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Fate/Revenge 5. セイバーの弱点-①

 二次創作で書いた第三次聖杯戦争ものです。イラストは大清水さち。
※執筆したのは2011~12年。FGO配信前です。
※参照しているのは『Fate/Zero』『Fate/Staynight(アニメ版)』のみです。
※原作と共通で登場するのはアルトリア、ギルガメッシュ、言峰璃正、間桐臓硯(ゾォルゲン・マキリ)です。
※FGOに登場するエンキドゥとメフィストフェレスも出ますが、FGOとは法具なども含めて全く違うので御注意下さい。

     5.セイバーの弱点

 アルトリアとカスパルは一時間以上歩いて伯林ベルリンの中心部、ブランデンブルグ門を擁する巴里パリ広場にやってきた。
「うちの定宿はここなんだ。おじいさまが顧客リストに入ってるから、すぐ泊まれるよ」
「そうですか。よいところですね」
 アルトリアは暗い広場を振り返る。いくつかの瓦斯ガス灯が薄暗く火を灯す。ブランデンブルグ門の下にだけ篝火が焚かれていて古城のように浮き上がってみえる。幻想的な光景だった。
 二人がホテルに入ると、すぐにドアマンがアルトリアに向かって会釈した。
「ようこそ、おいで下さいました」
 アルトリアは微笑んだ。彼女にとってかしずかれることは日常だった。
 彼女が一歩、サロンに踏みこんだ瞬間、空気が変わった。凜と筋の通った、清澄な静けさ。それはアルトリアのまとう空気そのものでもあった。ホテルが仕えるべき主人を見出だしたと言わんばかりにフロント係が飛んで来た。彼は二人をサロン脇のテーブルに誘い、アルトリアに椅子を勧めた。
「さあ、どうぞ。お嬢さんフロイライン
「いや、手続はこちらが行う。私は不案内ゆえ見物させてもらう」
 アルトリアがはきはきした口調でカスパルを示すと、フロント係はわずかに頭を伏せて平伏した。
「左様でございましたか。これは失礼を」
 カスパルはテーブルにつき、宿帳に必要な事項を記入した。だがフロント係の顔はカスパルを大して重要な人物と思っていないのは明らかだった。サロンをふらふらするアルトリアが大きなタペストリーに見入っていると、荷物持ちポーターがタペストリーの由緒正しき来歴を説明する。彼女が小さくありがとうと言っただけで、打たれたように最敬礼する。それは彼女を王侯貴族のように思っている証拠だった。
 確かにセイバーは王様だったんだろうけど。
 カスパルはなんとなしに面白くない。
 彼には分かっていなかった。たった十五歳の少女が選別の剣を抜いたとはいえ、ただそれだけで伝説となる王君になれようはずもないことを。彼女は一国の民を率い、騎士たちを統率し、愛された名君でもあったのだ。そうでなくて、どうして後世まで親しまれ讃えられようか。
 彼女を前にすると、人々はそれが自らの君主であると思ってしまうのだ。
 そういう輝きと吸引力が彼女には備わっている。
「カンタベリーの聖堂を思い出す。あそこも広々としてよい場所であった」
「創業当時より一度も改装をしておりません。世紀末の優雅な雰囲気が残っておりますでしょう」
「ああ。心地いい広間だ」
「恐れ入ります」
 穏やかなアルトリアとポーターの会話がホールに響く。
 カスパルは黙々と小切手に名前を入れて切った。フロント係は丁重に受け取り、部屋の希望を尋ねた。
「どういったお部屋を御希望ですか」
「見晴らしのよい部屋を頼む」
 ふいにアルトリアが口を挟むと、フロント係がぱっと彼女を見上げた。
「広場に面した二人用の部屋が空いてございます。ブランデンブルグ門がよく見えます。そちらでいかがでしょうか」
「苦しゅうない。とく案内あないせよ」
 アルトリアが頷くとフロント係が深くお辞儀した。
 そのときカスパルは気づいた。ホテルの奴ら、俺のことを従者か何かだと思ってやがる。
