子育てに正解はないよなって話

娘の日本語教育について私なりの見解と覚悟を書いた下記NOTEだが、結構色々な方からの話を頂いて非常に興味深かった。

私自身も恐らく子供が大人になってもずっと彼ら彼女を「子供」として教育する機会は死ぬまであるだろうと思う。昔通っていた塾の広告用ポスターに書かれていた言葉がいまだに忘れられない、「人間って一生勉強らしい」。(人生においてどの段階・時期でも常に勉強する必要がある)

人ぞれぞれの育て方があっていいし、子供はみんな違ってていい


北京在住ライターのつばめさんのNOTEにも書かれていたが、

また、子育てには、言葉以外にも
いろいろ大切なことがあると思いますので、
言葉だけにこだわりすぎないことも大切かなと思っています。

結局これに尽きると思う。せっかくハーフとして生まれた我が子、両親の母語を喋れて理解できるようにしたいという想いは誰にでもあるだろうし、至極当然のことだと思う。ただ、その「言葉」に固執することによって、子育てで大事な部分を見落とし、子供との大切な時間をなくしてしまっていないだろうかということについては、常に頭の中で忘れないようにしたい。

私の長男の場合で言うと、生みの親である母親が母語である中国語を教えることなく、幼稚園からスパルタ式に英語教育を彼に行い始めた。中国語を先に習得するべきだと考える私と前妻は何度もこの件で口論し喧嘩もした。確かに、長男は週4のネイティブの英語の授業で発音は驚くほどうまくなり、私よりも遥かに綺麗なネイティブ並みの英語を話せる時期があったのは事実である。

ところがその後、英語の学習をやめて1年も経たずに彼は全て忘れてしまった。今、彼は中学生になり英語の授業が増えたことで授業や宿題で苦労をしている。中国語もものにできず、英語も中途半端でこんなにもったいないことはないと思うし、今の妻にも「何やってんだかあんたは」と皮肉を言われる始末。

同じ轍は踏むまいと息子二人は中国語のスパルタ教育を実施中だが、この一番つらい時期を乗り越えれば、彼らも第二の母語としての中国語マスターへの道が近くなることは間違いない。

とは言え、言葉が喋れるとこんなに世界が広がるんだぞ、楽しいぞということは私が率先垂範して彼らに背中を見せ続けていきたい。最近は別の勉強で忙しい為時間をとれていないが、今年の春までは英語のブラシュアップとフランス語の勉強をしていた。(1か月タイ語の勉強をしたがタイ文字で挫折してしまった笑)自分自身が言語の勉強をすることが大好きだし、同じマンション内の欧米人と私が英語で喋っている姿も彼らは見ているので、少しでもその「楽しさ」が伝わればいいなと考えている。


色々な方々から頂いたフィードバック


父方の母語を子供に身に着けさせる難しさについてMikiさんより引用ツイート頂いた。

錠前次郎さんも、日本語教育の難しさについて引用ツイート頂いた。普段接する時間=言語の習得、にかなり影響することがこれからもよく分かる。

みこさんからは、一人で2ヶ国語で子供に話しかける困難さは非常にわかりみが深い。(自分の場合日中両方混ぜってるが)

Liangさんの場合、中国人の奥様が英語が得意とのことで、英語教育に力を入れているとのこと。これもまた珍しいパターンではないだろうか。母語でない言語にそこまでエネルギーを注げるというのはまさに偉業でしかない。

また、Kametaroさんからはアメリカからの帰国子女についてのコメントを頂いた。

このリプにも返信させて頂いたのだが、私の以前の上司がアメリカ生活が長く、お子さん達も英語優位の環境で現地の学校に通っていた為、日本語及び日本の習慣になじめず、色々苦労している話も聞かされたことがある。また、私の前でお子さん二人が英語で会話している様子にも出くわしたことがあり、その時は本当にびっくりした。

極めつけはHOSODAさんのお子さんへの教育方針である。彼はまさに私が理想とするような道をまっとうされている。私にとっても非常に参考になった。素晴らしいの一言である。

とまあ、色々書いてみたが、結局のところ言えるのは

◆親が何事にも真摯に子供と常に向き合うこと、逃げないこと

◆子供の数だけ、教育の仕方はある、子育てに正解はない

ということだと思った。これからも親として学びながら子供から逃げないでしっかりぶつかっていきたい。


今日はここまで。ほな。

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