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エレファンツの明日 現在地について25

「宮本浩次 五周年記念 birthday concert GO!」

第1部
1. Woman “Wの悲劇”より *カバー
2. rain - 愛だけを信じて- *縦
3. 悲しみの果て *エ
4. 夜明けのうた *独
5. 獣ゆく細道 *独
6. 異邦人 *R
7. going my way *独
8. はじめての僕デス
9. passion *縦
10. 風と共に *エ
11. sha・la・la・la *縦
12. 風に吹かれて *エ
13. 今宵の月のように *エ

第2部
14. 解き放て、我らが新時代 *独
15. おかみさん *エ
16. ガストロンジャー *エ
17. OH YEAH! (ココロに花を) *エ
18. この道の先で *縦
19. P.S. I love you *縦
20. あなたのやさしさをオレは何に例えよう *エ
21. 俺たちの明日 *エ
22. 昇る太陽 *独
23. ハレルヤ *独

アンコール
24. 冬の花 *独

エ:エレファントカシマシ楽曲   
独:アルバム『宮本、独歩。』収録曲
縦:アルバム『縦横無尽』収録曲  


星々が数を増してゆく映像と呼び合うかのように、“Woman “Wの悲劇”より” の煌めくイントロが流れる。
花道の先端センターステージの暗がりに、宮本浩次が現れる。
ひそやかに囁くような優しくやわらかい歌い出し。カバーで得た新境地をしみじみ聴き入っていると、‘雪のような星が降るわ〜’ の「わ〜」の響きで「わーーー」とノンビブラートの真っ直ぐな歌声になる。ああ、これが聴きたかった…、と大好きな歌声に鳥肌が立った。

そこからの “rain - 愛だけを信じて-”。
一昨年のずぶ濡れの熱唱は、今だに記憶鮮明。
続く3曲目に、エレファントカシマシの大名曲 “悲しみの果て”。
この曲たちをこんな序盤に持ってくるとは。とまどいと同時に、こりゃあ相当に想定外のセトリで攻めてくるな…という予感。黒サテンの上着が風を纏ってやわらかく靡き、裏地の紫色が何かの企みを孕んでいるかのように魔的に美しく、とてもよく映えていた。

今になって反芻してみると、この3曲だけで早くも試されていたようにも思う。
ファンひとりひとりがおのれの「宮本愛」「エレカシ愛」と向かい合い、彼の求めているそれとすり合わせてみて、「お前は今どのあたりなのさ?」と問われる。この独立したタイミングを機に、そんな確認作業をしてみないか?
そう持ちかけられていたような気がする。

本当に声が良く出ていて、そして引き締まった美しい表情をしていた。
顔がいい。声も顔もいい。姿もいい。
盤石のプロフェッショナルバンドがバックについているという安心感、大船に乗っている感。エレファントカシマシとはまた別の居心地の良さが、パフォーマンスから伝わってくる。
(ベースは、「この男が帰ってきた!」という紹介とともに「上から読んでも下から読んでも」の常套句も復活したキタダマキ。すってぃーがいない可能性は、他の仕事に励んでいる様子のインスタから察しはついていたが、開演前にステージ上のアンプとローディーさんが調整するベースを見てマキリンと確信。)

そこからはもう、祝祭感と高揚感がしのぎを削る。

つまりこれが、今、歌いたい歌なのか。
「ソロ五周年」というより「宮本浩次58周年」というセトリだった。

Instagram のエレファンツ設立の乾杯シーン、あの動画を最初に無音で視聴した時に(「聴」はしてない、「視」だけ)、「今の我らに乾杯〜!」と空耳で聴いた “going my way”。 「さぁ Baby 向かおう約束の国へ 思い起ったらその時がスタートさ 今の気分にぴったりくる ワクワクを抱きしめよう」。
この曲を歌ってくれたのは本当に嬉しかった。
センターステージの上手の角から、遠くを見上げる様子がスクリーンに映る。見逃してしまうほどの刹那。その視線の先には…4階スタンドの貴賓席に来ていた3人がいたように見えた。

なぜ、ここで、この歌だったのか。。。
今回のバースデーコンサートにはソロ活動5年間を総括する意味合いがあるように感じていたので、一昨年のバースデーが「日本全国縦横無尽」ツアーの締めとして「縦横無尽完結編 on birthday」と銘打たれていたのとイメージが重なっていた。あの時、このメンバーで演奏された “きみに会いたい -Dance with you-”、“Do you remember?”。だが今回、アルバム『宮本、独歩。』からは、それらがセトリ入りせずに代わって “going my way”、“解き放て、我らが新時代” だったのはなぜだろう?