 カスパルが立ちあがると、すっとアルトリアが後ろについた。半歩下がった態度はサーヴァントとしては理想的なものだ。だが周囲は従者が主人の水先案内をしているとしか思わない。案内係が前に立ち、カスパル、アルトリアと続く。エレベーターの前に立つと、案内係はアルトリアを振り返った。
「お部屋は408号室となります。四階まではエレベーターでご案内いたします」
「うむ」
 アルトリアは優美な鉄籠のような機械を初めて見るもののように見つめていた。確かに彼女にとって、それは初めての体験だったのだが、案内係は彼女がやんごとなき身分の姫君であり、こういった場所に泊まるのは初めてなのであろうと思った。
「驚かれるかもしれませんが、ほんの少しの時間です。多少揺れますが危険はありません」
「分かった」
 案内係は徹頭徹尾、アルトリアを主人として扱った。
 はたから見れば、ゴミ捨て場に落ちたせいで汚れた服を着たカスパルと、武装を解いた御蔭で汚れひとつないアルトリアが一緒にいれば、カスパルを従者や召使いと思うのは当然だった。
 だが、これはカスパルにとって屈辱的な体験だった。
 俺が本当の泊まり客なんだぞ。本当であればセイバーはサーヴァントで姿を見せていなくてもよかったんだ。彼女は伯林は危ないと言って聞かなかったけれど。それなのに、これはどういうわけだ。本当の主人は俺だ。なのに周りが傅いているのはセイバーだ。
 どうして、こんなことになったんだ。
 訳が分からない。
 部屋に通され、ひと通り設備の説明をすると、案内係は下がっていった。
 二人きりになると、やっとカスパルは緊張から解放された。大きなベッドに横になる。少し広めのツインルームで、テーブルと椅子が二つ、バスルームの横に小さなクローゼットもある。
「今日はくたびれた。もう寝るよ、セイバー」
「それは構いませんが、カスパル。貴方は家を出てから飲まず食わずです。健康のために食事をとった方がいいのでは」
「ああ、俺、大丈夫!」
 ベッドの上でカスパルが手をひらひらさせると、アルトリアがきょとんとして立ち尽くした。
「何が大丈夫なのです。せめて何か飲んだ方が」
「俺の身体の中にはおじいさまの下さった蟲が一緒に住んでるんだ。だから一週間くらい飲まず食わずでも死なないよ。うちの周りは飢饉の多いところだったけど、おじいさまの御蔭でうちでは誰も餓死したことはないんだ。スゴイだろ」
 カスパルが自慢気に言うと、アルトリアが途方に暮れた顔になる。
「どうしたの、セイバー」
「マスター、お腹が空きました」
「は!?」
 がたっとカスパルは身体を起こした。英霊というのは魔法のような存在で人間の飲み食いするものなど必要ない。カスパルはそう思っていた。
「なんでお腹が空くの、セイバー」
「私にも分かりません」
 恬淡てんたんとアルトリアは答えた。しかし、おおよその理由は分かっていた。
 本来、カスパル程度の魔術師であれば、セイバーの基礎能力はもっと低い状態で呼び出される。だがアルトリアは今回呼び出された六人の英霊のうちでも屈指の高ステータスを維持していた。
 彼女が現界げんかいし、戦うには多くの魔力が必要だ。
 しかしマスターからの魔力供給は十分とは言えない。
 それを補うために、こういった不都合が生じるのであった。
 カスパルは不思議に思ったが、なにしろ可愛いアルトリアの頼みである。これはさっきの不愉快な出来事を帳消しにするくらいの上首尾だった。
「こういった宿に食堂はないのでしょうか」
「えっと、フロントに電話してみるよ。何が食べたいの、セイバー」
 カスパルに問われると、アルトリアは小首を傾げた。
「そうですね。スープと肉に魚でも頂ければ」
「分かった」
 カスパルがベッド脇の電話をとりあげ、フロントに繋ぐ。彼が用件を告げると、向こうは承諾したらしかった。アルトリアはほっとする。
 しばらくすると部屋に給仕たちが訪れた。彼らは部屋のテーブルに真っ白なクロスを引き、アルトリアに椅子を勧めた。彼女が座ると、あっというまに食器が並べられ、グラスには炭酸水が注がれた。
「こちらはレバー団子レーバークヌーデルのスープでございます。お好みでマスタードをお付け下さいませ」
「分かった」
