「あの感情に今、名前をつけるなら」
この本を読んでいて、「あの感情に今、名前をつけるなら」という話があった。私はふと、あの頃の出来事を思い出してしまった。
以前NOTEに書いていたのだが、誤って消去してしまったKEN的「私の履歴書」シリーズに度々登場していた、当時付き合っていた香港の彼女のことである。
自分はどちらかというと、「去る者追わず」タイプなので、未練がましいことはこれっぽっちもなくて、どちらかという淡々としている方に見られる。
だが、当時は必死だった。私は元々深セン大学で留学ビザを取得しており、深セン大学で中国語を学びながら、週末は彼女と香港で、という暮らしを送るつもりだった。そして、ゆくゆくは香港で仕事見つけて働こうとさえ思っていた。
ところが、諸事情により、急遽蘇州に飛び、蘇州大学で留学生活を始めることになった。そして、その香港の彼女とは私が大学を卒業するまでの2年間遠距離恋愛を行う羽目になった。
結果、彼女とはうまくいかなくなり、相手に彼氏が出来、私達は終局を迎えた。
当時、失ったものの大きさに、打ちひしがれた。怒り、悲しみ、切なさ、ありとあらゆる感情の波に飲み込まれそうになった。
私はその時になって初めて、ベルセルクの名言を身をもって理解することが出来た。
どうして終わったりなくしたりしてからいつもそうだったと気がつくんだ…
当たり前だと思っていたものが、当たり前ではなくなった時、人は激しく動揺する。そして、後悔をする。どうしてあの時もっとこうしなかったんだろう、何で自分はこんなに馬鹿なんだと…
ただ、落ち込んでいる暇はなかった…
既に就業先が決まっており、香港経由東莞勤務の時間が迫っていた。奇しくも当時は香港でSARSが大流行していた時期。そんな中に飛び込んでいく自分はやけくそになったみたいな感じもしないではなかったが、見返してやるという気持ちもあったのかもしれない。
「未来とは、今である。」ーマーガレット・ミード
※東莞でもがいていた時期の話はこちら。
私はこれまで40年弱生きてきて、色々なことを経験し、数々の選択を迫られてきた。悩みぬく暇もなかったことから、その場その場でベストと思われる選択肢をとってきた。
結果的にはそれが全部うまくいって、当時から見た未来になっていると思っている。色々なことを経験したが、今は最高に幸せな日々を送っている。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」(チャップリン)
あの時、私を突き放してくれてありがとう。
振ってくれてありがとう。
そして、最後に、改めて妻に「ありがとう」。
今まで私のことを待ってくれていて、ほんとうにありがとう。