ウェイバー・ベルベット番外編──町内会のお遣い/子供たちとの夏休み
※『Fate/Zero』二次創作です
※『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』『ロード・エルメロイⅡ世の冒険』ともに未読です
※『FGO』は未プレイです
※ライネスは男の子で、名前は同じだけど別人です
※登場するメインキャラクターはウェイバー、イスカンダル(今回はちらり)です
※教え子たちは『ウェイバー・ベルベット──生命の礼装』から登場しています
※時計塔の描写は『Fate/Zero』の説明から逆算できるものにしています
シリーズ前作『時計塔の探求者』→『生命の礼装』
※ウェイバーと凜は時計塔で出会っています
町内会のお遣い
その年の夏休みはウェイバーの生涯において、最も騒がしかったと言っていいだろう。もしかしたら、聖杯戦争において征服王イスカンダルと暮らした、あの時よりも。
ウェイバー・ベルベット二十歳。第四次聖杯戦争においてライダー座で召喚されたアレクサンドロス三世のマスターとなり、史上最悪の殲滅戦となった戦場を生きて駆け抜けた数少ない魔術師の一人……なのだが、現状は、
「ほら皆、よそ見しない! タクシーの乗り場はこっち! 荷物に注意!」
携帯片手に子供たちを引率する若すぎる先生である。
成人しているとは思えないほど細く、小柄な身体。そして少年のように瑞々しい儚ささえ感じる顔立ちに、きりっと引き締まった鉄色の瞳が沈む。切りそろえた真っすぐな黒髪が細い首筋をくるりと囲い、彼が肩を上げるたび、カーテンのように揺れていた。
「僕の後についてきて」
関空の到着フロアでやたらと背の高い子供たちを先導し、彼は次々と携帯で連絡を入れていく。小さなスーツケースに旅慣れた様子がある。
「Ja, Meister. すごい、本当に日本に着いちゃいました」
鮮やかな金髪をなびかせ、マックスことマキシミリアン・ファウストがスーツケースを四つもカートに積んで運んでいる。まだ十五歳だが、すでに180cm越えの長身ですっきりした顔立ちと相まって目立つ少年だ。長い手足が映える麻の半袖シャツとスラックスは鮮やかな紺で統一されている。
「はあ、毎度のことながら、荷物出てくるのチョー速ええ」
こちらもスーツケースを二つ積んで移動するのはライネス・アーチゾルテ・アーチボルト。十七歳だが十代続く魔術家門アーチボルトの後継である。こちらも180cmジャストの長身でマックスより色合いの薄いもしゃっとした金髪が空調の風に揺れる。薄水色の瞳も日本では目立つ。冬木に来るのは二回目、元気いっぱいのサファリルックで完全にリゾートモードだ。
隣を周囲の視線を一身に集める見上げるほどの背の高い青年が歩いていた。彼は控えめに大きなスーツケースを一つだけ引きずっていて物静かだ。
プラハが黄金都市と言われた時代から続くユラーセク・フラヴナの現当主トリフォン。その身長は190cmを越え、一同の中でも抜けている。さらに、どう見ても20代半ばの若々しい顔立ちにも関わらず、髪が真っ白で、色白の顔に灰色の瞳と妙に色が薄いのであった。さらに夏らしい白いシャツとグレーのスラックスなど履いているものだから、ぬぼっと白い影が立っているようで、すれ違う人がびっくりするのであった。
「先生、皆で一台の車に乗るのは無理なのでは」
冷静なトリフォンの指摘は彼の特殊な経歴を垣間見せる。
「だからワゴンタクシー呼んだ。乗れるよ」
ウェイバーも聖杯戦争以降、紛争地域から片田舎を移動し、段取りにも慣れている。
「流石、先生!」
彼の背中をとんと叩いたのは手ぶらの少女。
