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ウェイバー・ベルベット──時計塔の探求者-②時計塔への凱旋

※『Fate/Zero』二次創作です
※『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』『ロード・エルメロイⅡ世の冒険』ともに未読です
※『FGO』は未プレイです
※ライネスは男の子で、名前は同じだけど別人です
※登場するメインキャラクターはウェイバー、ギルガメッシュ、イスカンダル(ウェイバーと直接会うことはありません)です
※時計塔の描写は『Fate/Zero』の説明から逆算できるものにしています
※トップ絵は大清水さちさん https://twitter.com/sachishimizu に依頼しました

     2. 時計塔への凱旋

 時計塔は時代錯誤な美しい建物だ。
 バロック様式の高い塔が目立つ。
 外からは名前の通り、大きな時計塔と連結した母屋があるだけで、広い敷地でもない。だが内部に魔術で織りこまれた広大な空間が存在し、たくさんの施設が配置されている。その位置は魔力を持つ者しか座標を把握できず、一般人が迷いこんだとしても、自然に外に出されてしまうようになっている。
 主な施設は魔術師や管理者セカンドオーナー、刻印などの管理・登録を担う魔術協会本部と、魔術師たちの最高学府・時計塔の二つに分けられる。
 表向き、時計塔は私立一貫校インディペンデント・スクールということになっていて、多くの学生や魔術師が出入りしても疑われないようになっている。
 ウェイバーは腕を押さえて歯を食いしばり、時計塔に出頭した。
 入口には本当に学校のような事務局の受付がある。
 ここが外部との唯一の接点だ。
 そして、学校としての時計塔はともかく、魔術協会本部は魔術師にとっても蜘蛛の巣と見紛う魔術の迷宮だ。
 もう、こうなったら、時計塔の技術系術師になんとかしてもらうしかない。血縁でもない刻印なら、簡単に引っこ抜けるはずだ。そもそも、ちゃんと定着してるはずがない!
 ウェイバーは藁にも縋る思いで、事務局に経緯を説明した。
 特に、了承なく勝手に刻印を移植されたという点は強調できたつもりだ。
 しかし事務員の反応は芳しくない。
「はあ。あのう、アーチボルト家との事情はそちらでなんとかして下さい。時計塔は仲裁所ではないので」
 切れそうになったが、ウェイバーは歯ぎしり──痛みが増す時がある──しながら、頼み込んだ。
「だったら、刻印管理課に紹介状をいただけませんか。とにかく、なんとかしたいっていうか」
「はあ。少々お待ちください」
 流石は本人受取の配達物をウェイバーに託すだけはある事務局だ。こいつらを信用していいのか、一番分かんないと思ってんのは僕なんだよっ!
 ほどなく、事務員がぺらっとしたリボンのようなものを渡した。
 それはウェイバーが触れると光に変わり、手首にくるっと巻きついた。
 刻印管理課は時計塔の最下層、魔術によって作られた重層空間の奥にある。
 手の光が目標座標へのガイドになる。ウェイバーはどこと意識せず、歩いているだけで自然に目指す場所に着く。何度か階段を降りて、あらぬ方に曲がった。次第に周囲は薄暗くなり、地下の様相を呈した。
 唐突に目の前に扉が顕れた。
 ウェイバーが触れるまでもなく、扉が開き、冷気が流れ出た。
「おや、お客様かな」
 中は薄暗い石室で、墓室に入る気分になった。
「すみません、事務局で紹介をもらってきたんですけど」
「ああ!」
 若い術士が声をあげた。
「いやあ、貴方に時計塔で最初に会えるなんて。ちょっとした自慢ができますよ。いらっしゃい、ミスタ・ベルベット」
「ああ、ありがとうござい、ます」
 ウェイバーは思わぬ反応にしどろもどろだ。
 それは自分を歓迎する言葉であり、そして、こちらの緊急性を全く理解していないような、のんびりした口調に対してだった。
「あの要件が来てると思うんですけど」
「はい。伺ってます」
 んじゃ、早くしろよ、マジで!
 頭の中と口から出た言葉は違う。
「これは僕が持ってるべきじゃなくて。とにかく外してください」
「そうですねえ」
 術師の青年が空中に手を滑らせると、ウェイバーには分からない書式が光る文字で宙を流れた。
「その刻印はですね、アーチボルト家当主スリーテンが請け出しまして、実験のために貴方に移植するという届け出が受理されております」
「実験!? 何ですか、それ、聞いてないッ」
管理課うちは聞いてますので。どうしても摘出をお望みですか。実験期間は無期限となっておりますが」
「なんですかー、それはー」
「無期限です」
 術師がにっこり微笑むに至って、ウェイバーは思った。
 分かったよ、ここはサディストの群れなんだな。
 僕がどんな痛みに耐えてるかなんて、楽しみの種でしかないってわけだ!
「ただですね、天文学的な非っ常ーに低い確率ですが、定着してしまう場合があります。その際は御容赦ください」
「は?」
 何それ。なんの前振り。
「あの、これ。とにかく見てもらえませんか」
 ウェイバーは焦って袖をめくった。薄いカーディガンとシャツの下に、ぼんやりと黄色い光を放つ複雑な模様が埋めつくす腕がある。
 術師の青年が面白そうに覗きこんだ。
「あれ、やっぱりダメですかね。でも起動してるような」
 彼は言うのだが、ウェイバーはケイネスではないのだ。この刻印がどんな魔術で、どういう効果を持つのかは全く分からない。なにしろ術を発動させることができないので。仮に発動できるとしても、ウェイバーでは魔力が足りない。
「僕は、全然、よくない、です!」
「このままだとご生活にも支障があるようですし、とりあえず刻印の状態を確認しましょうか」
 それだよっ、それ。最初になんで、その言葉が出ないんだよ!
