Fate/Revenge 6. 聖杯戦争二日目・夜-③──キャスター参戦
二次創作で書いた第三次聖杯戦争ものです。イラストは大清水さち。
※執筆したのは2011~12年。FGO配信前です。
※参照しているのは『Fate/Zero』『Fate/Staynight(アニメ版)』のみです。
※原作と共通で登場するのはアルトリア、ギルガメッシュ、言峰璃正、間桐臓硯(ゾォルゲン・マキリ)です。
※FGOに登場するエンキドゥとメフィストフェレスも出ますが、FGOとは法具なども含めて全く違うので御注意下さい。
カスパルはセイバーたるアルトリアの指示で伯林の中心部から離れた。
『戦いを秘匿するのが原則である以上、街の中心部で戦闘をしかけてくることは考えにくい。郊外の開けたところに出れば、あるいは誰かがやってくるかもしれません』
「ああ、それはいい考えだね」
カスパルは霊体化したアルトリアの指示通りに近郊線に乗った。彼女の指示で降りたのはヴェステント駅。シャルロッテンブルク宮殿の裏側にあたる。駅からほど近い場所に運動公園があり、前年のオリンピックの賑わいを窺わせた。
カスパルが何の気なしに公園に入ると、隣に燦めく光をまとってアルトリアが実体化する。
「います。この公園の奥で我々を待っている」
「分かるの」
「あちらはやる気十分ですから。向こうは今、私を察知したでしょう」
アルトリアが厳しい表情でカスパルを見上げる。
「貴方は衝撃や爆風を避けられる物陰に隠れてください。でも私から離れすぎないように。火急のときに助けるのが難しくなります」
「うん」
火急のとき? カスパルは聞き慣れない難しい言葉に首を傾げたが、要はピンチということだろうと見当をつけた。セイバーはときどき時代がかった言いまわしをする。
公園に入っていくとサッカーのピッチとテニスコートがあり、さらに奥に陸上競技場が広がっていた。しっかりと踏み固められたトラックに白く縄が張ってある。練習用のトラックらしい。
その真ん中に見たこともない騎士が仁王立ちになっている。
ちらちらと夜に光る鎖帷子、鈍く光を弾く肩甲、陣羽織の胸には見間違えようのない赤い十字。後ろで一つに結わえた髪はぼさぼさとした濃茶の色で、無精髭の見える風貌は波風にあらわれたごとく。鉛色の瞳に隙はなく、何より夜目に鮮やかな純白のマントが五月の伯林を吹き抜ける風にはためいていた。
アルトリアはそちらに迷わず歩み寄っていく。
カスパルは慌てて隠れる場所を探す。アルトリアがちらりと視線で道具小屋を示した。カスパルは騎士に背を向けるのが怖かったが、足は恐ろしく速く動いた。トラック端の道具小屋は幸い鍵がかかっておらず、カスパルはその中に飛びこんだ。窓を細く開け、じっと様子を窺う。
アルトリアの手に風をまとって『約束された勝利の剣』が現れる。彼女の剣は見えないが、手や手首の角度で剣を持っていることは判るのだった。
騎士も手に長剣と盾を持っていた。アルトリアより頭二つほど背が高い。
アルトリアが騎士の前で足を止める。
すると騎士の方から話しかけてきた。
「貴殿は騎士とお見受けする。今生、我が名はアーチャーたり。いざ尋常なる勝負を願い奉る」
その声はびんと一本筋が通っており、戦場でもよく響くだろうと思われた。
アルトリアも澄んだ声で答礼する。
「今宵、そなたに見えたは我が僥倖なり。我はセイバー。ともに騎士として正々堂々たる戦いを希望する」
「娘子軍の方か。時の果てまでやってきて、かように可憐な騎士と剣を交わすとは思わなんだが」
騎士は戦いの前だというのに、ゆったりと微笑んだ。セイバーもまた涼やかに微笑む。
「兵ではない。私は一国を預かる身。そなたも心得て我が剣を受けるがいい」
