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Fate/Revenge 7. 聖杯戦争二日目・深夜──裏切りの果て

 二次創作で書いた第三次聖杯戦争ものです。イラストは大清水さち。
※執筆したのは2011~12年。FGO配信前です。
※参照しているのは『Fate/Zero』『Fate/Staynight(アニメ版)』のみです。
※原作と共通で登場するのはアルトリア、ギルガメッシュ、言峰璃正、間桐臓硯(ゾォルゲン・マキリ)です。
※FGOに登場するエンキドゥとメフィストフェレスも出ますが、FGOとは法具なども含めて全く違うので御注意下さい。

     7.聖杯戦争二日目・深夜──裏切りの果て

 そうだよ、簡単なことだったんだ。
 はっきり言えば、俺の願いはセイバーを呼び出せた瞬間に叶ってしまっていたんだ。だってサーヴァントに対抗できる魔術師はいない。つまりセイバーは必ず兄上を殺せるわけだから。
 聖杯なんてなくてもいいんだ。
 兄上さえいなくなれば、マキリの後継者は僕しかいなくなるわけだから。
 こんな簡単なことに今の今まで気づかなかったなんて、俺はなんてお人好しだったんだ。
 カスパルが小屋のドアを開けると、そこには六匹の刻印虫が集まっていた。この蟲たちが兄の魔力を補助し、さらに強大なものにしていたのだ。カスパルは知っている。だから蟲たちに手を伸ばした。
「さあ、お前たちは俺の中に入っていればいい。俺が館に連れて帰ってあげるからね」
 カスパルは蟲を一匹、手に乗せると、なんと自らの口元に持っていった。カスパルの唇をこじ開けるように蟲は咽喉へと潜っていく。カスパルはなんとか蟲を呑みこむと、ごぱっと咳きこみ、粘液をまき散らした。そうして彼は悪寒のする食事風景を展開しだした。
 一方、アーチャーはマスターが消えても、いきなり消滅はしなかった。だが彼も流石に動きが止まった。
 アルトリアは一時の混乱が過ぎると、剣にすがって立ち上がり、慌てて陸上競技場──もはや激戦の跡で原形をとどめてはいなかったが──に飛び戻った。そこにはアーチャーとバーサーカーが変わらず立っていた。
 彼らの前に無防備にアルトリアは駆け出ていった。彼女はもはや戦いの中に意識がなかった。そんなことは、どうでもよくなっていた。
 いきなりアーチャーの前に膝をついた。
「すまぬ! こんなつもりではなかった。私のマスターがあんなことを命じるとは思わなかったのだ、許せとは言わぬ。が、堪えてくれぬか、アーチャー」
「ははははは!」
 頭を垂れるアルトリアに思いもかけない声を降りそそいだ。
「とんでもない。礼を言うぜ。セイバー」
 アーチャーは剣を肩にひょいと打ちかけた。彼は鮮やかに笑っていた。歴戦の勇士に相応しい豪快な笑い声がセイバーの耳を打つ。セイバーには何がなんだか分からない。セイバーにとって、今の出来事は決して自分だけはしないと誓っていた行為だった。
 誰かを裏切るという──
 だがアーチャーは笑ってセイバーに手を差しのべた。
「俺は自由になったんだ。あのマスターはいけすかない男だった。これで誰かに乗り換えられるってもんだろ。違ったか」
「……」
 アーチャーが意外と丁寧にセイバーに立たせた。鎧のずれを直してくれる。彼は元の通り威風堂々としたセイバーを見ると、頷いて一歩下がった。
 アルトリアは言葉が出ない。黙するより他にできることがなかった。
 あぜんとする彼女の背後でバーサーカーが咆哮をあげた。テニスコートの壊れた壁の上に白いドレスの美女が立っていた。彼女は夜風の中で頼りなく見えたが、しっかりとこちらを見つめた。
「アーチャーよ。貴方のマスターとの間に共闘の協定がありましたが、ブラウエナハト・アイ・マキリは死にました。貴方は監督役の下に保護されねばなりません。ですが、あえてその前に聞きます。貴方は私たちとの協定を保持しますか」