「お願いします」
 ウェイバーは石室の壁に沿った魔術装置に腕を通した。青年が空中に展開する術式はどれも見たことのないもので、それはとても興味深かった。凄まじい激痛がやってきたりしなければ、もっとたくさん見たいと思った。
 ほどなく青年が感心した叫びを上げた。
「すごい。初めて見ました。完全に定着してます。いやあああ、めずらしいですねえ。生きてるうちに、こんなものが拝めるなんて! 論文ものですよ」
「そんなこと、どうでもいいんで!」
 ウェイバーはおかっぱを振り乱して叫び返した。
「早く取りだして下さいよッ」
「この状態だと正式な術式を通さないと刻印は取り出せません」
「じゃ、それ。それ、やって下さい。僕は冬木で見たんです。刻印を摘出する術。あれ、やっちゃって下さい!」
 焦るウェイバーの口調は早くなり、彼の切迫した空気をよく表していた。 
「そこまで仰るなら。実験の休止を禁じる事項はないので、やってみましょうか。やはり他家の刻印を植え付けるというのは問題があるとは思いますしね」
「そうでしょっ、そうですよ、だめですよ、こんなの」
「じゃあ、とりあえず遺体を出して」
 青年が用意を調える間、ウェイバーは壁により掛かって呻いているしかなかった。下手に装置に通した分、刻印の活動が上がり、気が遠くなりそうだった。それからウェイバーは空中に浮かぶ寝台に横たわり、あの不思議な術式を受けた。
 もうすぐ楽になれるはずだ。
 そう信じていた。
「あれ?」
 青年の訝る声が耳に届くまでは。
「変だな、分離できない」
「!」
 ウェイバーは横目で青年が操る術式を解析した。
 全く初めて見る術というわけでなかったのが幸いしたが、細かいところが解らない。刻印管理は特殊な領域だったからだ。
「ミスタ・ベルベット」
「……はい」
 ウェイバーは死刑宣告を受ける気持ちを理解した。きっと、こんな気持ちだ。
「抜けません」
「は、はい?」
「この術式で分離できるはずなのですが、何故かできない」
「どういうことですかっ」
「再試行します」
「そうして下さい、早く!」
 ウェイバーはもう一度、不思議な術を目撃した。こんな術を一生のうちに何度も見るなんて、自分くらいのものではないかとさえ思った。専門外なのに、十回以上は拝んでる。こんなの普通じゃないって。でも、ちょっと解ってきた。基本の術式は完全に理解した。調整事項の加減が面倒だな……ま、使うことないだろ。
「やっぱりダメです」
 青年が装置の計器を調べて肩をすくめた。
「左手に移植したのが功を奏しているようですね。刻印が心臓まで到達してまして。完全に癒着しています」
「なんで?」
 思わず声に出たウェイバーに青年が微笑んだ。
「さあ」
「アナタ、専門家でしょっ」
「こんなことを言うと失礼かもしれませんが、血統が浅いので。刻印に食われている可能性があります。刻印の方が貴方を造り替えて、属性自体を移行させてしまうかもしれません」
「は、はひ?」
「大丈夫です。死んでしまえば、それはフツーに出せますので!」
 いや、大丈夫じゃないだろ。
 死んだら、これは僕の刻印になっちまって、先生のうち●●に返せなくなる。
 最悪すぎるって。
「なんで、こんなことに」
 僕は僕として生きていないといけないのに。属性が変わって、本来の僕でなくなったら、あいつに会えなくなるかもしれない。
 それだけは嫌だ。
 絶対に認めない。
 僕はあの人の下に馳せ参じるために自分を磨きたいんだ!