それも振り返って見る人がいるほどの美しい顔立ちだ。
マックスの妹ミア-マリー・ファウスト。ドクトル・ファウストの再来とも言われる天賦に恵まれた超絶の魔術師にして絶世の美少女。華やかに輝く金髪は緩く波打ち、大きなぱっちりした瞳は青玉を嵌めこんだよう。地味な小花柄のワンピースまで光って見える。華やかな顔に浮かぶ、はっきりした表情がさらに人目を集めていた。
「ねえ先生、おうちは遠いの?」
「あー、そりゃ君の家みたいに便利じゃないし、狭いよ」
「普通のおうちが狭いことくらい知ってるわ。時計塔の前は普通の学校に通っていたんだもの」
「どうかなあ」
ウェイバーは苦笑いせざるをえない。
ミアの実家ファウスト家とライネスの実家アーチボルトはどちらも富裕で、彼らの普通が普通ではないことを思い知っている。
「とにかく、おばあちゃんちに着いたら、ちゃんと挨拶するんだよ。英語で」
「はーい」
「宜しくお願いします」
一同は予約したワゴンタクシーに山のようにトランクを積み込み、冬木への道をひた走る。
彼らは全て普通の人間ではない。魔術師の中でもトップクラスの実力を備える異能の子供たちだ。彼らが在籍するのは魔術師の最高学府・時計塔。ウェイバーはその頂点に立つソロモンの弟子という特待生であり、勝手に慕って集まった子供たちの面倒をみている。
元来、時計塔は大学専門課程のような存在で、各種行事は限られているのだが、これはまさに時計塔の修学旅行と化していた。
ウェイバーは聖杯戦争の際、市内に在住するマッケンジー夫妻を暗示にかけ、孫だと信じこませることで冬木での滞在費を節約した。問題は途中で何度も暗示が解け、夫妻の心理状態が不安定になって、ウェイバーが孫ではないとバレたことだ。
だが夫のグレンは、ウェイバーに孫の振りを続けてほしいと頼んだ。
それはウェイバーにとって驚愕の申し出で、最初は全く理解できなかった。
しかし戦争終結後も夫妻と暮らし、海外に住む本来の家族と断絶していることが分かると、ウェイバーの覚悟も定まった。
この親切な老夫妻を不肖の孫なりに大切にしようと決めたのである。
「ただいまー、おばあちゃん!」
ウェイバーがスーツケースを押しながら扉を開けると、奥からエプロンを掛けた老婦人が現れた。穏やかで優しい笑顔が印象的な妻のマーサ、ウェイバーにとっては日本の祖母だ。
「お帰りなさい、ウェイバーちゃん」
この呼びかけに後ろの子供たちが直立不動に変わる。
ウェイバーちゃん、だって。
子供たちから見ると、ウェイバーは隙がなく、普段から油断ならない空気をまとう異次元の存在であった。
だが彼はくつろいだ表情で照れたように一同を示した。
「ホントに来ちゃったよ、おばあちゃん」
「あらあら、まあまあ」
老婦人がサンダルをつっかけて三和土に降りた。
「いらっしゃいませ。小さなおうちでご不便もあると思いますけど、どうぞゆったり過ごしてくださいな」
子供たちは一斉にお辞儀した。
「宜しくお願いします!」
「お邪魔します」
マッケンジー邸の二階の客間にマックスとミア、トリフォンとライネスが収まる。ウェイバーの部屋のドアと各客間のふすまを開け、廊下で繋がれた空間を子供たちが行き来する。ここに泊まるのは数日の予定だが、それでも大変な騒ぎだった。
「わあ、このドア、紙でできてる!」
ミアが何度もふすまを開け閉めして面白がっている。
「破るなよ! ホントに紙だから」
ウェイバーは気が気でない。ミアがけろりと廊下に飛び出してきた。
「分かってるわ」
「向こうに見えるの、海ですよね」
トリフォンがウェイバーの部屋の窓から遠くを眺める。彼はあまりにも背が高すぎて、ドアを通る時もかがまなければならない。ウェイバーの部屋でも背中を丸めている。