「さあ、どうしたもんかな」
 アーチャーはがちゃんと剣を下ろして柄に両手をつく。そうすると絵草紙えぞうしに出てくる十字軍の姿そのものだった。
「ライダー亡き今、戦力は拮抗している。セイバー、ランサー、そしてあんたのバーサーカーと俺。現在、判明している情報ならば誰もが勝つ可能性を秘めてはいる。だが、それは互いに単独で戦う場合だ。あんたとの協定を認めた場合、それは俺が新しいマスターと契約した後も有効なのかい」
「そこまで強制はできません。もっとも継続する用意はあります」
「アーチャー」
 セイバーがぱっと顔を上げ、話に割りこんだ。
「このような事態を招いたのは私の不徳の致すところ。私なりの償いだ。一度だけ、この戦いのいずこであれ、そなたを救おう。それでどうだ」
 この申し出にはアーチャーのみならず、アインツベルンの美女も目を見開いた。問答無用の聖杯戦争において、そんなことを言う余裕はないものだからだ。
 だがアーチャーの頭の中では、すばやく計算が進んでいた。
 アーチャーもブラウエンの魔術によって他の英霊を見知っていた。アインツベルンにはああ言ったが、アーチャー自身の読みでは戦力は不均衡だ。
 どう見ても、あのランサーはヤバすぎる。
 目の前のバーサーカーと比べても、何の力の片鱗も見せていないランサーの方が危険な存在であると勘が告げていた。本当に強い敵は姿を見せないものだ。サラディンだって、国内を平定するまでは無闇に打って出てこなかった。
 仮に今、俺がバーサーカーと組んでセイバーを倒したとする。すると後に残るのはバーサーカーとランサー、そして俺。この際、キャスターは計算外だ。俺が新しいマスターと契約したとしても協定が継続される可能性は五分。となるとバーサーカーもしくはランサーと戦う羽目になるが、どちらも俺が単独で勝てる相手ではない。
 だが、このセイバーならば……あるいは。
 アーチャーはちらりと悄然とした騎士王を見つめた。
「貴殿はどんな気まぐれから、そんなことを言うんだ? 俺は礼を言ったはずだが」
「私の気がすまぬ。今の私の行為は卑劣極まりないものであった。私は自分が許せない」
「おいおい。令呪れいじゅの御命令よ!?」
 アーチャーが肩をすくめてみせても、セイバーは沈んだ顔のままだった。
「それでも。我が名に懸けて、そなたには償わねばならぬ」
 真摯なセイバーの態度は高潔を以て聞こえたアーサー王そのものだった。彼女の打ちひしがれた横顔を彩る淡い金髪は月に輝き、緑の瞳は星のように濡れていた。青いドレスの覗く甲冑姿は高貴で近寄りがたい雰囲気を湛えていた。
 アーチャーはうん、と大きく頷いた。
「俺は貴殿のような人物が好きだ」
 セイバーがきょとんと顔を上げる。
「王たるべき人物が王たる国の幸せよ。貴殿には想像もできまい。貴殿にとっては当たり前だったろうからだ」
 アーチャーが無精髭のあごをするりと撫でて幾度も頷く。
「よかろう。その申し出は有難く受ける。そして今すぐ俺を助けてほしい」
「何?」
 セイバーは首を傾げる。マスターを失ったアーチャーは基本的に戦闘を維持できないはずだ。
 だが大掛かりな宝具を用いなければ、その限りではない。
 突然、アーチャーがバーサーカーに向かって飛んだ。セイバーは驚きながらも剣を構える。バーサーカーは雄叫びを上げ、腕を振り回した。その手から紅蓮の炎が燃え上がる。というか、炎を発する円盤が投げられたのだ。
 舵輪のように回りながら周囲に凄まじい炎を吐き出す。
 その様は最新鋭の火炎放射器の比ではない。
「あれは、いったい何だ」
 セイバーは見極めようとするのだが、判然としない。
 アーチャーがするりとマントを翻して炎をかわす。すると円盤はひゅうっとセイバーの方に飛んできた。炎が互いに絡みあい、渦を巻いて立ち昇る。セイバーが走る方に炎が追ってくる。そこへ黒い長身の影が鋭く飛びこんだ。挟み撃ちされる……!