 坊主、諦めるな。方法はある。
「分かってるよ、ライダー」
 ウェイバーが呟いてしまうと、術師の青年が奇妙なものを見るようにウェイバーを観察していた。
「……最後の方法ですが、治癒課に行かれますか。少なくとも痛みの軽減は可能です」
「本当に?」
「はい。今、紹介状を出しますので」
 これが体裁を取り繕った厄介払いだと分かっていた。時計塔の中の勢力図は複雑怪奇で、誰が誰に加担するか分かったものではない。失墜したとはいえ、アーチボルトはやはり有力家門で、僕から刻印を外さないよう、根回しされているのでは。ウェイバーの頭に浮かぶほど、何を信じていいのか分からない。
 ほどなく、同じような青いリボンを渡された。
 しゅー……
 リボンが腕にまとわりついた瞬間、ウェイバーは不思議な安らぎを感じた。急に気が抜けて座りこみそうになった。
 痛みが、消えていた。
「じゃ、後は治癒課で宜しくお願いします」
「ありがとう……ございます」
 ウェイバーは青く光るリボンをじっと見つめた。
 これはいったい、どのような術師によるものか。異次元の力を感じて、ウェイバーは目が離せなかった。


 ウェイバーが地下室から出ると、上に向かう階段が顕れた。さっきまでなら痛みのあまり、階段を昇ることはできなかっただろう。だが今は足が軽い。
 窓の外は光があふれ、清かな風が吹いてくる。
「きれいだ」
 向日葵の花がランズヘッドを飾って、黄色とオレンジのグラデーションを作る。風に揺れる花の前にさまざまなハーブの茂みが互い違いに並んでいる。ウェイバーは気がつくと庭に出ていた。
 白い鉄の門扉を開くと、そこには小さなガーデンテーブルがあり、美しい少女が立っていた。
「ヨウコソ ウェイバー ベルベット サマ」
 ウェイバーは我が目を疑った。
 それは、かの王、英国の魂たるアーサー王──青いドレスに金糸刺繍のペチコートを揺らし、結い上げた金髪に細い青いリボン、ああ、寸分違わぬ姿でいながら、その目は瞬き一つしない。少しゆっくりした動き方も違う。セイバーはとても速かった。あの目はいつも鋭かったが、目の前の翡翠の瞳はガラスのように動きがない。
 人造生命体ホムンクルスだ。
 魔力の形が人とは違う。
「ヨウコソ オマチシテイマシタ」
「治癒課はここでいいのかな」
「ウケタマワリマス」
 アーサー王の姿を持つホムンクルスがくるりと踵を返す。芝の上をゆったり歩く人形の後ろをウェイバーはついていく。
「Tho’ Merlin sware that I should come again!(再び戻らんとマーリンは誓いしを)」
 『アーサー王の死』の一節だ。
 ウェイバーが瞬きする間もなく、ティの調ったテーブルの前にいた。
 チェシャ猫でも出るのではないかと視線を巡らせると、優しげな女性が向かいに座っていた。
「こんにちは、ウェイバー・ベルベット。大変な災難に遭ったものね。スリーテンが本当にやるとは思わなかったわ。やっぱりメイヴの血筋は容赦がないのね」
「初めまして。あの、マダムとお知り合いで」
 ウェイバーはちょっと会釈して観察する。
 彼女は豊かな黒髪を無造作に流し、時代錯誤にも思える黒と灰色の地味なドレスに身を包んでいた。腰まで届く肩章が下がり、手には古風な杖を持っていた。まるで女王陛下のようだ。面長の顔立ちに鮮やかな青い瞳。ハイランダー、そしてケルトの血の特徴だ。
「そうね。私たちは古い血統で。それはそれは古い家で。付き合いも長いものでね」
 彼女が仕草で座るように示したので、ウェイバーはガーデンチェアを少しだけ引いて滑りこんだ。不思議なほど空が明るい。
「わたしはブリギット・グレイン・ダグラス・カー。英国王室付首席魔術師。いわゆる宮廷魔術師よ」
「!」
 祖師マーリンから続く伝説の血統ダグラス・カー。未だにハイランドに本拠地を置き、長年に渡って宮廷と戦場、外交の裏舞台で暗躍してきた。その最大の功績は医療。彼らの魔術は他と一線を画している。
「わたしが治せることだといいけれど」
「その前に」
 ウェイバーは聞かずにはいられなかった。
「あのホムンクルスは何ですか」
「ああ、初めて見たのね。貴方は彼女が誰か●●●●●、判るのよね」
「はい」
「あれは父が作らせたモデルなの。時計塔産でアインツベルンのものほど優秀ではないけれど。あそこのホムンクルス、すごいわねえ。魔術中継で見て、びっくりしたわ」
 くすくす笑うブリギットにウェイバーはため息をついた。彼女と一緒にアインツベルンの庭で、イスカンダルとアーサー王、そしてギルガメッシュとともに酒宴を催したなど、御伽話のようだった。
「きれいな人でした。最初、よく解らなくて。なんか変だなと思ったんですけど。髪は真っ白で目が赤くて。白変種アルビノだったし。でも普通の人間にしか見えませんでした。魔力の質がちょっと違うだけで」
「あれは始まりのユスティーツァの複製体ですからねえ」
 ブリギットがウェイバーにお茶を勧める。
「さあ、貴方のお話をしましょう。貴方はどうしたいの」
「この刻印が」
 ウェイバーはシャツの袖を開いて腕を見せた。ブリギットは青い目を眇めるようにして睨みつけた。
「これはアーチボルト家の刻印です。僕が持つべきものじゃない。マダム・スリーテンが、どうしてこれを僕に移植したのか、分かりません。でも、ものすごく痛くて。魔力もどんどん吸い取られるし。僕は、あの、あまりいい回路を持っていなくて。本当になんとかしたくて」