「綺麗な赤い橋が架かってますね」
「そこで二回、死にかけた」
ウェイバーの言葉にトリフォンは言葉を失い、ライネスが笑い出す。
「つくづく本当に、ここが聖杯戦争の舞台なんだな」
「そうだよ。お前が座ってる、そこにだって、ライダーが座ってたんだ」
「分かってる。前に来た時も聞いたから」
夏用にテーブルに上げた炬燵の前でライネスが息を吐く。
「なんか落ち着くわ、ここ」
「だろ」
ウェイバーは嬉しそうだ。ライネスが肩を持ち上げてウェイバーを見上げる。
「俺たちが使っちまっていいの、思い出の部屋を」
「別に。イスカンダルも喜ぶさ。賑やかなのが好きだから」
ウェイバーは事もなげだ。
家の中を子供たちが往来する賑やかさはマッケンジー邸では初めてだったろう。
マーサは終始うきうきとして、大きなパウンドケーキを2本焼いてくれていた。ウェイバーが事前にメンバーを紹介するメールを入れていたので、顔合わせはスムーズに進んだ。いつもは広々としたリビングが子供たちでぎゅうぎゅうになる。
マーサは子育てを経験した女性だけあって、三人の子供とトリフォンも上手く捌く。
「ほらほら、紅茶は皆で回してちょうだい」
「はーい」
意外なことにミアがきちんと手伝いをする。彼女は楽しそうに皿を運んだり、ケーキを切ったりする。しかも、ちゃんとできているのだ。
「ミア、えらいね」
マックスが賞めてしまうと、ミアは胸を張った。
「女子寮のお菓子の会に入ってるもの」
「皆さんはウェイバーちゃんと同じ学校なのよね。皆、同じ寮なの?」
マーサの質問にライネスが肩をすくめた。
「うちの学校、女子寮がすげえ厳しくて。俺とマックスは同じ寮ですけど、リフは別の寮」
「そうでしょうね」
マーサがお盆をかかえて一同を見渡す。
「ウェイバーちゃんは、あまり学校の話をしてくれないのよ」
「おばあちゃん」
ウェイバーの鋭い視線が子供たちをすばやく撫でる。
もちろん、子供たちには魔術師であることは絶対に秘密と厳命してある。彼らも一般人であるマッケンジー夫妻に正体を話すつもりはないので、その点は安心だ。しかしウェイバーにとっては、時計塔の危険性の高さや特殊な人間関係についても伏せておきたいのだ。
「ねえねえ先生、凜は? 呼ばないの?」
ミアが誤魔化すように声をあげた。マーサがにこにことウェイバーを覗く。
「あら、まだお友だちが増えるのかしら」
「ああ、大丈夫。凜はここに住んでるから」
揃えた黒髪を指で解くウェイバーにマーサが目を丸くした。
「ウェイバーちゃん、冬木にもお友だちがいるの」
「うん、知り合ったのはあっちなんだけど、深山の上の遠坂さんちの娘さんだよ」
「あらあ」
マーサがお盆をぎゅっと抱いて、ぽかんと開いた口が塞がらない。
「……お山の上は豪邸ばっかりよ。そんな、おうちの娘さんと。まあまあ」
「まだ小さいんだけど、おうちのことで大変みたいで。夏休みに会う約束はしてるんだ」
「まあ」
「後で電話して日程を決めるよ」
ウェイバーが肩をすくめる。
「皆もいいか」
「はーい」
全員の手が挙がる様子をマーサが微笑ましく見つめている。ウェイバーはきょろきょろと部屋を見渡した。
「そういえば、グレンは。見てないけど」
「あの人ね、募金の集金に回っていて。今年の初めに大きな地震があったものでね。町内会で寄付金を出すことになって」
「町内会って何ですか」
リフが不思議そうに背中をかがめてマーサを見つめる。ぱっとミアが手を挙げた。
「あたし知ってる! ドイツにもあるよ、町内会。御近所さんで組むやつでしょう」
眩いミアの笑顔にマーサが優しく頷いた。
