Fate/Revenge 16. 聖杯戦争五日目・夜──聖杯の行方-①
二次創作で書いた第三次聖杯戦争ものです。イラストは大清水さち。
※執筆したのは2011~12年。FGO配信前です。
※参照しているのは『Fate/Zero』『Fate/Staynight(アニメ版)』のみです。
※原作と共通で登場するのはアルトリア、ギルガメッシュ、言峰璃正、間桐臓硯(ゾォルゲン・マキリ)です。
※FGOに登場するエンキドゥとメフィストフェレスも出ますが、FGOとは法具なども含めて全く違うので御注意下さい。
16.聖杯戦争五日目・夜──聖杯の行方
遅い五月の宵、あたりに黄昏の光が満ち、その残照も消えかけると紫の闇が落ちてくる。北独逸の夜空は高い。華やかに星がきらめき、菩提樹通りに篝火が灯された。菩提樹通りがフリードリヒ通りと交わる角から、大聖杯の鎮座するブランデンブルグ門まで煌々と篝火が照らし出す。
それは幻想的な光景だった。
伯林の中心を貫く荘厳な通り、歴史を経た石造りの美しい建物は赤々と炎に揺れ、高く居並ぶ菩提樹は廷臣の列のごとく声もなく、ただ五月の夜風に菩提樹の花がはらはらと散り、光と影を裏返す。
その通りの右と左、両側を稀代の王が歩みゆく。
かたや黄金の鎧を身にまとい、炎のような深紅の直垂を引き、黄金の髪を夜風に舞わせるウルクの英雄ギルガメッシュ。対して白銀の鎧をまとい、夜空の下でも鮮やかな王家の青のドレスの下に金糸刺繍を燦めかせるアーサー王たるアルトリア。彼女の手には風王結界から解き放たれた黄金の宝剣が光り輝き、少女の白い頬と緑の瞳を引き立てた。
この世ならぬ神代の美貌と、一国を背負ったとは思えぬ可憐な少女の髪に、瞳に、ちらちらと菩提樹の花びらが散りかかる。
聖杯戦争の始まった日、花は盛りと咲いていた。
だが今宵、戦いの決する夜、花は散りすぎていこうとしている。
甘く空気を漂っていた薫りは消え、行きすぎる春の面影さえない。
風に舞う花びらの中、二人の王は巴里広場に入る。彼らは申し合わせたように左右に展開し、互いに目も合わせない。だが鏡で映したように互いの間合いを測り、彼らは同時に大聖杯と浮かぶ小聖杯の前に辿りついた。
二人は初めて視線をかわし、剣聖たるアルトリアは毅然と顔を引き締め、暗殺者たる英雄王は微笑んだ。
彼の背後に黄金の渦が一つ生まれ、太い柄が頭を出した。その柄の先には巨大な紅玉髄が光り、大胆な彫刻が施されている。鐔だけでも人の顔ほどあり、その剣の刃はどれほどあるのか……延々と剣の刃が黄金の渦から生みだされてきたが、その鋼は血の色を帯びている。剣の幅も30cmはあろう。とうとう光から全容を現した剣は3m以上はあろうかという大剣だった。
彼は片手で水平に剣を構えてみせる。
アルトリアはにやりと笑って剣を前につき、胸にも届く高い柄に手をかけた。
「剣聖たる私に剣で勝負を挑まんと? 正気か、英雄王」
「誰がそなたと真剣勝負をすると言った。勝ち負けが決まればいいのだ。そなたに合わせて手合わせしてやろうほどに」
英雄王はあくまで余裕綽々だ。
アルトリアは眉をひそめ、微かにあごを上げてギルガメッシュの剣を見回す。
「私も尺に合わぬ剣と過ごしてきたが、貴様のそれは長すぎるし重すぎるぞ。本当に操れるのか」
英雄王が異様な剣を片手に不敵に笑ってみせる。