 気の強いウェイバーが、ここまで言ってしまうほど刻印の痛みは深刻だった。
 ただでさえ、効率重視でエリートたちに対抗してきたウェイバーだが、それに限界を感じるほど、魔力消費もつらかった。
「この刻印をアーチボルトに返したいんです」
「そうね。ちょっと失礼」
 ブリギットがウェイバーの左手を握る。彼女は眉を寄せて目を閉じていたが、顔を上げた。
「通常の術式では取り出せないようね。わたしのところに回されてくるわけだわ」
「外せますか」
「結論から言えば、外すことはできます」
 ブリギットがいたずらっぽく目を巡らせた。
「わたしの起源は『回復』。全てのものを本来のあるべき状態に戻すことなの。だから貴方に術をかければ、貴方の身体は元の状態に戻ります。ただし、その結果として、刻印は消滅するわ」
「え……っ」
 それはウェイバーが望む答えではなかった。
「消滅するってことは、要するに、リセット? なくなってしまうってことですか」
「そうね。刻印は貴方じゃないから」
「それはできない。先生の刻印を僕が勝手に消してしまうなんて」
 愕然とするウェイバーにブリギットが微笑んだ。
「では保留ね。状態からいって、今のところ、貴方の生命が危機に陥るほどではないようね。痛み止めの施術はできます。貴方の身体は何もなければ、痛みを感じていない。その状態に感覚神経だけを戻すことができる。どうする?」
 ウェイバーは座ったまま、会釈するようにお辞儀した。
「……お願いします」
「分かりました」
 ブリギットが黒髪を波打たせて、にっこり頷いた。
「ではティを召し上がれ」
「それでいいんですか」
「そうよ。ティは万病を癒やすのよ」
 ブリギットのお茶は金色のミルクティとショートブレッド。セイバーと同じ姿を持つホムンクルスがお茶を淹れ、輝くミルクを注いでくれる。熟れて、つやつやと輝く苺。小さな胡瓜のサンドイッチ。
 ウェイバーは不思議な気持ちでお茶を受けた。
「刻印の移植って変わった術式ですね」
「貴方、鉱石科でしょう。全く畑違いなんじゃない?」
「見ているうちに術式の基本理論は分かりました」
「見てるだけで?」
「そういうの得意なんです。全然、使えないんですけど」
「やっぱり、貴方、天才だわ。聞いたことがないくらいの才能だわ。ただね、刻印の処理は、身体機能の基底に沿った回路の構築に関しては参考になるわ」
「意外と土ですよね。あれ」
「結局、身体性に関わるってことは王国マルクトの領域だから。でも、あれは誰でも使える術式の一つよ。向き不向きは属性より性格じゃないかしらね。職場も特殊だし」
「あはは、確かに。僕はあそこはちょっとだな」
 ブリギットと魔術理論について検討するのが楽しかった。彼女はウェイバーを馬鹿にしたりしなかったし、話が早く進む。ウェイバーは術の行使は苦手だが、魔術の解析や理論構築、観察や分析は図抜けている。聖杯戦争に参加したメンバーで唯一、自力でキャスターの居場所を割り出したのは伊達ではない。
「貴方、本当に面白い子ね。あんな英霊と上手くやっていただけあるわ」
「ライダーを見たんですか」
「貴方たちの戦いは学校に中継されてたのよ。もちろん見てないところもたくさんあるでしょうけど、港の戦いと、くだんの外なるものとの戦いは皆、見てるわ。だから貴方の英霊も見てはいるの」
「…………!」
 ウェイバーは驚きのあまり言葉が出ない。誰も知らないと思っていた。
「まさかプレラーティの魔導書で本当に外なるものが呼び出されてしまうとは思わなかったわ。あれって有効だったのね。英霊の宝具だから発動したのかもしれないけど」
 ブリギットがたわいもない話をするようにサンドイッチを口に運んだ。
 ウェイバーは唇を噛みしめる。
 あいつの居場所を割り出していたのに、とどめを刺せなかった。あのとき、僕とイスカンダルで潰していれば、あんなことは起こらなかったんじゃないか。
 一度だけ、ウェイバーはキャスターの工房に入ったことがある。
 あそこで見たのは記憶を消去したいレベルの凄惨な死体ばかりだった。なるべく思い出さないようにしている。
 ブリギットがウェイバーのカップに少しだけ紅茶を足した。
「次の聖杯戦争であんなものが呼び出されたら、どう対処すればいいのかしら。検討はしておかないといけないわ。次も対処できる英霊がいるとは限らないでしょう」
 ウェイバーは弾かれたように顔を上げた。
 聖杯に頼らずして、過去の英霊を呼び出せたとしたら、どうだ?
 英雄王の声が頭の中で谺する。
 あの時は断ったけど。
 わたくしは悔しくてならないのです。
 そうですね、マダム。僕も悔しい。自分の魔術師としての資質が足りないことも、技術が足りなかったことも。
 いや、僕が折れてどうすんだよ。
 そこを埋めるのが理論だろ!
 ウェイバーは肩からだらんと腕を垂らして水色の空を見上げる。
「緊急システムとかあれば、いいんですかね。非常時のために員数外の英霊を呼び出せる、とか」
「できるかしら」
「聖杯のシステムに介入することができれば。あるいは。今は見当もつかないですけど、魔術であることに変わりはないから、何か方法があるかも」
 もしかして貴様、えらく優秀な魔術師なんじゃないのか?