「そうよ。たぶん一緒ね。同じ地区に住む人たちが有志で組織を運営して、季節の催しものとか、今回みたいに非常時には寄付を出したり、いろいろなことをするのよ」
「へえ、日本て変わってる」
ライネスが乗りだして、リフは肩から力を抜いた。
そこにグレンが帰ってきた。
「おや、間に合わなかったな。これは失礼。出迎えもしませんで」
回覧板と封筒型の段ボールを持ったグレンが戻ってきた。白髪の紳士ですらりと背が高い。年を感じさせない若々しさがある。
ウェイバーが立ち上がって子供たちに紹介する。
「僕の日本での保護者、Mr.グレン・マッケンジーだよ」
子供たちがいっせいに立ち上がり、会釈する。
「お邪魔しています」
「お世話になります」
「どうぞ宜しく」
礼儀正しい子供たちの様子にグレンは安心したようだ。挨拶を交わすと、すとんといつものソファに納まった。
「さて。これを会長さんの家に持っていかなきゃならないんだが」
グレンが揺らすと、封筒型の段ボールの中で小銭の当たる音がした。
リフがさっと青ざめた。
「まさか、寄付金て、その中に入ってるんですか!?」
「そうだよ。ちょっと驚くだろう?」
グレンも膝の上に立てた箱に手をかけて笑う。
「寄付を集めるって、うちの地区でもあったけど、パパは普通に振り込んでたけど」
ミアがぽかんとしている。
「うちの国だったら絶対、途中でなくなってる」
「ていうかさ、もう二軒目でガメられるとしか思えねえ」
リフは頭をかかえ、ライネスが両手を上げて肩をすくめる。
グレンが声をたてて笑う。
「私も最初は同じように思ったけど、日本ではこれで充分なんだ。誰もお金をとったりしないし、箱を盗む人もいない。それが日本なんだよ」
「ふああ」
子供たちのため息がリビングに満ちる。
「グレン、疲れたでしょ。僕が持っていくよ」
ウェイバーが立ち上がる。マッケンジー邸は深山の丘の裾野に位置する。町内会の用事で歩き回ると自動的に坂を上り下りする形になり、グレンやマーサには少し大変だ。ウェイバーには分かっている。
「間桐さんち、判るかい」
グレンの言葉に子供たちが静まりかえる。
間桐って、マキリ!? あの、マキリかよ!?
魔術師の世界には名高い家門がいくつかある。筆頭が『始まりの御三家』で、遠坂と間桐がそれに当たる。ことに間桐は謎多き一族で、その頭首ゾォルゲン・マキリ、日本名・間桐臓硯は五百年以上も生きていると噂であった。
トリフォンは一般家庭で育った特殊な魔術師で、そういったことをよく知らない。彼だけは平静だった。
黙りこむ子供たちの前で、ウェイバーがドア横に貼られた町内会の地図を指でなぞる。それは日本語で印刷されていたがマーサがアルファベットで注釈をつけている。
「ええと。あ、ここだ。うん、分かったよ」
ウェイバーが子供たちを振り返る。
「半時間くらい留守にするから自由にしてて」
「ちょっと待って、師匠」
ライネスがさっと立ち上がる。マックスもぽかんと伸び上がった。
「町内会の会長さんて、Die Größe von Machieliなんですかっ」
「うん、そうなんだよね」
ウェイバーが意味ありげに視線を落として笑う。
「君たち、会長さんを知ってるのかい」
乗りだすグレンに、さっとウェイバーが言葉を継いで誤魔化した。
「会長さんて、僕たちと同じ学校の出身なんだよ」
嘘ではない。遙か世紀の前に遡るが、彼は確かに時計塔に在籍していた。
「先生、行くのっ?」
ミアがくるっと立ち上がり、ウェイバーの服をつかんだ。
「お金だからね。行っちゃった方がいいでしょ」
ウェイバーは腹をくくって頷いた。