 閃いたセイバーは咄嗟に跳躍してバーサーカーを飛び越える。
 そこにはアーチャーが立っていた。
 さっと二人は身体を寄せて剣を構えた。
「流石は騎士王。大した身のこなしだ」
「その称賛は受け取ろう。だが、それどころではない。あの円盤は何なのだ」
「俺も知らん。バーサーカーの正体もな」
 バーサーカーが雄叫びを上げて突進してくる。ふたたび彼が手を振ると、ひゅうっと奇妙な音がして、あの円盤が現れる。そして炎をまとって回りだす。セイバーとアーチャーはぱっと別れて両側から挟撃しようとした。すると円盤がアーチャーの方へ飛んで行きかけたのに、ぐるりとカーブし、セイバーの方に回ってくる。
「ちっ」
 また私か! 心の中で毒づきながら、セイバーは円盤をかわす。だが円盤はセイバーをとりまき、炎の渦を巻いていく。円盤が自ら竜巻のようにゆっくりと回転しだした。セイバーは回る炎に巻かれる前に、そこから出なくてならない。彼女は比較的炎の薄い場所を見つけると、
「やあああっ」
 気合一閃、飛びこんだ。同時に鎧を解き、風王結界インビジブル・エアを解放する。彼女は嵐を鎧としてまとい、炎の壁をすりぬけた。
 だが目の前にバーサーカーが待ち構えていた。
 小刀を手に打ちかかってくる。
 ぎいーん!
 セイバーのエクスカリバーと小刀がかすり、セイバーの身体は瞬時に風をまとい、ふたたび白銀の鎧姿に戻っていた。セイバーが歩を詰めて打ちこもうとすると、バーサーカーがひょいと身軽く飛んで消える。
 慌てて振り返ると、背後でアーチャーに斬りかかっていた。バーサーカーはふたたび円盤を投げる。その動作は明らかにアーチャーを狙っていた。
 もしや、あのバーサーカー、私はどうでもいいのか。
 セイバーの胸に疑問が浮かぶ。
 裏切ったアーチャーが許せぬと……?
 バーサーカーは狂化によるパラメータアップと引き換えに人語や理性を失う。そのはずだ。だがセイバーの見るかぎり、バーサーカーの戦い方には一貫性があり、計算も働いていた。でなくてどうして、自分を待ち伏せたりできただろうか。
 あのバーサーカー、もとは聡明な人物なのだろうか。
 円盤がふたたびアーチャーに向かって飛んでいく。しかし今度も、また円盤は軌道を変え、あろうことかセイバーの方に飛んできた。
「まただっ、どういうことだ。これは」
 セイバーは三度みたび、円盤を避ける羽目になった。そのときセイバー自身も、そして、もしかしたらバーサーカーも、思ってもいないことが起こっていた。円盤はセイバーを襲い、炎の軌道で追い立てた。バーサーカーとアーチャーはセイバーの背後で斬り合っていたはずだった。だが炎に追いこまれたセイバーが走りこんだのは、あろうことか斬り合う二人の間だった。
 振りかぶったバーサーカーの小刀が後ずさるセイバーの胸に突き落とされる。
「がっ、がああああ」
 バーサーカーの叫びが上がる。
 セイバーは翠緑の目を見開き、かはっと息を吐いただけだった。二画の令呪に対抗したダメージはセイバーの鎧を薄くしていた。魔力で編まれた白銀の鎧が割れる。その胸が眩くきらめく鮮血を吹き上げた。バーサーカーが小刀を放り捨てた。
「がっ、がっ、がっ、おおおお……」
 それは明らかに動揺しており、バーサーカーにセイバーを刺す気はなかったらしい。テニスコートの壁の上に白い美女が現れる。
「バーサーカー、落ち着いて!」
「ははははは!!」
 アーチャーが身体を折って笑っていた。
「参った、参った。俺の悪運もここまで強いと呆れるよ」
「アーチャー、これは貴方の能力ですかっ」
 アインツベルンの美女が柳眉をあげて詰問する。