「これは我と我が友にためにウルクの鍛冶師が鍛えし剣。フワワと天の雄牛を葬り去りし宝剣よ。これを出すのは五千年ぶりだ」
ギルガメッシュの顔に危険な獰猛さと愉悦が浮かぶ。彼は軽やかに一度だけ、剣を回してみせた。それだけでセイバーの髪が揺れ、篝火の炎が歪む。
セイバーはぎっと瞳に力をこめて英雄王をねめつけた。
「それほどの剣を披露しようというなら、真剣に来い。私を片手間で倒せると思うな。我が身は不死ぞ」
にっとセイバーが笑うと、ギルガメッシュの目が鋭く虹彩を絞り、それから咽喉の奥で笑い出した。
「下らぬことを。よかろう。そなたの言葉、このギルガメッシュが確かめてくれようほどに」
「行くぞ。ブリテン王アルトリア・ペンドラゴン、いざ参る!」
アルトリアが足を引くのが合図になった。
二人の剣がぶつかりあい、かあんと明るい音が鳴り響いた。並の剣であれば、互いに折れていただろう。だが歴史の中で神殺しの確かな無銘の剣と、現世においても知らぬもののない高名なるエクスカリバーは、聖杯の理の下で釣りあっていた。
それを喜歌劇場の屋根の上から遠坂明時が見つめていた。もう少し近くで見たい気持ちもあるが、二人の破壊力を考えると近づきすぎるのも危険だ。どちらも弩級の必殺技をもっている。
それに、あのセイバーは何かおかしい。
明時の頭の隅に引っかかる。セイバーの言動はバランスがおかしいのだ
彼女のマスター、カスパル・マキリは一切の諜報活動を行っていない。聖堂教会からの報告でも明らかだし、明時もそれを確認している。だから彼女が他の陣営のことを全く知らないのは論理的帰結だ。それに彼女は破格の英霊であるせいか、あまり他の陣営の事情に興味もなさそうだ。立ち会いの際は騎士の礼に則って名乗りあったりしたがるが、自分から敵の手の内を探るような行動は決してとらない。勝敗にもこだわらない。アーチャーを璃正に渡したのは明時も驚く行動だ。一言で言えば淡泊な戦いぶり、聖杯戦争に興味がないようにさえ見える。
にもかかわらず、彼女はときどき妙な態度をとる。
ホムンクルスの美女を一目でマダム・アインツベルンと呼んだ。あまつさえ彼女は一面識もなかったはずのホムンクルスに騎士の礼をとった。バーサーカーのマスターである彼女は敵であったはずなのに。聖杯は英霊にさまざまな知識を与えるが、アインツベルンのホムンクルスについてまで教えることはない。
つまりセイバーは、かの女性がアインツベルン製のホムンクルスであることを知っていてはならないのだ。
さらに、おかしなことがある。
彼女は何故、英雄王の秘中の宝具が剣であると知っていたのだ!?
ランサーの話を一部始終聞いていたセイバーである。アサシンの正体が英雄王ギルガメッシュだと看破するまではいい。だがランサーは英雄王の空間に干渉する宝具が剣だとは一言も言っていない。英雄王の乖離剣エアは『ギルガメッシュ叙事詩』の中にも登場しない秘中の秘。魔術と関わりなく生きてきた騎士王が知るはずもない話である。彼女の生前のブリテンでは知りえようもなかったはずのこと。そして一般知識でない以上、聖杯が教えるはずのない知識。
にもかかわらず、業を煮やしたセイバーは叫んだのだ。
貴様の剣を寄越せ、と──
知っているはずのない美女、知っているはずのない剣。この二つを満足させる答えは何だ。在りえないはずのものを在りえさせる解は?