セイバーの足がぐっと地面を踏みこむ。それはライダーと戦っていたときとは比べものならない力を秘めていた。ただの一歩で地面が沈む。彼女が剣を構えた瞬間、アーチャーもさっと剣を上げた。
「いざ! 参るっ」
本来であれば、王たるアルトリアは相手が斬りかかるのを待てばいい。だがセイバーは自分から斬り込んだ。仕掛けられるのを待つより、自ら攻める方が彼女の性に合っていた。
彼女が走るとトラックにひびが入り、土の表面が砕け散る。
月明かりに舞う土埃の中、アルトリアの身体がごく低く浮く。
「やあああっ」
アルトリアと騎士は真っ向から切り結ぶ。騎士は使いこまれた長剣でなんとかアルトリアの一撃を受け止めた。だが力が拮抗しなかった。彼は剣をすらせてアルトリアの長剣を横に流す。アルトリアは慌ててさっと後ろへ飛んだ。
アーチャーは自分の剣を添わせることで、セイバーの見えない剣の間合いをはかろうとしたのだ。セイバーが力任せに押しきっていれば、あっさりと間合いを見切られたことだろう。
セイバーが察知して後退するや、アーチャーはがらんと盾を構え、剣を肩甲にあてて担いでみせた。
「ほほう。意外に使えると見た。力も女子供の域じゃない」
「侮ってくれるな。私も戦場を渡ってきた身の上だ。次はさらに上をいくぞ」
「来い、セイバー」
騎士は盾を前に剣を構える。セイバーは両手で剣を斜め下に構え、想像を絶する瞬発力をみせた。足元で風が渦を巻き、土煙の中からセイバーが斬りかかる。
「!」
剣を横に構えて受けようとしたアーチャーだったが、セイバーの剣は下から舞い上がるように胴を狙っている。彼女は自分の力、魔力放出をどう使えばいいか熟知していた。効果的に勢いをつけて本来の体格以上の力を発揮する。アーチャーは下ろした片手で彼女の剣を制することができず、剣を踊らせながら後ろへ下がった。
「なんという馬鹿力だ、小娘のくせにっ」
「その小娘相手に引き下がったのは貴様だぞ。私の間合いを測ろうと小細工を弄するのはよせ」
セイバーはにやりと笑ってふたたび剣を構える。するとアーチャーは盾を前にして防御態勢をとった。セイバーはにっと笑って踏みこんだ。彼女の足の下で土が砕ける。その歩みは目に見えないほど速かった。少なくともカスパルには一瞬の出来事で何がなんだかよく分からない速さだった。
セイバーは怖れることなく真正面から斬りかかった。アーチャーは片手でぎいんと剣を鳴らしてセイバーの剣を受けようとした。だが、それは敵わなかった。あまりの打ち込みの重さに盾を捨てる。アーチャーはすばやく両手で剣を持ち、ぎりぎりとセイバーを睨む。
「我が身体を二つに斬って捨てようとてか!」
「馬鹿を言うな。そんなことはしない。さあ、剣を捨て、負けを認めよ。さすれば生命までは奪らぬ」
えっ!? カスパルは心底驚いた。セイバーは他の英霊を倒す気がないのだろうか。彼女は自分のために戦うと言ってくれた。ならば相手が誰であろうと殺さなくては。聖杯戦争とはそういうことだ。
セイバーがふわりと身体を舞わせて着地するのを見届けて、カスパルはからんと小屋の窓を開けた。
「セイバー! ダメだっ、そいつを殺してよ!」
セイバーはちらとも振り返ろうとしなかった。だがアーチャーは薄暗い夜の公園で、ぎろりとカスパルに目を据える。カスパルはぱっと窓を閉めて小屋の中に隠れた。
アーチャーが身体を反らして笑いはじめた。鎖帷子をちゃらちゃら鳴らして身体を揺する。白いマントが夜風にはためいた。
「おいおい、あれが貴殿のマスターか! まるっきり子供ではないか。我らが騎士の手本とされる騎士王が、あんな子供にこき使われるとは世も末だ!!」
セイバーも黙ってはいなかった。
「誰であろうと私と契約した者がマスターだ。私は聖杯の理にそって戦うまで。マスターが誰であろうと、それは変わらない」