 アルトリアはするりとナプキンをとりあげ、優雅に食事を始めた。
 彼女はあっさりとスープを完食し、前菜のニシンの酢漬けも普通に食べた。メインはステックフリットで、要は牛肉のステーキにフライドポテトを添えたものだ。アルトリアはすいすいとステーキを切り分け、トマトソースを付けて食べる。
 明らかにアルトリアは給仕されることに慣れていた。
 給仕たちも主人たる少女の洗練された仕草に感心しきりといった様子だ。ぴんと背筋を伸ばし、もたつくことなくナイフを操る彼女はやはり、身分の高い人間だろうとしか思えなかった。
 カスパルはまたも彼女を主人として扱うスタッフたちに遭遇し、苛立たしい気持ちになった。俺のセイバーに馴れ馴れしくするなとか、どうしてセイバーばかりが大人たちの敬意を勝ち取れるのか、腹立たしく思っていた。
「満足した。このような時間に呼びつけてすまなかった」
「いいえ。お気遣いなく。最後にこちらはシェフからの心尽くしでございます」
 アルトリアの前にザッハトルテが置かれた。彼女の顔がぱっとほころぶ。それはカスパルにとって独り占めにしたいほどの微笑みだった。
 給仕がそっと小さなガラス容器を彼女の前に置く。
「こちらの生クリームを付けてお召し上がり下さいませ。さらに風味が引き立ちます」
「試してみよう」
 アルトリアは給仕たちの勧めを断らない。スプーンで山盛りの生クリームを皿に移すと、さくっとフォークでザッハトルテを切り、たっぷりのクリームをつけて口に運んだ。
「美味い」
 アルトリアが頷くと給仕たちがいっせいにお辞儀する。
「シェフに礼を伝えてくれ。食事はとても美味であったと。そなたたちも長い時間すまなかった」
「いいえ。また御用の向きはお呼びつけ下さいませ」
 アルトリアがテーブルを離れると、給仕たちは流石の早業でテーブルを片付け、厨房に戻っていった。
 彼女はスタッフたちを見送り、部屋の扉が閉じられると、カスパルを振り返った。小さく頭を下げて会釈する。
「御馳走様でした」
 そして、ふわんと金色の光の粒となり消えてしまった。
 後には妙に苛々したカスパルが一人残された。


 翌日、ランサーは恒例の散歩に出た。ウォルデグレイヴは昼だというのに寝ている。夜は索敵に力を使ったので休息中だ。
 ランサーはカフェラウンジで新聞を受け取り、珈琲コーヒーを飲む。
 この黒くて苦い、心地いい酸味をもつ飲みものは自分が生きていた頃はなかった。何から出来ているのか不思議でしょうがない。
 新聞をぱらりと開くと、極東での戦争や欧州の不景気を報じる記事で埋まっている。地域欄に小さく『新型兵器の実験成功』という記事を見つけ、ランサーは薄く微笑む。昨夜のセイバーが放った光を監督役たちが兵器の実験だと偽っているのだ。
 なるほど。こうして隠蔽されると分かったからには手加減なしで戦ってよさそうだ。
 にやりとした瞬間、ランサーは打たれたように顔を上げた。
 このホールに自分と同じ存在●●●●●●●が入ってきたのだ。
「こちらのお席でいかがでしょうか」
「構わない。食事を頂きたい」
「ただいまメニューをお持ちします」
 ホールの案内係に先導されてやって来たのは、青いドレスの少女だった。淡い金髪をきちんと結い上げ、緑の瞳は眩いばかり。彼女はランサーの目と鼻の先を通り過ぎたが、ランサーには全く気づかなかった。しかもランサーのすぐ奥のテーブルについた。
 心の中でランサーは笑いが抑えきれない。
 なんて間抜けな娘なんだ! あれが真に昨夜、天晴れな戦いぶりを見せたセイバーなのか。僕が隣に座っているのに気づかないなんて! だが彼女の戦いぶりにも間抜けさは現れていた。あっさりと身元を証しかねない剣を見せ、おそらく彼女の持つ最大級の技を披露してくれた。
 ランサーには剣の文字が読めなかったが、ウォルデグレイヴは確実に読んだとランサーは推測している。そして彼はセイバーの正体が分かったのだ。しかし何故か、自分にそのことを秘匿している。
 彼女が視線を上げただけで忙しい給仕が用事を後回しにして飛んできた。