 あいつの声が耳元でする。
 そうとは限らないだろ。
 糸口が見えてない。
 きっと何かある。聖杯が魔術であるなら、それは必ず改良や改変が可能だ。
「何か……何か分かりそうなんだけど」
 ウェイバーは拳を額に当てて、天を仰ぐ。
「急がなくても大丈夫よ。六十年もあるわ。『始まりの御三家』に対処させなきゃいけないかしらねえ。アインツベルンが動くかしら」
「さあ」
 ウェイバーは頭を振りながら、最後の紅茶を飲みほしてカップを置いた。ブリギットが頷いた。
「今日の施術は終わりよ」
「あ」
 ウェイバーは腕を見る。
 そういえば、痛くない。骨に響くズキズキした痛みがない。あのリボンを巻いた時から、解放されている気がする。
「その刻印は、わたしにはなんだか分からないの。今まで見たことがないような術式だわ。痛みがぶり返す可能性があるから、そのときはここに来て」
「座標が分かりません。どうやって」
 ブリギットが杖を持って立ち上がる。
「貴方はわたしの患者。治療が必要な時はここ●●に辿りつける。24時間、いつでも構わなくてよ。陛下に呼ばれている時は対応が遅れることがあります。そのときは私たちの●●●●陛下がお相手するわ」
 ウェイバーは彼女の隣に立つアーサー王の人形を見つめる。
「セイバーが?」
「ええ。寿命は短いけど、なかなか高性能なのよ」
「Tis the time, Sir.」
 アーサー王の鬨の声とともに庭園は消え去った。
 気がつくと、ウェイバーは元の通り、事務局の前に立っていた。
「ミスタ・ベルベット、ご用件はすみましたでしょうか」
 事務員がガラスの向こうからウェイバーを窺う。ウェイバーははっと背筋を伸ばした。
「とりあえず」
 本当は全くすんでいない。何も解決はしていない。だが考えをまとめられる精神状態は手に入った。当座はこれで良しとするしかない。
 事務員がファイルを持って立ち上がる。彼は受付横のドアを開けてロビーに出てきた。
「では、こちらに。鉱石学科長が貴方をお待ちです」
「分かりました」
 薄暗い廊下の先には、ごく普通の学園が広がっている。煉瓦造りの古めかしい建物。イギリスの古い大学にはよくある大教室や集会室。階段の手摺りにさえ、美しい彫刻がある。
 こうしてウェイバーは懐かしき時計塔に戻ってきた。


 ケイネスは降霊科ユリフィスの講師として将来を嘱望されていた。というか、学部長の娘ソラウと婚約までこぎつけ、彼が学部長を引き継ぐことは決定事項と見なされていた。しかし、彼は第四次聖杯戦争で死亡した。つまり、椅子が一つ空いたわけだ。
 学内は後釜狙いの派閥争いで騒然としていた。こういうとき、魔術師の世界は激しい足の引っ張り合いをする。ウェイバーが憎々しく思うところだ。
 鉱石学科長のドリュークは食わせ者だが淡泊なところがあって、あまり権威に囚われない学者肌の人物だ。
「学科長、ミスタ・ベルベットをお連れしました」
「入って下さい」
 ドリュークは教授の中では若く、普通のスーツを愛用する。そのあたりも権威主義とは無縁の印象で、魔術師には見えない。彼は外で魔術的考古物の発掘を主にしているので、こなれているのだ。
 彼に連れられて、ウェイバーは新しく指定された居室に向かった。
 聖杯戦争に赴く前は生徒の一人として寮に入っていたが、これからは全く違う場所で生活することになるらしい。
 ウェイバーは学園棟に囲まれた中庭を見下ろす母屋に連れていかれた。
「君は運がいいと思うよ。時計塔に入りたい魔術師は多いが、なかなか部屋は空かないからね。君には是非、革新的な魔術理論を打ち立ててほしいところだ」
 なんで皆、同じことを言うのかな。
 ウェイバーは首を傾げてしまうが、それは彼の才能が際立っていることを示している。おかしな話だが、魔術師として強い魔力を持たないが故に、ウェイバーの頭脳の鋭さが目立ち、自然と人の期待がそこに集中してしまうのだ。
 だが、ドリュークが母屋西棟の階段を昇りはじめたとき、流石にウェイバーは足を止めた。
「待ってください、学科長。ここは主任教授の研究棟ですよね。僕、学生ですけど」
「ああ、言い忘れていた。君はSolomon’s Scholarになったから」
「は?」
 ウェイバーはあごが外れそうになった。
 奨学金て、そういうことか。聞いてないんだが! 連絡不行届きにもほどがあるだろ! こういうの、多すぎる!
「すごいねえ。14年振りだよ。特別待遇のソロモンの弟子ソロモンズ・スカラーが認められるのは」
 通称研究生スカラー、正式名称ソロモンの弟子ソロモンズ・スカラーは十年に一人出るか、出ないかの特待生だ。学内で自由な研究が認められ、学費は全額免除、同時に授業への出欠も問われず、学内の行事に参加する必要もない。
「確か、前の研究生スカラーはケイネス先生、ですよね」
「そう。『神童』の名にふさわしいことだったよ。彼の前にはずっと研究生スカラーは出なかったからね。教え子の君が称号を継ぐんだ。彼も喜んでくれるんじゃないかな」
「どうだろう……」
 苦笑するウェイバーの前で、ドリュークが足を止めた。
「さ、ここが君の部屋だよ。ちょうど空いたんだ。よかったね」
 ウェイバーは言葉が出ない。
 そこは、
「ここ、ケイネス先生が使ってた部屋ですよね」
「そうだよ。他に空きがあるわけないだろう」