そしてセイバーはすっと剣を上げてアーチャーの胸を指した。
「そなた、私を知っているのか」
最初の挨拶ではアーチャーはセイバーのことを知らないように見えた。だが彼はあっさり頷いた。
「ああ、この聖杯戦争に参加している面々で貴殿を知らぬ奴はいなかろう。あの剣を見誤るほどの阿呆なら俺とも貴殿とも会うことはあるまい。貴殿はブリテン王にして騎士王アーサー・ペンドラゴン、そうだろ?」
「いかにも」
セイバーは砂金の髪を揺らし、翠緑の瞳をきらめかせ、凜然と胸を張った。
「我が名はアーサー。それ以上の名乗りは不要。対してそなたは何者か。騎士の礼に則って答えよ」
するとアーチャーはぼさぼさの濃茶の髪に手をやり、微かに首を揺らした。
「あんたが俺の生きた時代を知ってるのかどうか知らんがね、俺の時代には麗しき騎士の礼なんて完全に無意味だったのよ。そりゃ仏蘭西や独逸の宮廷ではいざ知らず。少なくとも俺の生きたアッシャームでは、そんなことは通用しなかった。ムスリムどもは集団戦で押してくる。名乗ってる暇なんざなかったのよ」
「何の話だ」
「なんでもない。昔のことさ。あんたは知らんだろうな、俺の名を。それでも名乗る意味があるかね」
アーチャーが剣を構える。今度は初めてアーチャーの方から斬りこんだ。それは正当な仏蘭西風の剣さばきだったが、セイバーにとってアーチャーの正体を知らせてくれるものではなかった。セイバーは軽やかに剣を鳴らして細かな打ち込みをかわしていく。
「ちっ、ちょろちょろと逃げおって」
アーチャーはセイバーを追いこもうと踏みこむが、そのとき、うっかりとトラックを仕切る紐に爪先が引っかかった。二十一世紀であればトラックはアスファルトやガラスで舗装されており、ロープなど存在しない。だが、この時代はまだまだロープが複雑に陸上競技場を走っていたのだ。
アーチャーがバランスを崩した瞬間をセイバーは見逃さない。
「もらうぞ、アーチャー!」
セイバーは剣を逆手に止めを刺そうとする。そのとき、アーチャーがどんと手のひらで地面を叩いた。
「出でよ、我が宝具、『全てを破壊、撃破せよ』!」
セイバーの身体はまたもや自身の意志と関係なく、彼女を安全圏へと引き戻した。すなわち大跳躍によって後退したのだ。
異様な地響きがあり、地面が細かく振動した。セイバーは低く身体を伏せ、カスパルは窓から身を乗りだした。
「セイバー!」
「そこから出ないで下さい」
セイバーの前に信じがたい物が大地の下から上ってきた。
「あれは……」
あぜんとするセイバーの前に10mはあろうかという巨大な攻城機が現れた。土煙を風が吹き散らすと、巨大な鉄の塊である威容が見てとれた。人の背丈ほどもある巨大な矢をつがえたバネ仕掛けの下に砲門まで備えている。台車の部分は質素な造りだったが、ところどころに赤い十字が刻まれ、テンプル騎士団の持ちものであることを知らしめていた。
そして台上に立つアーチャーは首を真っすぐ上げなければ見えないほどだった。
「セイバー、さあ、我がテンプル騎士団でイェルサレムの城門を守った攻城機ぞ。これで吹っ飛ばぬ埃及の兵はいなかった。貴殿も伯林の土となるがいい!」
アーチャーが手を上げるや、機械仕掛けのように矢が飛んでくる。セイバー自身よりも大きな鉄の矢がセイバーの周囲に突き立った。セイバーは器用に足をさばきドレスを翻して矢を避けたが、それはかえって彼女の居場所をなくした。セイバーが気づいたときには鉄矢の林の中に閉じこめられてしまっていた。
「しまった」
到底、飛び越えることのできない鉄の矢を見上げ、セイバーが歯噛みしたときだった。
「Feu!(撃て!)」
アーチャーが叫ぶと同時に砲門が光る。セイバーは他に選択肢がなかった。
一か八か、間に合ってくれ、我を加護する星々よ!