それに、怖いもの見たさというか、本当に間桐の家がマキリ、魔術師なのか知りたい気もしていた。なにしろ、あまりにも近くに二つも大きな魔術家門が住まいしているのだ。マッケンジー夫妻に迷惑がかかりそうなら対策を考えなければならない。聖杯戦争の間、間桐の魔術師が参戦していたのだが、ウェイバーは姿も見ていない。なんというか、実感が持てないのだ。
「じゃ、あたしがついてってあげるね」
ミアが華やかな笑顔で見上げる。
ウェイバーはぎょっとしたが、唐突にため息をついた。
「君が? まあ、一番適任だとは思うけど」
「でしょ? 先生は一人になっちゃダメ。分かってるでしょ!?」
まとわりつくミアにマーサが笑った。
「日本は治安がいいの。大丈夫よ。でも一緒に行きたいなら、ウェイバーちゃん、ちょっとお外を見せてあげなさいな」
今から行く先の治安は地獄の奥底だよ、おばさん……ライネスは思ったが口には出せない。腕組みしてミアに合図した。
「よし、お前、行け。分かってるな」
「当たり前でしょ。先生のために行くのよ」
ミアは青い目を眇めて胸を張る。
「そうと決まれば、さ、行こう。先生」
「ええ。いいけどさ」
ミアに引っ張られるようにウェイバーは外へ出た。
深山の丘は午後の海風が吹いて、しっとりと涼しくなっていた。夏の夕暮れ、住宅地は様々な人が行き来する。涼しくなってから買いものに出る人、犬を散歩させる人。庭には水撒きや打ち水をする人が多く見られる。さあっと涼しい音が街のあちこちで響いている。
「へえ、先生の家って結構いいとこにあるのね」
「まあね」
深山地区は大きく三つに分かれる。麓の閑静な住宅街。ここにマッケンジー邸は位置している。丘のてっぺん周辺は大きな龍脈が覗いており、雑木林が広がる。イスカンダルを召喚したのも、そこだ。
そして地区の代名詞ともいえるのが丘の中腹に広がる高級住宅街。ここは完全に別世界と言っていい。大きな区画に様子の違う豪邸が点々と並ぶ。そのほぼ中心に遠坂邸があり、地区の入口に立つ偉容の城館がマキリ邸であった。
「え、ここなのか!」
ウェイバーは前まで来たものの、足が止まる。豪邸どころか、圧倒的な質量を感じさせる完全な城だ。
ミアは無邪気に乗りだした。
「へえ、いいお城ね。昔のままなんだわ」
「分かるの」
「ドイツには古いお城がいっぱいあるわ。そんな感じね」
ワンピースの腰に手をあててミアが胸を張る。彼女は伸び上がって、大きな門柱のインターホンを押した。
ピンポーン!
音が鳴っただけでウェイバーはぎょっとした。あれ、普通のインターホンなんだ!? いや、違うだろ。ここで魔術的な呼び出しなんかしたら、完全に果たし状ノリになるってもんだよ。これでいいんだ、これで。
ほどなく、インターホンから聞いたこともない小さな女の子の声がした。
『はい、間桐でございます。どちら様でしょうか』
慌ててウェイバーは乗りだした。日本語だったが、構わず英語でまくし立てた。
「下の地区のマッケンジーです。寄付金を届けに来ました」
すぐに相手が対応を変えた。丁寧な英語で返答がある。
『おじいさまがお会いいたします。そのまま玄関へお越し下さい』
「どうも」
ウェイバーはミアを連れて、広大な車止まり──ここだけで家が一軒入りそうだ──を登り、玄関前に着いた。
すると、音もなく扉が開いた。
ウェイバーは息を呑んで緊張する。
扉の奥の暗がりから小柄な老人が現れた。存外穏やかな表情で、洒落た羽織と着物を合わせ、杖をついている。目は炯々と油断がない。
彼はすぐミアに目を留めた。
「ははあ、先程からやたらと眩しいものが行きかっとったが、お前さんたちじゃな」
「Guten tag, Die Größe.」
ミアがワンピースを持ち上げて会釈すると、二人は賑やかにドイツ語で話しはじめた。