 それはランサーにとって懐かしさをともなう光景だった。
 彼女は毅然と顔を上げ、給仕に言いつける。
ますのグリルとパン、茴香ういきょうのクリームスープを。あと……苺のタルトエルドベア・トルテ
「かしこまりました」
 仕事でなく平身低頭する給仕。
 この他を圧する空気は間違いない。彼女は王だ。それも、さぞかし慕われ、愛された王であろう。彼女のある種の警戒心のなさが物語る。彼女の国は強かっただろう。愛する王を守るため。だが彼女の民は弱かっただろう。
 それがランサーには感じとれる。
 何故なら、この清澄な空気。
 近くにいるだけで身も心も浄められるような気配は彼女が醸しだすものだ。自然と人は襟を正し、心持ちも前向きになる。
 だが、こんな人物が近くにいればどうなるか。民は恐れげもなく戦うだろう。殺人の背徳すら彼女の清浄さが大義名分に変え、罪悪感を取り除いてしまうからだ。彼女のすることであれば正しいとさえ人々は信じただろう。
 自分でさえ、この人物であれば自分を活かし、正しくあらせてくれるだろうと思いかねないほどの清冽さ。
 この守りを失ったとき、人心は底から崩壊し国を傾けたであろう。
なんとまあガナム善き王であることかルガル・ジッダカム
 呟いてランサーは立ち上がる。新聞を持ち、テーブルの上の伝票に代金を置く。飛んでくる給仕を無視してランサーはホテルの外に出た。わざとカフェの前に回り、窓からセイバーを眺める。
 彼女は慣れた様子でスープを口に運んでいた。上品な横顔が美しい。
可愛い娘だなあキ・シキル・フルフルいい娘だ。本当にキ・シキル・エン・ガナム
 ランサーはふらりと菩提樹通りウンター・デン・リンデンの散策に身を任せた。そして閃いた。
 ははあ。さてはウォルデグレイヴめ。あれはの国の王でもあろうか?
 自らのマスターが敵対するサーヴァントに忠誠を捧げるとして。それは愉快なことではないか。
「まあ、こちらも彼らが階下にいることを話していないしな。これで互いに一つずつ隠しごとがあるわけだ。実に正しい」
 ウォルデグレイヴとランサーがいるのは504号室。なんとセイバーたちのすぐ上の階であった。だが、それをランサーはウォルデグレイヴに話す気はない。話す必要も感じない。何故ならセイバーは闇討ちとか夜討ちとかいったことは絶対にしそうもないと確信できたからだ。
 あの娘は信じられる。
 それがランサーの結論だった。


 昼下がりにアンが階下に起きていくと、キャスターが台所のテーブルで奇妙な本を開いていた。
「まだ見てるの」
「調査は念入りにしなければならん」
 昨夜からキャスターはアンの家を自分の工房のように使いはじめた。見た目は全く変わっていないが、そこはもうアンの家ではなかった。彼女の魔術を見る目は、恐ろしい変貌を遂げる我が家を認識していた。
「もう、すっかりあんたの家って感じね。メフィストフェレス」
「これでそなたと私の安全は確保されている。誰も、この家を発見することは出来ないだろう。少なくとも魔術的な意味ではね」
「そう願うわ。あんたは戦闘タイプじゃないんですものね」
「そういうことだ」
 昨夜、アンはキャスターにライダーの潜伏先を攻撃するよう言った。しかしキャスターは頑として頷かなかった。
「どうしてなの。あんた、昨日っから、あたしに戦いを止めさせたいの?」
「そうさね。なるべく戦わずにいるのが私のクラスの基本戦略だ。第一、人間ごときの造った聖杯に私が興味を持つとでも?」
 そう言って、キャスターが見たことのない分厚い本をどかりと開いて見せたのだった。
「何、これ」
「これで他の陣営のほとんどを見ることができる」
「えっ!?」
 いつの間にそんなことをしたのか、アンは全く分からなかった。そしてキャスターが見せる光景に夢中になった。本のあるページを開くと、特定の人物や場所が映し出されるのだ。
 最初に見たのはお人形だと思った。白銀の髪を長く垂らし、真紅の瞳を大きく開いて微動だにしない美女だった。時代錯誤なギリシア風の白いドレスを着ている。彼女は古ぼけた広間に一人で座っていて何も話さない。彼女の周りには誰もいないようだった。