 セイバーは両腕を投げ出し、鎧を失った可憐な姿で背中からどうと倒れた。ただ手だけがしっかりと愛剣を握っていた。だがその剣も風の覆いを失い、星の光を弾き返す堂々たる刀身を曝していた。翡翠のごとき瞳からさやかな光が失われる。
 白い美女は痛ましげにセイバーから目を逸らした。
「私のバーサーカーは貴方を攻撃したのです。何故、セイバーが」
「悪かったな、騎士王さまと美人さん」
 アーチャーがげらげらと苦しげに笑いつづける。彼は鎖帷子をちゃりちゃりと耳障りな音で鳴らし、盾を地面に突いた。盾にすがって笑いつづける。
「俺はな、どういうわけか戦場じゃ生き残っちまう運命なのよ。特に誰かが隣にいてくれると必ず、そいつの方が死ぬ●●●●●●●●んだ」
 アインツベルンの美女は口をつぐみ、バーサーカーは静かに立ち尽くしている。彼も話を聞いているようだった。
「この悪運の御蔭でハッティンの戦いでも俺は一人だけ生き延びた。その御蔭で散々な言われようをしたものさ。イスラームに改宗しただの、仲間を売っただの。そもそもあの戦いは馬鹿のレーモンが裏切ったから戦況が悪化したんだ。俺がとやかく言われる筋合いはない」
 十字軍がまがりなりにも維持していたイェルサレム王国を永遠に失う分岐点となったハッティンの会戦。それはサラディンと騎士団の間に締結されていた停戦協定をド・シャチヨンが破ったことから始まる。サラディンは当然のように報復行動に出た。だがイェルサレム王国と埃及ミスルの間には仏蘭西フランク領アッコンが存在した。城主はレーモン・ド・トリポリ。彼はイスラームの軍勢が領内を通過することを許した。その先に何があるかを知りながら。
「でも貴方が軍勢に進軍を命じたのは愚策だったと言われていますね」
 白い美女の言葉は静かだった。弾劾する口調でもなく、歴史の真実に触れんとする感慨も見受けられない。
 だからこそリドフォールの舌も動いたのかもしれない。
「あんたは見たこともないだろう。俺たちは六万を超える埃及ミスルの兵に囲まれていたんだ。彼らは勇敢だし物資も豊富。地の利もある。だが俺たちの戦力は実質的には三千もなかった。それで勝つ方法なんて一つしかないだろう」
 アーチャーは盾を引きずり、剣を下ろしてふらふらとトラックの中を歩き回る。その姿は敗残兵のようでいて、何やら哀れな空気だった。かつて中東を震えあがらせたテンプル騎士団ナイツの総長が、じっとホムンクルスの美女を見つめる。
「つまり打って出て、敵を手薄にさせ、一気にサラディンの首を狙う。暗殺以外に何の方法があるんだ?」
「でも、それは上手くいきませんでしたね」
「現実と理想は違う」
 リドフォールは肩をすくめた。
 ハッティンの丘の上に野営した仏蘭西フランク軍は火攻めに遭い、全滅。多くの騎士が処刑された。ジェラール・ド・リドフォールも当然捕らえられたのだが、彼は生き延びた。それは多くの代償と引き換えだった。
 百年に渡り栄華を極めたイェルサレム王国は事実上解体。テンプル騎士団ナイツの財産は略奪という経路を経てサラディンの手元に落ちた。
 ゆるやかに撤退していくテンプル騎士団ナイツは更なる悲劇に見舞われることとなる。
「分かっただろう。あんたのバーサーカーが何をしようとも、俺が助かっちまうわけさ」
 リドフォールが肩をすくめると、陸上競技場に新たな人物が現れた。
「フロイライン・フュンフ、僕は監督役、言峰璃正りせいと申します。アーチャーの身柄を保護します」
 大柄な日本人の青年はまぎれもない神父服に身を包んでいる。彼はたどたどしい英語で話しかける。その背後には飴色のスーツにまとった洒落た男が立っていた。美女は彼を知っていた。
「遠坂明時あきとき
「はじめまして。アハト翁の箱入り娘さん」
 アインツベルンのホムンクルスに明時がにっこり笑いかけたときだった。
「がっ、があああ」