『時計塔への推薦状をありがとうございました。無事に入塔できました。日本で会えたらお礼を言いなさいって、おばあさまが』
『マルガレーテは息災か』
『元気です。おばあさまにはダグラス・カーのおじさまがついてるから』
『ははあ、なるほどな。そうであった。それで、お前さんらはどういうわけで冬木におるのだ』
『先生のうちに遊びに来たの!』
ミアがさっとウェイバーを示す。ウェイバーは慌てて小さく会釈した。ドイツ語はさっぱり解らない。
「どうも」
ウェイバーは小さくお辞儀した。
すると臓硯は不思議そうにウェイバーを見つめた。ミアに耳打ちするように囁く。
『家庭教師か、これは』
『うん、そんな感じ!』
それはウェイバーの人生において、最も屈辱的な瞬間であった。
何故なら、間桐臓硯はウェイバーを魔術師だと認識しなかったからである。ライダーのマスターであり、生き残ったことは承知しているが、それとこれとは別なのだ。ウェイバー程度の魔術回路であれば、そうと知らずに内蔵している一般人も多い。大した魔力も生成できないウェイバーなど、臓硯の基準で言えば一般人の領域だったのである。
現代において、魔術家門がかかえる悩ましい問題として、後継者の進路がある。時計塔に入りたいのはやまやまだが、そうしてしまうと社会一般で通用する教養を身につけるのが難しくなる。そのため裕福な魔術家門は子供を時計塔に在籍させた上で、長期休暇に一般校のサマースクールに押しこんだり、自宅で家庭教師をつけるのが一つの選択肢になる。
臓硯は、ウェイバーを勉強などをみる家庭教師だと思いこんだのだった。
だがしかし幸いなるかな、ウェイバーは全くドイツ語が分からない。
臓硯に相手にもされなかったことなど知りえようがなかった。
「あの、町内会の寄付金です。こちらをお届けに」
ウェイバーが箱を差し出すと、突然、臓硯は好々爺然とした笑顔に変わり、箱を拝むように受け取った。彼は流暢な英語でねぎらった。
「ご苦労さん。確かに受け取りましたぞ。こちらの娘さんは、わしの古い知り合いの御子孫でな。宜しく頼む」
「はい、僕もそのつもりです」
「では愉しい夏休みを」
臓硯がさっと枯れた手でミアの頭を撫で、手を振って館の奥に消えた。
「はあ……」
ウェイバーはため息をついてミアに目配せする。
喋れるようになったのは敷地を出てからだ。
「……本当にあれがゾォルゲン・マキリなのかな」
「そうだよ。あたし、前にも会ったことあるもん」
「ええ、そうなのかっ?」
両手を上げて飛ぶようなウェイバーにミアが無邪気に笑う。
「別に怖くないよ。御先祖様の友達だもん」
「遠すぎないか、それ」
「そんなことないよ。おばあさまとも知り合いだもん」
「意外に普通だった……てか、あれで五百歳なのか、本当に」
「御老、身体は人間じゃないみたいだからね。先生、気づかなかった?」
ミアがいたずらしたように真っ青な目をくるくるさせる。ウェイバーは脱力して深山のきつい坂道を下る。手がふらふらと夕風に舞う。
「いやあ、緊張して、それどころじゃなかったというか」
あの館の奥の異様な気配に呑まれたというか。
ゾォルゲン本人よりも、あの城の底に何かある気がした。なんとも気味の悪い空気が昇ってきていた。
「変な感じだったな……」
「御老は蟲使いだから。ちょっと人間以外の気配が漂ってるよね」
ミアの言葉にウェイバーは瞬きした。振り返ると、もう城は見えない。足元の龍脈の方が強く反応して、意識すると気になる感じはした。
「とにかく終わった。Thanks, Mia.」
「へへえ、どういたしまして」
家に帰ると、マーサが迎えてくれた。ミアも元気いっぱいに到着。ワンピースを揺らして靴を脱ぐ。マーサが靴の向きを揃えてくれる。