「これは何? 何なの」
「知っているかね。これが、かの高名なるアインツベルンの人造生命体ホムンクルスだよ」
「えっ」
 それはアンの度肝を抜く答えだった。魔術の産物としてホムンクルスは物語にもよく出てくる。だが、それはお話の中の生きものでしかないはずだった。実際に、現実にいるものだとは思っていなかったからだ。
「信じられないかね」
「ええ。だって、そんなもの、どうして造れるの」
「アインツベルンの錬金術はもはや人の領域ではない。私が生きていた頃から城の中はホムンクルスたちが管理していた。本当の人間である魔術師は、あの一族の中で数えるほどしかおらん」
「御伽話みたいよ、なんか」
「本当のことだ」
 キャスターは懐かしいものでも見るようにホムンクルスを見つめる。アンは彼女が瞬きをしたので二度びっくりしてしまった。
「うわあ、動いた」
「だから言ったであろう。生きているのだよ。彼女は」
「……」
 アンはまじまじと彼女を見て、呟いた。
「なんか淋しそうな顔してるわね」
「やはり、そなたは優しい娘だな」
 キャスターがくくっと笑う。彼はさっとページをめくった。アンは肩をすくめて苦笑いした。
「あんたがあたしを持ち上げたって無駄なんだからね。口車には乗らないわよ」
「結構。今のはバーサーカーのマスターだ。そして私たちは絶対に彼と戦ってはならない」
「どういうこと」
 アンが背筋を伸ばしてキャスターを見下ろすと、彼は皮肉に声をひそめた。
「力任せのバーサーカーと知性あふれる私が戦うなどと想像してみたまえ。負けるに決まっているであろう」
 アンは鳩が豆鉄砲喰らったように目を丸くした。かりにもサーヴァント、それも大悪魔が負ける……と自分から言うなんて。疑わしげなアンにキャスターが薄く微笑んだ。
「私にとて得手不得手はある。あれは戦闘対象からは除外する。よいね」
「まあ。あたしはエヴァ・ブラウンに仕返しできればいいのよ。危ない橋渡ってまで聖杯が欲しいわけじゃないわ」
「それはなお結構。次はこれだ」
 キャスターが開いて見せたページには見たことのない男が二人映っていた。
 一人は普通のドイツ人だと思った。細面で灰色の目が刺すような印象だ。時代がかった修道士のような服を着ているので牧師さまかと思ったりもした。だが胸には十字架ひとつなく、彼は虫籠を覗いては肉片をやっている。その中には見たこともない生きものがいた。それは寄生虫だの男性器だのを想像させる形でぬるぬると光っている。若い女性に悲鳴をあげさせるには十分な気味悪さだった。
 アンはまじまじと蟲を見てしまって、キャスターの服をつかんで絶叫した。
「きゃああああっ」
 キャスターの服をぐいっと引っ張ってよろけさせるや、顔をうずめる。
「何あれっ、何なのっ」
「あれはマキリ秘蔵の蟲『刻印虫』だ。いろいろと役に立つ。扱いを心得ておればね」
「何なのっ、あの下品なフォルムはっ!」
「私が知ることではないな。それより、もう一人を見たまえ」
 言われてアンはおそるおそる顔を上げる。もう本の中に、あの虫がはっきり見えるような光景は映っていなかった。
 かわりに見たこともない騎士が大写しになっていた。
 彼の上半身は真鍮の淡い金色に輝く鎖帷子で覆われていた。陣羽織の胸にはくっきりと赤いマルタ十字、もとはテンプルナイツの紋章だ。肩甲には上が黒、下が銀の間違いないテンプル騎士団の軍旗が刻まれ、純白のマントは彼らの信仰の証として長く語り伝えられたものだ。中には質素な茶色のシャツを着ている。中途半端に伸びた濃い茶色の髪を後ろで一つにくくり、あごには無精髭がある。鉛色の目は隙がない。四十を越したばかりのように見えた。
「まさか、十字軍……? 本当にテンプルナイツなの?」
 こちらはドイツ人ではないとアンは思った。いかにも歴戦の勇士という雰囲気である。
「ちょっと、メフィストフェレス。どういうことなの。こんなのが本当に出るのっ」
 最初は騎士のような英霊が出てくるのを期待していたアンだが、実は本当に出てくるとは思っていない。自分がキャスターを呼び出したことすら現実感がないほどなのだ。