 時ならぬバーサーカーの咆哮に全員が振り返った。
 その先で信じがたい奇跡が顕現しようとしていた。倒れたセイバーの全身に光が漂う。彼女はゆっくりと目を開き、そして起き上がった。何事もなかったかのように血塗れた胸を見つめ、ざっくりと切れた白いシュミーズをかき合わせる。ひゅるるると小さな風が渦巻くや、彼女は白銀の鎧をまとい、ふたたび大地に立っていた。
「貴方は……」
 誰もが言葉が出ない。戦いの様子は璃正と明時も観察していた。セイバーは確かに一度、死んだ●●●はず。彼女の息は止まり、心臓は鼓動をやめた。だからこそ彼女の鎧は解け、剣は姿を曝した。
 それなのにセイバーは全く変わらぬ姿で、そこにいた。彼女が一同を見回して瞬きする。
「貴方がたは誰ですか」
 セイバーが視線を流したのは言うまでもなく璃正と明時である。二人はふたたびセイバーに名乗り、アーチャーの保護を申し出た。
「私は構わぬ。マスターを失ったサーヴァントと戦うつもりはない」
「私も同意します。もとよりアーチャーは貴方がたにお預けするつもりでした」
 セイバーとアインツベルンの同意を取りつけて、璃正はアーチャーを招いた。
「私は法王庁ヴァチカンの者です。信用してくれますね」
 璃正がアーチャーをわずかに見上げる。璃正にとって胸に赤十字をいだくリドフォールは遠い過去の仲間だった。だが、その真っすぐで朴訥な雰囲気にアーチャーが苦笑いした。
「おいおい、坊主は本当にあの魑魅魍魎の巣の者なのか」
 面食らう璃正にアーチャーが咽喉の奥で暗く笑った。
「俺たちゃ最後は火刑をくらった異端者よ? 分かってるか、坊主」
「僕は貴方の言葉に感銘を受けました。あの少々ややこしいところで、どう生きていけばいいか、指針を得ました」
 真っすぐ見上げる璃正にリドフォールが微笑んだ。
「自ら受難の道カルワリオを歩むか。それぞ信仰の証」
 純白のマントを翻すリドフォールに璃正は微かに頭を垂れる。アーチャーは霊体化し、璃正の横についた。明時がその様子を少しばかり面白そうに見つめていた。


 キャスターがぱたんと本を閉じる。アンはふううと息を吐いて腰を下ろした。青と白のドレスがぽわんと椅子の上でふくらむ。アンはその上にぽんと両手をおいて押さえる。するとドレスの裾がちらちら浮いて、ぷしゅうとドレスが収まった。
「ああ、なんて一日だったんでしょう! 全く気が遠くなりそうだわ」
「だが今日は無事に過ぎた。よしとしよう」
 キャスターが気難しげな顔で閉じた本の表紙を見つめている。彼はじっとバーサーカーを見つめていた。何度もあの狂戦士を大きくして仔細に観察した。
 アンは不思議に思って聞いた。
「ねえ、バーサーカーとは戦わないんでしょ」
「その通り。言ったはずだ」
「でも気にしてる。どうして」
「長生きしてほしいのだよ」
「は!?」
 アンはぐりっとキャスターを振り返る。彼は落ち着いた顔でアンを見つめる。
「同じ英霊同士、互いの幸運を祈ってもよいではないか」
「聖杯戦争は殺しあいじゃなかったかしらね。あんた悪魔でしょ」
「だからこそだ。敵は多い方がいい」
「……そう」
 キャスターの黒い瞳は沼のように底知れない。アンは聞いても無駄だと思った。だから違うことを聞いた。
「ねえ、火刑ってどういうこと。よく知らないわ」
 彼女が言うのはアーチャーの話だ。視線は壁際の立派な本棚に向かう。
 アンの家は貧しかったので、小さな頃から娯楽は限られていた。流行りの服にきらびやかなリボンやボタンを付けて飾るとか、しゃなりしゃなりと菩提樹通りウンター・デン・リンデンを歩くなんて、彼女にとっては夢物語でしかなかった。
 そんなアンの楽しみは本を読むことだった。