「お散歩。どうだった、ミアちゃん」
「楽しかったです。きれいな街ですね」
「そうなの。いいところでしょう。ウェイバーちゃん、ちゃんと渡せた?」
ウェイバーは指を靴の踵に引っかけて頷いた。揃えた黒髪がさらりと揺れて音が鳴る。
「うん、会長さんが家にいて渡せた。大丈夫だよ」
「よかったわ」
「あのさ、マーサ。間桐さんて、いつから会長やってるの」
ウェイバーが聞くと、突然マーサはぼんやりとした、暗示にかかっている人間特有の表情を見せた。
「さあ、いつからだったかしらねえ。とにかく長いわよ」
「……ふうん」
もしかして、僕の暗示がかかりにくかったのは間桐臓硯のせいか? すでに、ある暗示にかかっている人間に上書きするのは難しくなる。暗示内容が齟齬を起こしたりしなければ大した問題はないとはいえ。
ライネスも玄関先に現れた。彼はサファリジャケットのポケットに指をかけて、じっとウェイバーの顔を覗きこむ。
「よかった。無事で」
「お前まで。つくづくお前も心配性だな」
ウェイバーが肩をすくめてしまうと、マーサが嬉しそうに笑った。
「本当にウェイバーちゃんは慕われているのね。安心したわ」
彼女の笑顔を見ると、ウェイバーはちょっと止まった。
「……そうかな」
「そこは俺が保証するところで。マダム」
ライネスがにかっと笑って、マーサがにこっと笑い返す。
「ウェイバーちゃんを宜しくね、ライネスさん」
「はいな」
マーサがキッチンに戻っていく。その後ろをミアが楽しそうについていく。今日は皆でマーサを手伝いながら大パーティだ。シーフードの苦手なミアに合わせて、海老やチキンを揚げまくる。食べ盛りの子供がウェイバー自身も含めて四人にトリフォンもいる。
「大騒ぎだな」
「いつもと変わらないと思うぜ、師匠」
ライネスもリビングに方向転換。ウェイバーはちょっと肩をすくめる。
本当に信じられないよ、イスカンダル。
お前と過ごしたみたいに、こんな賑やかになるなんて。
坊主、どうだ。楽しかろう? 余も皆で野営をするのが楽しかったのだ。知らぬ街に行くことも。未知の文化に触れること自体が余の時代には贅沢な体験だった。貴様と仲間たちは幸いだぞ。
ウェイバーは長い睫を伏せて微かに頷く。
「うん、そうだな。ライダー」
ウェイバーがキッチンに入っていくと、少しだぶつくエプロンをしたミアがぎょっと振り返った。
「やだ、先生、料理なんてできるんですか」
「手伝いくらいするけど」
「さあ、海老に衣をつけてちょうだい。なるべく薄くね」
マーサの指示にミアが海老を奇妙なものを見るように見つめている。ウェイバーは低く苦笑しながらエプロンを締める。
「分かった、海老は僕がやるよ。ミアはフライドチキンの用意」
「いいわ。任せて!」
リビングではグレンが子供たちを庭に誘う。
「さあ、取れたてのトマトを食べたことはあるかい? 今日、食べる分を収穫しよう」
「トマトだ。たくさん、なってますね」
トリフォンが縁側から外へ身体を伸ばして感心している。グレンはプランターで夏野菜を育ててくれていた。ライネスがグレンを楽しそうに見上げる。
「自由に穫っていいんですか」
「もちろん。食べたい分だけ穫りなさい。こちらの種類はグリーントマトだから、青くても熟れているよ」
「へえ。美味そうっすね。やりますか」
ライネスがサンダルに足を突っこんで庭に出る。
家中にこだまする子供たちの声。
夏休みは始まったばかりだ。
ウェイバーを中心とする二次創作はこれで終わりです
御要望があれば続きを書くかもしれません
ご愛読ありがとうございました!
ギルガメッシュとアルトリアさんが好きな方へ
マックスとミアに間接的に関わる話