「予知能力、あるいは直感のようなものか。それが彼女を騎士王たらしめているとすれば安穏とはしていられない」
そうだとすれば、今回のセイバーは破格も破格、ほとんど反則のような強さだ。これから起こることを知っており、宝剣『約束された勝利の剣』は対城宝具、身のうちに秘める『全て遠き理想郷』に至っては彼女を不死身の存在に変える。英雄王ギルガメッシュをしても倒すのは容易ではない。
だが明時は聖杯が手中に収まることに一片の疑いもいだいてはいない。
「しかし彼女にも弱点はある」
そう、セイバーがいくら不死身、異常な強さだとしても、そのマスターまではそうではない。
明時は一区画先、コーミッシェオーパーからもよく見える巴里風の屋根を伸び上がって見た。
ホテル・アドロン。その408号室に彼女のマスターは眠っている。
英雄王は一度アルトリアと刀を合わせると、不意に長剣を手放した。彼は小聖杯を背に壇上に登る。だが長剣は落ちることなく宙に浮き、アルトリアに向かって飛ぶ。同時に彼の背後で聖杯よりも眩い黄金の光が渦を巻く。そこから剣や槍が飛来して、アルトリアの足元を狙う。
アルトリアは鎧を鳴らして槍を打ち落とし、英雄王に迫らんとする。彼女の足捌きは神速の域、身が軽いからこそ為せる、鎧を着ているとは思えぬ軽やかな跳躍と微動だにしない踏みこみを組み合わせて、確実に『王の財宝』の膨大な武器をかいくぐっていく。
ギルガメッシュが腕組みしてアルトリアを待ち構える。
「やあああっ」
エクスカリバーを振りかぶり、アルトリアが跳ぶ。
「忘れものだぞ」
ギルガメッシュがひょいと頭を揺らして切っ先をかわす。アルトリアの足先に光の渦が生まれ、空中で見知らぬ盾につまずいた。その瞬間、盾に角度があったせいで、アルトリアはもんどり打った。
そこへ背後から長剣が刺し貫かんと飛んでくる──!
「忘れてなどおらぬわ」
仰け反ってアルトリアはさらりと笑い、エクスカリバーを梃子にしてとんぼを切る。
アルトリアは長大な剣に惑わされたりしなかった。槍と同じだ……幅が広く前に伸びてこない分、やりやすいくらいだな。彼女は軽々と愛剣片手に長剣をかわしてみせた。
「いいぞ、セイバー。踊るがいい」
ギルガメッシュが首を微かに傾ける。長剣が後ろに下がり、同時に横に回転した。それは一直線にアルトリアの首を狙ったが、アルトリアはエクスカリバーを縦に構えて真っ向から止めてみせた。
ぎいぃん!
二つの大剣が震えて鳴って、拮抗する。
「ほう、大したじゃじゃ馬よ。この剣を力で止めるか」
ギルガメッシュの赤い瞳は愉しそうに笑んでいた。対するアルトリアも口元だけでにやりと笑う。
「振り回すばかりでは芸がないぞ、英雄王。もう少し私を楽しませてみろ」
「我が侭な娘よ。だが構わぬ。むしろ組み敷く愉しみが増えたというものだ」
英雄王がくいと視線を踊らせると、長剣が回る。アルトリアの手からエクスカリバーが飛ばされんとする。アルトリアは剣を離すまいと前かがみになる。英雄王の大剣を前に背中をさらすのは危険すぎる。だがエクスカリバーには、おかしな向きの力がかかってアルトリアの魔力放出とは反対に回る。
「ちっ」
アルトリアは首を落とされる危険より武器を手放す選択をした。
すばやく爪先を擦らせて後退する。アルトリアが立っていた場所にウルクの大剣が突き立った。巴里広場の石畳にひびが入り、周囲の地面が盛り上がる。不安定な地面を避けて、アルトリアはさらに後退せざるをえない。
「危うかったな、セイバー。我の剣で真っ二つになってしまうところだったではないか」
ギルガメッシュが低くせせら笑う。彼は高雅に直垂を揺らし、階段を降りてアルトリアの愛剣を踏みつけた。ひゅうと長剣を抜き、背に回して担ぐ。