「本当だとも。そなたも私を呼び出したではないか」
「だって、あんたは普通だもの。少し着てる服が古いかなって程度よ」
「む。古いかね」
 キャスターが自分のインバネスや革靴をつらっと見回す。アンはしまったという風に天井を仰ぎ誤魔化した。
「ええ、まあ。ちょっとそう。世紀末風ってだけよ。でもあれは、まるっきり物語の挿絵よ! あんなのが出てくるなんて、聖杯ってどうなってるの」
「その疑問は大切だ。胸にしまっておきたまえ。そら、会話劇コンベルサシォンが始まったよ」
 キャスターに言われてアンは耳を澄ます。大きな声ではないが、彼らの声が聞こえてくる。これもアンには驚きだった。キャスターの持つ革張りに見える大きな本は魔術の産物なのだろう。だがアンには構造も使い方も見当もつかない代物だった。
 修道士風の男が口を開いた。
『何故だ。この伯林には六体のサーヴァントが集まっているとおじいさまが仰ったのに。確認できるのは三体だけだ』
『用心しない馬鹿はいないさ、マスター』
 サーヴァントの声は深く、油断のない性格を感じさせた。魔術師の方が顔を上げた。
『だが見当はついている。一体はアインツベルンのバーサーカーだ。彼らは孔雀島の古城を所有している。そこは魔術仕掛けの迷路になっていて、使い魔が迷うのも無理はない場所だ』
『ほう』
 アンが驚き、また少しばかり面白く思ったことは、彼らもキャスターのようにこっそりと他の陣営の動きを探っているらしいことだった。
『後の二体は片方がランサー陣営だろう。魔術協会派遣のウォルデグレイヴ・ダグラス・カーは結界の名手だ。彼の動向が掴めないのも無理はない。そして一体はキャスターだな。ほかは我が弟も含めて大した頭の持ち主ではない』
 修道士風の男が首を傾げてため息をついた。
『全く。若さゆえの過ちとはいえ、あれ●●に魔術の手ほどきなどしてはならなかった』
『ふうん?』
 十字軍の騎士が面白そうに腕組みする。
『あれはお前の弟だと言っていたではないか』
『だから過ちだったと言っているのだ。そもそも、おじいさまも仰る通り、あれの魔術回路は私に遠く及ばない。あちらの方が質がよければ、おじいさまは私を捨ててカスパルに魔術を仕込んでいらしたはずだ』
 魔術師がうろうろと部屋の中を歩き回る。騎士の方は腕組みしたまま動かず、目だけで自らのマスターを追う。
『大した御家庭だな。魔術師ってのは皆、そんなものなのかい』
『我がマキリ家は『始まりの御三家』として他家に後れをとってはならぬ。それを思えば、あれが家を継ぐなどあってはならぬことなのだ』
 騎士があごを上げてにやりと笑った。
『だが、お前の弟御はセイバーを呼び出して参戦している』
『そうだ! 私のせいだ』
 魔術師がばっと両手を広げて、騎士の方に向き直った。魔術師の顔は思いつめた緊張感があり、異様に思えた。
『私は放り出されたあれ●●を哀れに思ってしまったのだよ』
『いい兄貴ってことになるんじゃないか』
 騎士はいいことを言ったという顔で魔術師を見つめる。
 それにはアンも頷いた。聞いていると自分もそこにいるかのような気がしてくる。
『いや、間違いだった。まさか、あれがセイバーなど呼び出してしまうとは!』
 魔術師が頭をかかえ叫んでいた。
『最優のクラスと謳われるセイバーが何故、大した魔力も持たない弟のところに現れたのだ!? あのような剣を持つ最強のサーヴァントがっ。あれは私のような選ばれた魔術師にこそ相応しい英霊サーヴァントではなかったか、ああ!』
 嘆き呻くマスターを前に騎士は微妙な表情を浮かべていた。小馬鹿にするような憎むような。騎士は何も言おうとはしなかった。

Fate/Revenge 5. セイバーの弱点-②に続く

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北条風奈
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