分からない時点で皆が一斉にリクルートスーツを着て就職活動を始めることに制度的な問題点と、いや、それおかしいやろという違和感がすごく、真面目に就職活動しなかった、というか全くしなかった。息苦しい社会で働くよりも、中国のような活気のあるワクワクする環境で働きたかった。
2005年の頃だ。出社初日、自分のデスクに座るとデスクの上には古びた電話一つしかなかった。
「あのぉ〜私のPCはないんですか?」
先輩「はあぁ〜?チャイ人はとにかくかかってくる電話をとればええねん。他のことはせんでええ」
思わず目が点になった。はい?である。そもそも俺は中国人じゃないし、その言い方も問題あるやろ、と。そもそも、PCがないということはどういうことか?全くもって理解不能だった。
私が東莞で働いている時は、彼らが「蔑む」対象の中国の企業では、FAX等既に使われなくなってきており、発注・連絡等はe-mailが主流だった。図面や書類等もスキャナーでスキャンしたものをPDF化し、顧客・取引先とやりとりしていた。また、やりとりもMSN MessengerやQQを使ってコミュニケーションをとっていた。電話なんかよっぽどの急用でない限り、使わなかった。
私が入った日本の会社(大手商社)は、仕事の主要ツールが電話とFAXだけだった。PCはあるが、伝票発行でしか使わないみたいな使われ方だったのだ。一日中、営業や納期の話を電話で行う人達、ひたすらFAXを送りまくる人達。
「え?日本って中国より遥かに遅れてへん??」と驚愕したものである。
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話を元に戻そう。
私は上海という都市が好きである。
上海人はよく誇らしげに自分たちの都市が「海納百川」(要は自分たちの器がでかいことを言いたい)であることを語る。
年配の人達は、よそ者である外地人をけなし、忌み嫌う傾向が未だにあるが、現代の若者にはそういった感じは見受けられない。
いい意味で他人に無関心であり、お年寄りや子供、妊婦さんを見るとすぐに席を譲ったり、困っている人がいれば声をかけて自然と助けることができる人が多いように思う。
そして、洗練された街並み、昔ながらの上海グルメ、多国籍料理のレベル、どれをとっても中国NO.1の都市であり、この都市にはワクワクが詰まっている。
もちろん、上海にだって欠点はある。競争は激しいし、生活コストも非常に高い。新卒の給料が平均で5,000元ぐらいの上海で、もし外地人が身寄りもなく一人で生活していこうと考えるものなら、餓死は必然というぐらいだ。
それでも、魅力があまりある上海。私は今後もこの都市で頑張っていきたいと思う。
もっと自分のスキルを磨いていかなければ、改めてそう決意したとある日。