「気をつけよ。今宵、そなたは我の褥に侍るのだからな。息災でいよ」
「貴様、やっぱり頭がおかしいぞ! 誰がいつ貴様の妻になると言ったっ」
「我が勝ったら、そなたは我の妻になるのだ。そういう話だったであろう」
「数時間前の話も覚えておらんのか、あてにならぬ男め」
「さあ、我からそなたの剣を奪ってみよ。我が友は我を負かしたぞ」
ギルガメッシュの顔をふいと寂しげな空気がかすめたので、アルトリアは瞬きした。
だが瞬間、アルトリアは目も開けていられなくなった。
ギルガメッシュの剣捌きが変わっていた。彼が一度、長剣を回しただけで石畳に亀裂が入り、周囲の窓硝子が砕け散った。凄まじい衝撃波だ。アルトリアも顔を伏せて避けたほどだった。
まずい。これでは近づけないぞ。
アルトリアが聖杯を破壊するためには『約束された勝利の剣』の一撃が必須。なんとしても剣を取り返さなくてはならない。
ギルガメッシュが巻き起こす衝撃波が菩提樹通りを駆け抜ける。散り際の菩提樹の花は千切れ飛び、周囲の空気を白く染めた。菩提樹の若葉が枝から千切れ、蛾のように篝火に燃え落ちた。
ギルガメッシュが剣を水平に構えて動きを止める。同時に篝火を背にした彼の背後に不吉な光の渦が浮かんできた。
「そなたに逃げる場所はないぞ。そなたが生きるは我が下のみ。それでも逃げるというなら死あるのみ」
アルトリアは反射的に身体を伏せた。ギルガメッシュの背後から現れた多くの武器がアルトリアの背後に飛びかう。だが一つも彼女には当たらなかった。
「ん?」
痛む目を開けてアルトリアが窺うと、何かきらきら光るものが風の中に入ってきた。どこかから巻きこまれたのだ。それは青い石と水晶──明時の使い魔のなれの果てだった。だがアルトリアが咄嗟に分かることではない。
彼女の頬に風の中の水晶がちりっと傷をつけていく。
アルトリアは風の激しさに鎧の指で傷を撫でた。舌打ちして立ち上がる。風がアルトリアのドレスを身体に巻きつける。よろめきながら顔を上げると、ギルガメッシュが剣を下げ、あごを浮かせてアルトリアの顔を眺めまわす。
「血塗れた顔も愛らしいぞ」
「貴様、どこに撃っている。私はここだぞ」
「覗きを働く下種がおってな。そなたこそ大人しいではないか。剣がないと男勝りはやめとてか。いいぞ、怖れることはない。我が抱いてやろうほどにな」
ギルガメッシュが招くように右手を出す。
同時にアルトリアの足元に両側から剣が飛んだ。長剣がふわりと浮き、アルトリアの横に衝撃波を撃つ。割れた石畳に足元をとられ、アルトリアは自分の意志とは関係なく、とととっと前に走り出てしまった。再び衝撃波が襲ってくる。アルトリアの腰覆いから下がる防具が浮き、ドレスがはためく。尋常ではない圧力にアルトリアの身体を覆う結界もかき消される。ドレスの裾がちぎれていく。ギルガメッシュの背後から槍や斧が飛び、アルトリアが足を運ぶ範囲を狭めていく。前から飛ぶ武器を避けるには、ギルガメッシュに近づくしかない。だが長剣の間合いに入るのは危険すぎる。
アルトリアの視線を読んだようにギルガメッシュの大剣が浮き上がる。
下がろうとするアルトリアに向けて剣が切っ先を向ける。
ギルガメッシュが明るく微笑む。彼は腕組みした手をほどくことなく、黄金の指先だけで手招きした。
「我が腕に来よ。手足の一本や二本なくなったところで我が寵愛は変わらぬぞ」
アルトリアの鎧の胸を長剣がかすめる。アルトリアは渾身の力で踏んばり、足を止めた。ギルガメッシュの赤い目が風の向こうで微笑んだ。
「まだ屈せぬか。つくづく稀有な娘よ。だが、これはどうだ」
ギルガメッシュが指先を浮かせると、長剣が下から上へ鋭く持ち上がった。
ふわ……