 ドリュークは事もなげだ。ウェイバーは足がすくんで入れない。ドリュークが扉の前に立つと、薄暗い廊下に明かりが落ちた。薄青い光は魔術によるものだ。
 彼が部屋の扉を開けると、眩い午後の光が差してきた。
「さ、今日から君の部屋だよ」
 中には作り付けの家具が揃い、足元には古いキリムが何枚も敷かれていた。だが本棚は空、ベッドはマットレスも何もない。カーテンすら外されている。空っぽの部屋。
 だがウェイバーの目には全く違うものが見えていた。
 部屋を囲んで走る術式は間違いなくケイネスのもの。彼はここを工房として使っていたのだ。
 試しにウェイバーが戸口近くの壁に触れると、弾かれるような感覚がある。
 結界だ。
 ここで、ケイネス先生は何か、ほかの先生に見られたくない研究をしていたのかな。競争の激しい魔術師の世界において、自身の研究を秘密にするのは、ごく普通のことだ。
 ウェイバーはそっと部屋に足を踏み入れた。
「ここはシャワーしかないから。バスを使いたい時は寮の方に」
「はい」
 最初にやるべきことは空間を拡張してバスを設置することかもしれない。
 日本のマッケンジー邸には普通のお風呂があり、アレクセイことイスカンダルも湯を愉しんだ。もちろんウェイバーもすっかりバスのある生活に慣れていたので、なかなか頭の痛い話だ。
「気に食わないところがあったら、自分で改良しなさい。急がないことだね。前任者の置き土産を有難く使っている教授もたくさんいるからね」
「あ、そういうことですか」
「入った瞬間、攻撃してくるような部屋を残す奴もいるが、ロード・エルメロイは、そういう人ではなかったからね。彼はプライドが高くて、人に弱みを見せないところがあったけど、本質的には人がよかったのかもしれないと思うよ」
 ウェイバーは少し分かる。
 彼は信じていたのだ。聖杯戦争は魔術闘争だ、と。衛宮切嗣のように確実な抹殺だけを目標に、手段を選ばぬ人間がいるとは思っていなかったのかもしれない。まるでワールドカップやオリンピックのように『ルールがある』と思ってしまったのだろう。
 僕は、死んでもいいと思っていたから。
 とにかく何でもいいから注目されて、こいつらを見返してやりたいってことしか考えてなかったから。
 でも先生は勝って帰れると信じていた。
 全て、あの子の落ち度です。
 スリーテンの厳しい言葉が蘇ってくる。
 油断と慢心は勝利を遠ざける。
 イスカンダルはいつも、機を逃さぬように行動した。彼は速かった。それが東征を導き、彼の名を歴史に残さしめた。彼は自分を信じていた。そして自分以外の何かが自分の思った通りになるはずがないと分かっていた。でなければ、死後の王国の崩壊を受け入れられるわけがない。聖杯に疑念を抱けるはずがない。
「先生は、周りの人を信じていたのだと思います」
「魔術師としての信用の域だがね」
 ドリュークがふんと鼻を鳴らして肩をすくめる。
「必要なものは事務局に言って持ってこさせなさい。最低限のものは支給される。それが嫌なら、自分で買ってきなさい。外部からの持ち込みは事務局に登録を」
「魔術的な品物でなくても、ですか」
「そう、私物は登録する必要がある。出ていく時に返却しなければならないから」
「分かりました」
「細かいことは事務局に聞いてくれ。じゃ」
 手を上げてドリュークが出ていった。
 ウェイバーはまず窓を開けた。中庭越しの風が入ってくる。窓の向こうには住宅街と公園、テムズ川が見える。
「今日もすごいな。大龍脈グレート・ペンドラゴンは」
 時計塔の中庭には、眩く輝く巨大な霊脈が走っている。地の属性を持つウェイバーには大河のようにのたうつ力が感じとれる。それは中庭で規則正しく巻きこまれ、この世ならぬ巨大な渦を形成する。尻尾は時計塔の背後に流れている。それは壮大な光景だった。
 そして開いた扉の向こうを振り返る。
 暗がりに沈む廊下。その横には錚々たる学科長たちの書斎が並ぶ。
 皆で僕を監視しようってか。いいよ、来いよ。やってやるよ。文字通りの万魔殿で、僕は僕を貫いてやる。刻印なんかに負けてたまるか。
「とりあえず、マットレスだな、これ」
 空っぽのベッドの前でウェイバーは腰に手をあてて、ため息をつく。
「ケイネス先生、もしかして枕が変わると眠れないタイプだったのかな。はあ」
 今夜までに間に合うだろうか。ウェイバーはすばやく部屋をチェックして必要な品物を書き出し──デスクに触れたら灯りがついた。ケイネスが仕掛けた装置だ。どうしたら止められるのか、分からない──ふたたび事務局に戻った。
 魔術師としての普通なら、使い魔に伝言させるところだろうが、今のウェイバーは僅かな魔力も節約しなければならない。
 イスカンダル背負って消耗した経験がなかったら、積んでたかもな──
「Thank you, Rider.」
 おうよ。
 声が頭に響いてきた。彼が隣にいる気がした。


 結局、ウェイバーが最低限の生活環境を調えるまでに丸二日かかった。
 最初の晩にベッドのマットレスを届けてくれたので、ウェイバーは事務局への不信を半分ほど軽減してやってもよいと思うようになった。でなければ、灯りがつきっぱなしのデスクで座って寝るしかなかったからだ。
 聖杯戦争じゃあるまいし、まともな生活がしたいよ、僕は!