セイバーは両手で高く剣を掲げた。我が生涯をともにした剣よ、我が祈りに応えたまえ……
「『約束された勝利の剣』!!」
セイバーの放った光の剣は襲いくる砲弾を消し去った。そして同時にアーチャーの攻城機さえも光の渦に呑まれていった。爆風が周囲にあふれ、カスパルの隠れていた小屋の窓ガラスは砕け散った。公園の木々は葉を散らし、向かいのテニスコートのネットが空高く引きちぎられ舞い上がった。
一帯を輝かせる強い光と土煙が消えた後、地面にはぽつねんとアーチャーだけが残された。
セイバーは愛剣をたずさえ、アーチャーに近づいた。
「さあ、どうする。そなたの頼みの綱は私に効かぬ。今度こそ剣を捨て、自らの生きた時代に還るがよい」
アーチャーはさっと剣を抜いた。
「やなこった! あんな時代に生きたいなどと誰が思う!?」
セイバーは言葉を失う。自分の生きた時代もいいものではなかった。だからこそ遠く聖杯を求めたのだ。窮状から抜けたくて。
その戦いは全てのマスターが目撃していた。アインツベルンのホムンクルスも、遠坂明時、そして当然、アン・マルガレーテ・ファウストも。
薄暗く月の差す台所でキャスターとアンは大きな本に見入っていた。
「さて、マスターよ。アーチャーの正体はつかめたかね?」
「テンプル騎士団がイェルサレム王国を維持していた間の騎士というと限られるわね」
アンはすいとほどけてしまった金髪を耳の後ろにかける。キャスター陣営がライダーと戦って出た損失はアンの髪を縛っていた紐だけだった。ヘッドドレスは『飾り窓の家』からの借りものだというので、キャスターが回収してきた。アンは流し髪の姿に変わっていた。すると彼女は少しばかり幼く見えた。彼女の髪は軽くウェーブがかかっていて、ふわふわしていた。
「でも、あの言い分では最盛期の騎士ではないと思う。攻城機の造りとかが、よく分かっていたら時代を特定できるのかしら。でもあたしには分かんないわ」
「あれは十二世紀末の仕様だ。中東から西班牙、南仏にかけて盛んに使われた。それでどうだね」
キャスターが試すようにアンを見つめる。アンは眉をひそめて呟いた。
「じゃ『十字軍を売った男』かしら。サラディンに仲間を売って助かった男よ」
「テンプル騎士団第十一代総長ジェラール・ド・リドフォール」
「そう、その人」
十字軍の実体は大きく誤解されている。彼らには三つの側面があった。
まず巡礼者の守護、押し寄せるイスラームに対しての防波堤、本来の意味での十字軍の顔。第二に仏蘭西や英国が中東に確保した植民地の経営者。そして、これが最も重要であり、また、それゆえに滅ぼされもした騎士団の本質──それは現代で言えば多国籍企業ともいうべき莫大な資産を持つ戦闘集団だったということだ。
彼らは地中海周辺でたくさんの事業を行っていた。欧州各地からの聖地巡礼ツアーや貿易船の保護、多くの荘園を経営し、中東域とヨーロッパの貿易を独占した。騎士団の荘園は北はフランドルから南はイェスラエルまで広く点在していた。特に南仏の荘園は素晴らしい収益を上げていた。大勢の神殿騎士はそうして養われていたのである。
地中海の女王たるヴェネツィアが立つ前、同様に繁栄を謳歌し、理不尽に焼きつくされた栄華の幻──それがテンプル騎士団。
「なるほど。可能性は高い」