アルトリアの足が浮き、ドレスの裾が舞い上がる。激しい上昇気流がアルトリアを舞い上げようとする。アルトリアは風に逆らうのをやめて、魔力放出を使って風に乗った。高く舞い上がり身体を返す。アルトリアは着地点を決めていた。剣が水平に引かれて衝撃波を操る。アルトリアの身体も横に流されそうになったが、彼女の身体は打ち出されるように跳んだ。
あまりにも衝撃波が強いので、アルトリアは魔力をそこに打ち出し、地面のように跳んでみせたのだ。
カツン。
爪先が長剣の剣先に触れる。
英雄王が目を眇めて剣の切っ先を振り上げさせる。アルトリアは見越したように剣に足を擦らせて英雄王の胸元に飛びこんだ。アルトリアが戦士としては想定外に小柄だからこそ為った技だ。彼女の手は凝縮した風王結界をまとい、風の刃と化していた。
剣の柄を踏んでアルトリアが跳ぶ。
「来てやったぞ、英雄王!」
アルトリアの手がギルガメッシュの首を飛ばそうとする。英雄王の耳元に揺れる耳飾りがカチカチ鳴って手をかわす。ギルガメッシュはくるりと身体を回転させ、風まとう手を振りきった。だが動きの支点が変わったせいで、足元が空く。
アルトリアは地面に逆さまに手をつくや、器用に足で自らの宝剣を蹴り上げた。彼女が体操選手のように身体を起こすと、その手にすとんとエクスカリバーが収まった。
ちゃきと彼女が剣を構えるやいなや、周囲が静まる。
アルトリアがギルガメッシュを見据えて不敵に微笑んだ。
「私は聖杯戦争に参戦するのは三度目でな。甘く見ないでもらおうか」
「ほう、全て参戦しておるとな。卦体な奴よ」
アルトリアは一度唇を開きかけたが、きつく結んだ。
今回の聖杯戦争は三度目。英雄王はアルトリアが一次、二次、そして今回に参戦していると思ったらしい。そうではない……言いかけてアルトリアは口を噤んだ。彼は知らない。自分が求婚されるのは三度目だということ。こうして刃を交わすのも三度目だということ。
私は知っている。
これから起こることを──
ギルガメッシュは穏やかに、だが血の匂いのする目でアルトリアを見つめた。
「よほども聖杯に縁の強い娘と見える。つまりは我に親しいということだなあ、セイバー」
間に合わなかった。危険だと思ったのと、衝撃が来たのは同時だった。
鎧が割れ、ドレスが裂けて外気に肌が触れる。肌を通り越し脇腹が割かれ、肋骨の砕ける衝撃が全身を縦に貫いた。背骨がずれる。身体が動かない。肺に骨が突き刺さっている。息ができない。痛みを通り越して全身が麻痺する。
アルトリアはどっと二つ折りになって巴里広場の石畳に投げ出された。
ギルガメッシュがつかつかと近づく。アルトリアの頭のすぐ横にかの長剣がどごんと突き立った。それでもアルトリアは瞬きもせず、ぴくりとも動かない。
「とりあえず死にかけているようだな」
『王の財宝』を展開し、覗きこむ英雄王の前でアルトリアの足と鏡の盾、エクスカリバーと長槍が火花を散らした。アルトリアの目が焦点を結ぶ。
ギルガメッシュは微動だにせず、口元だけを引いて笑った。
「そなた、真に不死の身か」
アルトリアは寝転がってギルガメッシュを蹴り上げようとしたまま、薄く笑った。
「私が欲しいか、英雄王」
「そなたは欲しい。だが困ったな。我が死しても、そなたが生きておるとは。妻を残して死ぬのは心残りであろうなあ」
「貴様の頭はホントにおかしいぞ! いっぺん医者に診てもらえっ」
アルトリアが跳ね起きるとエクスカリバーが槍を擦らせて弾き返す。ギルガメッシュは胸に剣を突きつけられて微笑んだ。
「医者なあ。心当たりがなくはないが」
ギルガメッシュが乗りだしてきて、アルトリアは反射的に引いてしまう。彼はぐいっと口づけするように顔を寄せた。その顔は妖艶で整いすぎ、危険で、王者の自信に満ちていた。