 で、ウェイバーが教室に戻れたのは三日後だった。
 ウェイバーがかつてのようにモバイルケース片手に時計塔の学習棟に入っていくと、ざわっと空気が沸き立った。
「ウェイバー・ベルベットだ」
「帰ってきてるってマジだったんだ」
「本当に生きてるのかよ」
 広い階段教室の通路を降りていくウェイバーを皆が凝視する。それは今まで経験したことのない注目だった。
 へえ、ヤな感じだけど、悪くはないな。
 もっと見ろよ。
 お前たちを、これからねじ伏せに帰ってきたんだからさ。
 ウェイバーが中ほどの長机に席をとると、生徒たちが寄ってきた。皆、誂えもののモーニングやコートを着ている。ウェイバーのように市販品のカーディガンとシャツ、スラックスを着ている者はほとんどいない。
 だが、そんなことはもう気にならなくなっていた。
「なあ、ウェイバー」
 いきなり馴れ馴れしいな。こいつら。
 ウェイバーは邪険にするつもりはなかったので、一応、視線を向けた。
「何」
「どうやって、お前は生還したんだ。ロード・エルメロイでさえ死んだのに。お前程度の貧弱な魔術回路でよくマスターが務まったな」
 おいおい、これが人に最初に話しかける言葉なのかよ。
 やっぱ、こいつら、再教育が必要みたいだな。
 ウェイバーはため息をついて肩をすくめた。
「契約だけなら、誰でもできるよ。生け贄の鶏を確保する方がよほども大変だった。日本の養鶏場は辺鄙なところにあったから」
「ばっかじゃね? 市場で買えよ」
「僕は、君たちと違って、裕福じゃないんでね。滞在費を節約する必要があったんだ。だったら、尚のこと簡単にマスターにはなれるよ」
 ウェイバーはそこで、自分を囲む五、六人の生徒をねめつけた。
「ロード・エルメロイのように参戦する決意があれば、ね」
「大したことなかったのさ。お前が帰れる程度の戦いで死んだんだ。『神童』なんて持ち上げすぎだったんだよ」
 思わずウェイバーは立ち上がった。
「よく言えるな。生命を懸ける覚悟もなかったくせに!」
「まあまあ。彼は見事に帰ってきたのだから。それは評価しようよ」
 仲間に宥められると、彼らは黙りこんだ。ウェイバーは寛大に腕を広げた。
「ほかに聞きたいことは? 授業が始まるまでなら質問受けるよ」
「あ、じゃあ」
 宥めてくれた少年がウェイバーを覗きこんだ。
未遠みおん川での戦いを見たんだけど、君、よく宝具の稼働に耐えられたね。教授たちは君の英霊の宝具を固有結界展開だと推測していたけど、そこらへん、どうなの」
 ウェイバーは僅かに考えた。どこまで話していいのだろうか。
 実のところ、宝具の起動に関して魔力のほとんどをライダー自身が供給していた。あるいは、あの外界から召喚された化けものが、いかに危険なしろものだったか。錬金術の最高峰に立つアインツベルンの助言がなければ、判断を誤った可能性がある。
 聖杯戦争の非常識さなんて、時計塔から出たことのないお坊ちゃんたちに理解できる基準ではない。ここはまさに象牙の塔。だからケイネスは死んだのだ。
「……ライダーの宝具はちょっと変わってるものだったから。僕はライダーと意識で繋がれてたしね。たぶん相性がよかったんだろうな」
「ふうん、ケイネス先生の聖遺物だったのに?」
 ウェイバーはぐっと言葉に詰まった。だがイスカンダルに関しては絶対に譲れない。
「それでも。僕とライダーはたぶん、一番上手くやっていたんじゃないのかな。それが生き残れた理由かもね」
 後から分かったことだが、第八の報告書によると、セイバー陣営は内紛をかかえていたらしい。衛宮切嗣には愛人があり、妻──これがアインツベルンの彼女らしいと知って、ウェイバーは二度びっくりしなくてはならなかった──と愛人が同行していたこと。しかも第八の観察によると、セイバーは自分たちと衝突した翌日、街を彷徨いつづけていたらしい。どうにも戦略的でない動きだ。それまでの無駄のない展開とそぐわない。
 ウェイバーは衛宮切嗣とセイバーの間に何らかのトラブルがあったと推測している。
 セイバーとは話したが、清廉潔白を絵に描いたような人物で、衛宮切嗣の徹底的な戦術とは合わないように思えたからだ。
「おれもまだ、四代目でさ。おれでも参戦できたかな」
 憧れを浮かべる同窓生の顔を見て、ウェイバーは微笑ましいような気持ちになった。急に自分が彼らと全く違う存在になっているのだと気づいた。彼らが子供に見える。ずっと年下の、世界を知らない、うぶな存在に見えていることに気づいた。
 ウェイバーは揃えた黒髪を揺らして微笑んだ。
「できるよ。ちゃんと準備して、覚悟決めれば」
「ありがとう。嬉しいよ。おれ、アシュリー・マクウィリアム」
 手を差し出されて、ウェイバーはあっと目を開いた。それから、ぎゅっと握手した。すると後ろの少年が手を上げた。
「ぼくも四代目! ぼくとも握手してください。ぼく、カラム・ダイクス!」
「いいよ、カラム」
 ハイタッチのようにウェイバーが手を伸ばすと、彼はぱちんと掌を合わせた。
「ウェイバー・ベルベット、生還おめでとうコングラッツ!」
「Thanks!」
「あ、講師が来た!」
「お」
 ぱあっと蜘蛛の子を散らすように生徒が教室に散らばる。アシュリーとカラムがウェイバーの隣に滑りこんだ。
「ウェイバーさんは知らないと思うけど、最近、降霊科ユリフィスの講師はしょっちゅう変わるんだ」
「え」