キャスターがにっこりとアンを見つめた。
ページの中で騎士と騎士王は互いに剣を構えたまま、間合いをはかって、じりじりと歩き回る。セイバーが剣を微かに上げて声をかけた。
『そなたは聖杯に何の願いを懸ける』
『仏蘭西の滅亡を』
セイバーの足が止まる。彼女の顔には困惑した色があり、小さな唇は不思議そうな声を紡ぎだした。
『何故だ、そなたは仏蘭西の言葉を口にしたと思ったが。故国ではないのか』
『俺はフランドルの出身だよ、騎士王さま。あんたの国の向かいだよ、分かるかい』
『ああ』
『仏蘭西こそは我らがテンプル騎士団不倶戴天の敵。サラディンなぞよりも、ずっとな』
『サラディンとは何者だ』
アーサー王たるセイバーが知らぬのは無理もない。騎士は存外優しげな微笑みでセイバーを見た。
『埃及の支配者だ。あんたみたいな、なんというか、目の離せない男だったよ』
アンが弾かれたようにキャスターを見上げた。キャスターも頷く。テンプル騎士団の中で実際にサラディンと相対した者は一人だけ。それは第十一代総長ジェラール・ド・リドフォールその人のみである。
「ねえ、やっぱり、あれは」」
『そなたたちは、いずこの王に仕えたのだ』
セイバーの問いに二人は耳を澄ませた。アーチャーの答えは本来的な騎士であれば、ありえないものだった。
『誰にも!』
アーチャーは胸を張り、陣羽織の赤い十字を示してみせた。
『我らがテンプル騎士団はただ神のみに仕える者なり。すなわち、この世の誰にも仕えぬ。我らキリストの貧しき騎士たちは自らによって自らを律し、我ら自身のためにのみ行動する』
『それは騎士の有り様ではない。騎士たるもの仕える王と婦人ありき。勝手に行動する騎士などあってはならない』
いささか驚いた顔を隠せないセイバーにアンは見入った。昨日の戦いではよく分からなかったが、こうして見ると、セイバーはなかなかに可愛らしい。戦いにおいておくのは、もったいないような気もした。
だが、アンお気に入りの映像は長くは続かなかった。
動きの止まったセイバーにアーチャーも剣を下げて笑いかけた。だがその顔は自嘲に歪み、しかし経験と実力を備える者の落ち着きで不吉に沈んでいた。
「騎士王よ。あえて言おう。我らは王よりも王であったと。我らは神より預かりし迷い子たちを保護し、導き、繁栄させた。神に仕える者たちの手本であったと自負しよう。民の首に縄をつけ引きずり回す王侯どもより、ずっとよく治めたと。彼らが王たりえぬならば、自ら王になるべし。貴殿もその覚悟あって、その恐るべき宝剣を抜いたのではなかったか」
セイバーは答えを失う。
この夷敵が押し寄せる浜辺を誰かが守らねばならぬ。混乱した国土に秩序を。戦乱にまみれる民に安寧を──誰もできぬと言うなら、私がしよう。誰もが怖れてとらぬ剣ならば、誰もが抜けぬ剣ならば、私が執ろう。
アルトリアは生涯を捧げる覚悟でエクスカリバーの柄に手をかけた。
その瞬間に何が起こったのか、アルトリアが理解したのはずっと後だった。
アルトリアはアーサー王となり、二度とアルトリアという一人の娘に戻ることはなかった。いつまでも年老いず、生命ある限り故国に、その身命を懸ける定めから逃れられなくなったのだった。
アルトリアは剣を手に完全に動きが止まっていた。
「どうなのだ、可憐なるアーサー王よ。俺と貴殿の間にいささかの違いがあろうか!?」
