言うことを聞かない中国人部下を変えるべきか、自分が変わるべきか?
2年以上前に、一人の部下Nを首にした(正確には、契約更新せず)。
歳も私より2つ年上で、非常に気の強い、典型的な上海人のおばさんである。仕事が出来れば何も言うことはないのだが、仕事にしろ、日本語力にしろ営業としての能力は著しく低く、デリバリーですらミスを犯す為、怖くて大事な仕事を全くまかせられなかった。
それもあってか、本人は売上で言うと200〜300元、大きくても2,000元の商売をやたら追うようになり、これをもって「私は実績を上げた、認めろ」という。
何度も話し合いの場をもち、会社には目標数字があり、各部門でこれだけの数字を背負わされている。あなたが稼いだ額では、あなたの給料及び諸経費すらもでない、それを理解しているか?と何度もしつこく説明した。
その都度「理解しました」というNであったが、1年程同じようなことを続けていた。給料査定の際、毎年ごねて、果てには泣きついて給料を上げてくれ、給料上がらないと私は家庭の状況が厳しくなりますと迫ってくる為、今までの歴代の「たわけ」日本人駐在員も面倒くさがって彼女の条件をのんできたのである。
私は「努力するのは当たり前、でも、努力の方向を間違ってるやつは評価しない」「会社が求めているものはそれじゃない、そこじゃない」を理由に、階級を3つ下げた。
そこから発狂しだしたかのように大声で喚き散らすN。私は冷静に人事に電話をかけ「報警」(通報)するように指示を出した。すると急に大人しくなり、泣き出して情に訴える作戦に変更してきた。私は表情を変えずに「どんなことをしても結果は変わらない、文句があるのなら裁判所でやりあおうじゃないか」と言い放った。
上記NOTEでも書いたが、彼女も典型的な自己評価の高い人間であった。この私を「一文不値」(一文の価値もない)と評価するこの上司は頭がおかしい、と。
社内で色々な人に私の悪口をあることないことぶちまけていたようだが、殆どの人が取り合わなかったところを見ると、まあうちの会社もそこまで馬鹿な人間の集まりではなかったようだ。
この作戦が功を奏しないとみるや、Nは各部署の部課長に自分を売り込むことを始めた。
数人の部課長(中国籍)から「KENNYさん、Nさんがうちに来たいと言ってるけど、KENNYさんがいらないと判断した人ならうちの会社にとっていらない人だから、うちの部署でも必要ない、いらないです」と言われる始末。
Nはその時になって初めてこの会社は私を必要としていないということに気づき、人材派遣会社に登録し、再就職先を探す為就活を始めた。但し、Nからすれば「他人はたまたま私の能力を分かっていない、この会社は私を活用できない」と考え、楽しそうに転職活動を行っていた。
当時40過ぎで、日本語学校に通ったことがないむちゃくちゃな日本語を話し、書き、デリバリーもきっちりこなせない、営業は出来ないNに会社として手取りで10,000元弱払っていたから驚きである。よくもまあ、前任者はこの能力の人にここまで出していたものだと呆れた。彼女レベルであれば、新卒の方が日本語が出来て素直に上司の指示を聞いて実行できる人は山といるだろう。コスパが悪すぎるのである。
このNの件を通じて、「他人は変えれない」ということを強く感じたものである。もちろん私自身も、Nを教育を通じて変えていくということが出来なかったこともあり、自分にも多々問題はあったと思う。
そんな中、人事育成コンサルの孔令氏のNOTEが目に入ってきた。いつもながら鋭い分析である。
“研修では最後に「人は無意識のうちに自分のこだわりや信念に捉われているので、簡単に変われない」ということを紹介し、「変わらない自分が悪い」のではなく、「変わるためには自分の中にある喜怒哀楽のスイッチを自覚して初めて自分をコントロールできる」と伝えたところ、皆さんはようやくパワハラをしてしまう自分に向き合おうと前向きな気持ちになりました。 (「地雷」は喜怒哀楽で言えば「怒」のスイッチともいえます)”
この記事の話で言えば、Nは私の「地雷」及び会社の「地雷」を踏み続けたと言えるかもしれない。私もまだまだ修行が足りない。