 ウェイバーはケースからモバイルを出して開く。授業のノートはパソコンと携帯、手書きのメモを総動員する。魔法陣などは携帯で写真を撮り、画像で比較した方が術式の系統付けやヴァリエーションの判断が速くなる。
 だが、二人は不思議そうにウェイバーの持つ機器類を見つめている。
 多くの生徒は自動筆記でノートをとり、一般人が使う電子機器などを軽蔑している。
「アーチボルトとの婚約がナシになったからだろ」
「ソフィアリは先生がいるんだし、後継問題はないと思うけど」
「そこじゃないよ。学部長のさ」
 噂話はケイネスの後釜争いの激しさを裏付けする。
 講師は、本当にウェイバーが見たことのない人物だった。彼は教壇に登ると、パンと手を打った。
「静かに」
 しんと教室が静まりかえる。だが、それは一瞬ですぐにざわついた。声が聞こえる。皆、授業に現れたウェイバーを見て、何事か囁きあっているのだった。
 講師の魔術師が一同を見渡す。
「今日は皆さんが騒ぐのも無理はないと思いますが、大切なお知らせがあります。ウェイバー・ベルベット君がソロモンの弟子ソロモンズ・スカラーに選出されました。彼の立場を慮って、今後はうるさくしすぎないようにして下さい」
「えっ」
「マジか」
研究生スカラーだって」
 静かどころか、騒然とした中、講師はぼそぼそと講義を始めた。
「すごーい、何年ぶり?」
「もっと仲良くしとけばよかったかなあ」
 ウェイバーはノートをとりながら、周囲の話し声に聞き耳を立てた。意外と好意的なものが多い。真後ろに座っている女子生徒たちの囁きは気恥ずかしいものだった。
「ホント?」
「ライダーを率いて戦ってたじゃん。かなりの魔力がないと無理らしいよ」
 いや、マジでそれ、逆だから。僕はあの人に率いられし、たった一人の兵だったわけで。
「隠してたんだよ。皆、回路の数なんて内緒なんだし、トオサカだって最初は天才一人から始まったんでしょ」
 自分にまつわる根も葉もない噂を聞いて、ウェイバーは確信した。
 突然、研究生スカラーなんて変だと思った。要するに、僕を研究生スカラーにして隔離したいってことだ。研究生スカラーの特権は学内の交流に関わらなくていいことだけど、それを盾にして、僕を生徒の中で孤立させたいわけか。
 それだけ僕の人気があるって見てよさそうだな。
 なんだか、それも頭に来るけどさ。
「召喚術の基本に照らして、魔力の流れる方向性を常に安定させ、散逸させないことで……」
 久し振りの授業で忙しくノートをとっているうちに、一コマ終わってしまった。
 休み時間になると、わっと人に囲まれた。
「ウェイバー・ベルベット、港の戦いを見たよ」
「英霊の宝具に乗ってたけど、あれは速いの」
「マスターとして消費する魔力って、どのくらいなんだ」
 思わずウェイバーは苦笑する。パソコンを片付けてケースに入れ、立ち上がった。
「一気に言われても分からないよ。ちょっと、まとめてくれないか」
 戸惑う生徒たちの後ろで甲高い声がした。
「ウェイバー・ベルベット! 俺は貴様を許さないぞ!」
 前にいる生徒が押されて階段に転ぶ。ウェイバーは人を割って現れた少年を怒鳴りつけた。
「危ないだろ! 周り、よく見ろよ」
「いったー」
「ほら、つかまって」
 転んだ生徒にウェイバーが手を伸ばした時、安っぽいシャツの袖が上がり、手首に走る刻印が僅かに光った。
「あれ? それって」
 目聡い生徒が長机越しに乗りだそうとしたとき、少年が叫んだ。
「おい、お前、なんで、それ●●がお前の手にあるんだ!!」
 セイバーのような淡い金髪、薄い水色の瞳、ちょっと剣呑な細面の顔立ちはスリーテンに似ていた。すらりと見上げるほど高い背はケイネスのごとく。貴族がかったアクセントに人を小馬鹿にしたように見下すあごの角度……
「俺はライネス・アーチゾルテ・アーチボルト。叔父上のかたき! 今ここで死ね!」
 彼がウェイバーの左腕を握った。莫大な魔力が術式の形をとってウェイバーの身体の中に流れこむ。
 その瞬間に起こったことは、信じられないものだった。
 無究光アイン・ソフ・オール
 ウェイバーの腕から光り輝く大樹が伸び上がる! それは二股に分かれた奇妙な形に枝を伸ばし、芽吹かんとした。
 EMERGENCY!
 時計塔全体に結界が降下、一瞬、外光が遮られ、真っ暗になった。
「何、何が起こってるの」
「均衡結界なのか、これっ」
「初めて見た!」
 時計塔の中での魔術闘争は御法度であるが、魔術行使による実戦形式の授業がある。その際、非常に優れた生徒は危険な術式を行使してしまう場合があり、緊急時に全ての術式を無効化する特殊な結界が張られている。ほぼ発動することはないので、存在自体が疑われていた。
「な、なんだよ。俺のせいなのか」
 ライネスが茫然と結界を見上げ、ウェイバーの腕を放す。すうっと周囲が静かになった。
 ウェイバーはガタガタと震えながら、左腕を自分でつかむ。
「嘘だろ……」
 今、解った。
 これは令呪れいじゅ──
 あの骨に響く痛み。あれは初めて経験したものじゃない。あのとき、冬木の雑木林で、あの地脈の上で、魔法陣を描き、運命を変える自らの君主を呼び出しえた時──右腕を撃った、あの痛み。
 何がなんだか解らない。でも、これだけは確かだ。この刻印は令呪なんだ。だから僕に定着した。僕はマスターだったから。
 聖杯の軛の下に、今も僕は繋がれている!!

ウェイバー・ベルベット──時計塔の探求者-③ 神童の秘儀 に続く

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