コロナ禍での帰海、そして自宅隔離へ(2)
前回の話はこちら。
自宅隔離生活がスタート
一か月半ぶりに自宅に戻った私達だったが、家の中は特に変わりなく安心した。
すぐに荷物を片付け、掃除機をかけ、長期間使っていなかったベッドのシーツ等を洗濯、乾燥機にかけた。ベッドにダニが湧いていないかなど注意深く確認し、掃除を行った。
ひと段落して、出前を呼ぶことにした。中国に帰ってきてからまだ「中国らしいもの」を何も食べておらず、次男以外の意見が一致し(笑)辛い物を食べることにした。確か四川料理の「天辣」だったと思う。
これぞ中国の味!という感じで、やっと上海に帰ってきた実感が湧いてきた。美味しかった!
食後に、マンションの管理会社の方から連絡があり、社区病院(各マンションが所属するエリアの管轄役所が管理する病院)のお医者さんが来るよと。電話の数分後にドアをノックされたので少々驚いた。
ドアを開けると防護服姿のお医者さんが立っていた(そもそもお医者さんなのかも分からない程着込んでいる)。
隔離の説明書を渡され、家族分全員サインしたものを渡し、ゴミを入れる袋(病院等で使われる黄色の袋)と次亜塩素酸のタブレット(水に溶かして使うタイプ)を渡され、ゴミを廊下に出した後は次亜塩素酸でよく消毒するように言われる。明日より、毎日午前・午後と熱を測りに来るとのこと。うちの家から社区病院までは結構距離があるので、毎日お医者さん達がここまで来ないといけないことを考えると、なんだか申し訳ない気持ちになった。彼ら・彼女たちは一日中防護服を着用しないといけないからだ。
「2週間隔離大変だと思うけど頑張ってね、何か困ったことがあったら連絡してね。ご協力感謝するわ」そう言うと女性のお医者さんは足早に去っていった。
自宅での隔離生活は本当に快適
上海に戻る前は、小区向けの郵便物は全て入り口の簡易受け取り場所に置かれ、自分で取りに行かないといけない、小区の出入りは厳しくコントロールされているとか、色々心配であったが、私達が返ってきたころはほぼ正常通りに戻っており、SF(順風)や京東(JD)物流等の宅配業者も普通に玄関前まで荷物を届けてくれる状態だった。これは本当に助かった。
飲料水も、食材もネットスーパー「盒马」も、指定された時間に持ってきてもらえればマンションの管理会社の人が届けてくれたし、隔離生活半分が過ぎたころにはどこの業者も玄関まで来てくれるようになった。(当時20世帯程が隔離状態にあったらしく、管理会社の人がその仕事量と人不足で疲れ果てて、めんどくさいので宅配業者に直接持っていけと指示していたらしい (笑))
また、どこにも行けないとはいえ、家にはTVもあるし、日本の番組も見れるし、中国のテレビも見れる、Swith等のゲーム機やトランプもあったので、娯楽に関しては毎日飽きることがなかった。自宅というものはこんなにも快適なのだということを改めて認識した次第である。
息子達は、学校に通えない期間が長かったので、ネットで無料配布されていた教材をとことんプリントアウトし勉強させた。またスタディサプリ等のネット授業も活用した。もちろん、会社の仕事でも使えたので、プリンター買っておいて本当に良かった。
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隔離もそろそろ終盤にかかってきたころに、突然管理会社から連絡があり、ドアにセンサーをつけると。彼ら曰く「街道」(その地域を管轄する役所)が「管理を強化する」目的で導入しないといけないとのことで、街道としても我々をよりしっかり管理するという目的よりは、上の幹部から言われたことなので仕方なくやります、という感じであった。この時も街道の役所の関係者含め皆さん対応が非常に丁寧で、我々がしっかり納得理解するまで説明してくれた。まさに中国のマンパワーを思い知ることになった。正直、関東東北大震災で称賛された日本人のマンパワーよりも、本来「バラバラ」なイメージがあった中国人が、団結するとこんなに一気に力を発揮するんだとまざまざと見せつけられた感じがした。
※ここらへんについては、王青氏の下記記事に詳しい。
ドアにセンサーを付けられたが、管理会社としてはドアの開閉回数をいちいち確認したり、それをとやかく言うつもりはないけど、あまりに回数が多いと外に出たんじゃないかと役所に疑われるので、それだけは気を付けてねと。もちろん、こっちも外に出る理由もないし、しっかり14日間隔離を全うするつもりであった。
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いよいよ、隔離最終日になった。
その日の午後に検温に来た社区のお医者さんが私達家族の熱を測った後、隔離解除証明書を渡してきて、全員分サインしてくれと。これをもって隔離解除となりますよ、今晩11時過ぎからは家から出てもいいですよと(笑)
いや、その時間はもう寝てますよ〜あははは、とか言っていると、お医者さんから「今までご苦労様でした、あなた達の協力に本当に感謝するわ」と改めてお礼の言葉を頂き、いやいや先生の苦労に比べれば私たちなんか全然楽ですよと、こちらからも謝意を示した。彼女たちの仕事は本当に過酷なのである。担当エリアが広く、一日20〜30軒の自宅隔離者の家を回らないといけない上、通常の社区病院での仕事もある。これでよく倒れないなと心配になるぐらいで、本当に頭が下がるばかりである。
その日の晩は、なかなか寝付けなかった。妻も同じだったようで、「何か長いようで意外と短かったわね。外出してもいいって言われたけど、私は怖くて外に出たくないわ」と。確かに、そうだ。今となっては逆に外に出るのが億劫になってしまった。それだけ自宅での隔離が快適だったのである。
とはいえ、妻は既に1か月近く産婦人科の検診にいけてなかったので、その晩のうちに同仁医院の産婦人科をスマホで予約した。そうだ、これからは生まれてくる娘を迎え入れる準備をしないといけないのだ。(日本の産婦人科で女の子であることを確認していた。)
こうして、私達家族の隔離生活は無事に終了した。浦東空港から自宅隔離まで、全ての関係者に対して改めて敬意と謝意をあらわしたい。あなた達のおかげで、無事に何事もなく自宅に帰ることが出来、隔離を終えることが出来た。本当にありがとう。