アーチャーは叫んでセイバーに斬りかかる。二人の剣はふたたび背筋の寒くなるような音をたてて切り結ばれた。
だが、そこに突然、声が降ってきた。
「アーチャー! 勝手に宝具を使用したばかりか、さらに失うとは何事か!! 下らぬ打ち合いに興じている場合ではないっ」
崩れたテニスコートの壁に人影が覗いた。セイバーの目はそれに気づいた。アーチャーは振り返りもしない。
「セイバーは必ず仕留めなければならん! そなたの味方を呼び寄せたぞ!!」
セイバー、アーチャー二人とも、その瞬間まで公園の中に他の英霊がいることを感知できなかった。互いに目の前の戦いに集中していたからだ。ブラウエンの背後からのっそりと長身の影が現れた。その肩には人形と見まがうばかりの白銀の髪をたなびかせる美女が腰掛けていた。たおやかで侵しがたい気品があり、人間というより妖精のような雰囲気だった。
長身の影は丁寧に白い髪の美女を下ろす。
彼女はセイバーとアーチャーをゆっくり見た。その眼は血のように赤く光っていた。
「貴方がたに何の恨みもありません。ただ、この戦いに招かれた不運と思い、死んでください」
細い声で彼女が告げるや、影が咆哮をあげた。
「行きなさい、バーサーカー! 貴方の未来を繋ぐために!」
さっと白い美女はドレスを翻し、身を隠す。そしてブラウエンが袖をめくり、手の甲を露わにした。
「アーチャー、我が英霊よ。聖杯の規律に従い、令呪を持って命ずる。バーサーカーと共闘し、セイバーを倒せ!」
アーチャーの身体が鞭打たれたようにたわむ。令呪による制約は単なる苦痛ではない。存在の根幹から脅かされ、意識と身体の全体を束縛する。その力は凄まじいもので、決して逆らうことはできないのだった。
アーチャーは剣を構えて、セイバーに斬りかかる。同時にバーサーカーの手から妙なものが飛んだ。
ごううう……
低い音をたてて何かが飛んでくる。セイバーは耳を澄まし、地面を蹴る。彼女は見えない何かを確かに飛び越えた。しかし空中でセイバーは炎に煽られ、バランスを崩した。突然、足の下から赤い炎が吹き上がったのだ。
「なっ……」
「残念だったな、騎士王よ」
地面に転がるセイバーの上にアーチャーの剣が迫る。彼は上からセイバーを串刺しにしようとした。だがセイバーは宝剣を横に構え一撃を防ぐ。同時に膝を立て、魔力放出を使って絡繰り仕掛けのように起き上がってみせた。そのままアーチャーに斬りかかる。二人を相手にしても、セイバーの頭に撤退の文字はありえなかった。
だが、誰もが忘れていた背後で、恐怖と炎が化学変化を起こそうとしていた。
バーサーカーの放った炎がテニスコートの人影を赤々と照らし出した。
それを道具小屋からカスパルが見ていたのだ。砕け散ったガラス窓の向こうで、破片の中に立ちながら。
あれは、兄上……
すらりとした立ち姿、地味ないでたちも兄のものに違いなく、なによりスラヴを思わせる細面の顔立ちを忘れるはずもないのだった。
あそこに兄上がいる。兄上がアーチャーのマスターだったんだ。
だがカスパルの心の中に敗北感はなかった。何故ならセイバーは勝っていたから! 俺のセイバーは兄上のサーヴァントの宝具を壊したんだぞ。セイバーが負けるはずはない。俺が兄上に勝っているんだ!