「宵を惜しめ。そろそろ心を決めないと夜が過ぎてしまうぞ。悦楽の極みにあれば一夜なぞ瞬く夢の間。我が腕の中では七夜も一夜に等しくなるぞ」
「貴様……どこまで私を愚弄すれば気がすむのだ」
歯軋りするアルトリアにギルガメッシュが含み笑いする。
「指一本も触れてはおらぬに言いがかりも甚だしいぞ。愛しき娘よ、何故、我を拒む」
寂しげにギルガメッシュが目を落とすのでアルトリアは言葉が止まる。
第四次も第五次の時も傲岸不遜なだけの男であったのに、此度はいったいどうしたというのだ──見たことのない表情にアルトリアの手が止まってしまう。それでも、私は聖杯を破壊しなければならない。
そうでなければ私がここに来た意味がない。
アルトリアは弱る心をかき集めてエクスカリバーを握りしめた。
ホテル・アドロンの屋根に明時がふわりと飛ぶ。羽があるように優雅に、飴色のスーツを翻して人間以上の跳躍をみせる。実際は跳んでいるのではなく、身体を移動させているだけなのだが、人目には空を飛んでいるように見えるだろう。
だが明時は屋根に下りた瞬間、ぎょっとしたように視線を走らせた。
使い魔が落ちた。
それも英雄王の手によって。彼の戦いを見るために放った使い魔を、何故。
それだけではない。
明時の意識の中で次々と視覚や聴覚が失われていく。聖堂教会が分離した区域に放っていた使い魔全てが誰かの手によって殲滅されているのだ。分離区域の境界線から中へ、明時の張った結界に何かが侵入してくる。
これは別の結界──いったい誰の。
セイバーにもアサシンにも結界を張る能力はない。カスパル・マキリは言わずもがな。聖堂教会とは最終決戦に不可侵の申し出をかわしている。結界の名手といえばウォルデグレイヴ・ダグラス・カーだが、彼は撤退したはず。
明時は屋根に膝をつき、手をあてる。そこに魔法陣が浮かんでくる。
空間把握の感覚を拡張して敵を捉える──明時の中に伯林の街が入ってくる。いくつもの大通りを含む中心区画、そこには誰もいない。聖堂教会の代行者が結界の縁をうろついているだけだ。
感覚を中心に手繰っていったとき、明時の意識に信じがたいものが見えた。
屋根の真下、ホテル・アドロン、ジュニアスイート504号室。そこに長身のハイランダーがすっくと立っていることを……彼が上に向けて手を上げ、唇が動く。
「Chanted loudly, Chanted slowly, Till his blood was frozen slowly.」
明時は心臓が鼓動をゆるめ、身体が冷えて硬くなるのを感じた。
「And his eyes were darken'd wholly.」
「Inhärierenrubin, sei flink.」
屋根の上で明時とウォルデグレイヴの魔法陣が重なりあい、燃え上がる。明時は魔術による幻想の炎の中にひざまずいている。二人の術が拮抗し、ウォルデグレイヴの魔法陣が砕けていく。明時は護身用に魔力を蓄積させた紅玉を呑みこんでいた。彼は立ち上がると、一気に目的を達成しようとした。
目的は408号室、そこに感覚を合わせた瞬間、明時は瞬きした。
「カスパル・マキリがいない!? どこへ」
ウォルデグレイヴがさらに明時を狙っている。彼は今度は歩きながら魔法陣を結ぶ。
「Hast thou perform'd my mission which I gave.」
明時の足の下で屋根がうねる。それは波のように上下して明時を空中へ放り出した。
「遠坂明時、わたしがコントロールできるのは人体だけではないのだよ。ありとあらゆる物質が、人体を構成するのと同じ元素のあるところ、わたしの力は及ぶのだ」
明時はホテル・アドロンの外壁を見ながら落下する。巴里広場の石畳に向けて。
Fate/Revenge 16. 聖杯戦争五日目・夜──聖杯の行方-② に続く