 古めかしい立派な本棚にはたくさんの本が入っていた。何もない家の中で知識だけは豊富だった。博物学や経済学、歴史、さまざまな教養や古典、詩、もちろん魔術の本もあった。その多くを繰り返し読むことが彼女の日々の慰めだった。
 だが新しい本を買うような金はなかったので、彼女は新たな知識に飢えていた。
 澄んだ青い瞳にキャスターが渋い顔をした。彼もインバネスを翻して椅子に座った。
「テンプル騎士団ナイツは主国たる仏蘭西フランスによって潰されたのだよ」
「でも彼らは十字軍の本体よ。異端なんかじゃないはずだわ」
 アンとキャスターは向かい合う。二人はまるで親子のように語りあう。アンにとってキャスターは戻ってきた父親のようにも思えた。父はたくさんの話を聞かせてくれたものだ。御先祖さまの魔術譚だけでなく、いろいろなことを。
「あたしの知るかぎり、テンプル騎士団ナイツは勇敢にイスラームと戦ったはずよ」
 ジェラール・ド・リドフォールは彼の戦場であった中東で没した。そしてテンプル騎士団ナイツが滅びたのは彼の死から百年以上たった後だ。
「その通り。だからこそ潰されたのだ。彼らは多くの富を略奪によって蓄積していた。また、その富を有効に活用した。財政の行き詰まった仏蘭西王家はテンプル騎士団ナイツの財産を接収して財政赤字を解消しようとしたのだ。そのために彼らは教会裁判によって異端の烙印を押され、強制的に解体された。騎士の多くは異端を拒み、殉教した」
「それが火刑ってことなの!?」
 アンは目を見開いた。
 それは今、この国で起こっていることに他ならなかった。他者の財産を権力がはちゃめちゃな理由をつけて奪いとる。そのためならば生命も奪う。それは許されざることのはずだ。いつの世だとしても。
 キャスターは穏やかな瞳でアンに騎士団の壮絶な最期を話して聞かせた。サンタントワーヌで54人もの騎士が一気に焼かれたのがきっかけだった。騎士は教会に仕組まれた異端の『自白』を次々と翻した。無実を主張した者から薪の上に縛りつけられた。最後の総長ジャック・ド・モレーは虚偽の『自白』こそ罪であると衆生に宣言して、自ら火刑台へと赴いた。
 仏蘭西のために戦いながら、仏蘭西によって殺される、信教の徒──それはジャンヌ・ダルクの悲劇の前兆であったろうか。
「そう、だから、あの英霊ひとは仏蘭西を憎んでいるのね」
「それだけではなかろう。法王庁さえも彼らを裏切ったのだ。教皇クレメンス五世は仏蘭西の策に乗って財を得た」
 アンは唇を噛む。十字軍を送りだしたのは法王庁ヴァチカンだったのに。
 彼は死したのちも、いや死んだからこそ、聖杯によって未来を識ったからこそ、仏蘭西を許せないのだ。
「可哀想な人ね。酷い話だわ」
「そうだな、アン」
 キャスターがじっとアンを見つめた。黒い瞳は優しい光がある気がした。
「だがね、策謀の中心人物だった仏蘭西王フィリップ四世とクレメンス五世はすぐに相次いで亡くなった」
「暗殺?」
「いや」
 キャスターがアンの頭にぽんと手をのせた。ヘッドドレスがくしゃっと潰れる。キャスターの手は大きくて、温かかった。
「天罰が下ったのだと世の人々は噂した。総長殿が天の法廷に二人を呼んだのだと」
「そう、そうよね。悪いことばかり罷り通るわけがないわ。いつかきっと、終わりがくるのよ」
 アンは遠い歴史の物語に目を伏せた。
 窓の外で夜は朝まだきの紫色に輝いていた。

Fate/Revenge 8. 聖杯戦争三日目・朝から昼-①に続く


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北条風奈
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