その勝利感は幸福に変わり、そしてカスパルの心を別の形に蝕んでいった。
彼は突然、気づいたのだ。
マスターは令呪を使うことができる。今、兄が目の前でしてみせたように。
どうして気づかなかったのだろう。令呪の使い方はいろいろある。どのように使ってもよかったのだ。
カスパルは窓辺に進み出て、手をセイバーの方に伸ばした。そして高らかに宣言した。
「令呪を以て命じる。我がセイバーよ、兄上を殺せ!」
セイバーの全身を令呪の力が縛りあげる。だがセイバーはカスパルを振り返った。彼女は渾身の力で自らの身体を止めていた。筋肉がきしみ、痛みに心が壊れそうだ。だがセイバーの魂は全く違う悲鳴をあげていた。
「それだけは、出来ない! 貴方は兄を殺す気なのかっ」
弟が兄を殺す。それはあってはならないことだった。禁忌の片棒を担ぐなどセイバーの心が許さなかった。彼女はじりじりと愛剣をてこにカスパルの方に身体の向きを変えた。
「カスパル! 今ならっ、間に合う! 令呪を、取り消しなさいっ……」
それは信じがたい抗魔力だった。英霊であれば決して逆らうことのできない力のはずだった。だがセイバーは堪えていた。最優の座たればこそ与えられた力は、その力を与えた聖杯にさえ対抗しえた。
さらに、彼女の浄く曇りのない信念と生来備えた強固な意志が超絶的な力を生みだしていた。
セイバーの顔は苦痛に歪み、見るに堪えない。全身がたわみ、彼女はせむしのように身体を縮こませ、だが剣を手放そうとはせず、血を吐いても動こうとはしなかった。彼女の全身が聖杯からの二つの力を拮抗させて青く輝く。英霊たらしめる力と使い魔たらしめる力、二つがセイバーの身体を引き裂こうとする。
「貴方はっ、取り返しのつかない、間違いを、犯そうと……」
絞り出されたセイバーの声が途切れる。
その間にもブラウエンは戦場を離れ、凄まじい速さで逃走していた。ホムンクルスの美女もそっと顔を覗かせ、痛ましいセイバーを見るや、はっと口元を手で押さえた。
カスパルが道具小屋の砕けた窓を足で蹴り抜いた。
そして右手を突き出した。
「何してるんだよっ、兄さんが行っちゃうじゃないか! 令呪を以て再び命ずる。セイバーよ、ブラウエナハト・アイ・マキリを殺せ! 今すぐだ!!」
「あっ」
セイバー自身も何が起こったか分からなかった。
令呪二画の魔力はありえざる効力を発揮した。公園を出ようとしていたブラウエンの目の前にセイバーの身体を移動せしめた。彼女の身体は驚いた瞬間に抵抗を失い、いっそ、何の狂いもない美しい動きを見せた。
ブラウエンはセイバーに気づいていた。
だが、どれほどの魔術師であろうと、聖杯の膨大に過ぎる魔力で現世に投影された英霊たちを倒すことはできない。彼らは聖杯の力をも背後にたずさえているからだ。ましてやセイバーは最高の抗魔力を有する最優の座。現代の魔術師では彼女の髪の毛一本でさえも傷つけることはできない。
「カスパル、何故!?」
叫びながら、セイバーはブラウエンを一刀の下に斬り倒していた。
鮮血を吹き出してマキリの後継者が倒れていく。血の海から刻印虫が這いずり出し、アルトリアの足元をうぞうぞと進んでいく。アルトリアは剣にすがり、地に足をつくも適わず、鎧を鳴らして天を仰いだ。
「あ、ああ……」
アルトリアの脳裡で黄昏の丘がまわっている。そこへ到る以前、自らの下を去っていった騎士たち、あるいは心の通じぬ息子の横顔――裏切られた者の裡を彼女は知っている。愛する者に手向かわれる痛みを彼女は知っている。身内が二つに引き裂かれたとき、そこには悲劇しか起こらない。
愛すればこそ埋まることのない後悔と絶望。
それを拭いさらんがために求めたは聖杯。
それは消すことができぬと、それは叶わぬ願いだと、私は知っているのに!!
「わああああ」
周囲にこだまする絶叫はブラウエンではなく、青く可憐な騎士王の慟哭であった。
Fate/Revenge 7. 聖杯戦争二日目・深夜──裏切りの果て に続く