アルバム『縦横無尽』からも、ロックでかっこいい “浮世小路のblues”、“shinning” がなかった。
聴きたいと期待した歌がなぜ選ばれなかったのかを考えると、セトリを読み解く鍵が見つかることがある。今回もまた然り。

直前のインタビュー(『ROCKIN‘ ON JAPAN』2024年7月号/571号掲載)にもヒントはあった。“風に吹かれて” や “ガストロンジャー” の歌詞が引用されたり、「カバーもたくさん歌ったし」という発言があったり。
ソロの楽曲は、イントロでどの曲なのかがすぐにわかる。だが、聴いたことのないイントロ、…もしや新曲?!と感じた歌は、すべてエレファントカシマシの楽曲だった。やがてそれが何の曲か判明すると、しばらくの間、「え、これやるの、、、」とフリーズしてしまったことをここに白状するが、あまりに楽しそうに、そしてやっぱり歌がとびきりに上手いもんだから、どう構えていたところで気づけば惹き込まれている。
それは、どんなに洗練されたアレンジを施されたとしても、荒削りの鋭利さを失わないエレファントカシマシ楽曲の魅力であり、逆に言えば原曲が、どのようなアレンジで挑まれようとも、鮮烈な切れ味で返り討ちにぶった斬ってモノにしてしまうポテンシャルを持ち合わせている証でもある。独立したことで、思い切った大胆なチャレンジをしてみたい機運だったということもあり得る。
そんな超大穴が “おかみさん”。

2年前のバースデー「縦横無尽完結編 on birthday」では、わざわざ雨に濡れに行ったり、Instagram うた動画のステージ裏探検で「このスモークは身体に害はないそうです」とか仰っていたお方が、“おかみさん” でのスモークに対しては、手で払いながら「煙い…!」「見えない!俺の、視界を、遮るな!!」と荒ぶってみせる。スモークが「す、すいません!!(汗)」と焦ったかのように、みるみるうちに退散して薄くなって消えていったのには頬がゆるんでしまった。はぁー、エレ次かっこいい…。。。

とはいえ、ヒリヒリする場面があったにしても終始ご機嫌で、筆者がこれまでに見た中では最長記録だったんじゃないか、タンバリン使用時間は。それが機嫌のバロメーターというわけではまったくないが、なんとなく象徴的な出来事のように感じられたりもした。

…そうか、

浮世小路も shinning も、《俺》の歌だからだ。

今、宮本浩次が歌いたいのは、
《俺》の歌じゃなくて、《俺たち》の歌なのではないか…。

Woman、rain、悲しみの果て、
とてもパーソナルな3曲で始まり、終盤に向かって《俺たち》の歌の高揚感が増していく。
かといって、エレカシ宮本お得意の、俺は俺が俺をオレおれ《俺》の歌がなかったわけではない。
《俺》要素は、せめぎ合っていた祝祭感と高揚感がでっかい渦を巻いたあの瞬間、そう、「みんなのうた3部作」に凝縮させていたのだ。
「今の俺に happy birthday!」と歌う《今の俺》と、《かつての俺》、それもその中でもとりわけ強固な原点のひとつである《はじめての僕》がシンクロして、加熱した “passion” を “風と共に”、《俺たち》へと昇華させる。

宮本浩次58周年。
1966年から2024年までの、いや2100年にまで至る、時空の旅。
時代が変わっても変わらぬ宝物、お前の笑顔とオレの魂。
どんなに科学技術が進歩しても、おかみさんは布団干す。親父さんは月見て涙流す。

「大好きな歌です」という前置きで始まったのは、“この道の先で”。
この歌に対してこういう表現は初めてだった気がして吃驚したが、筆者はエレファントカシマシの曲もソロの曲も大好きだし、ただその中で特別に心酔する曲とか、こういう気分の時はこれがいいと頼りにしている歌があるだけのことで、宮本浩次が作る歌が好きという気持ちに分け隔てなどない。あらためてそれを思い知らされた。照明の演出によって花道に照射された一本の道は、あまりにも真っ直ぐで美しかった。

“俺たちの明日”。
スピーカーよりもミラーボールよりも高い4階スタンドから、花道を歩いてセンターステージへと向かう歌係、そしてギター名人と魔術師のフォーメーションを拝ませていただいた。そこには、貫禄と経験値が絶妙にバランスした宮本浩次の音楽の仲間がいた。プロフェッショナルプレイヤーである彼らが奏でる音楽に、ソロもエレファントカシマシも分け隔てなどない。あらためてそれを思い知らされた。

こうしてセトリを読み解いてみると、“going my way” と “解き放て、我らが新時代” に挟まれた「みんなのうた3部作」、そして冒頭3曲目の “悲しみの果て” は、やはりあの位置しかない。いつもながら、見事な配置に唸らされる。

みんなもおめでとう!

彼の歌う《俺たち》には、私たち聴衆も含まれている。それを細胞の隅々にまで感じさせてくれる “ハレルヤ”。祝祭感と高揚感が最高潮に達する。

ソロが一巡したと語っていたのはそういうことか、と腑に落ちた。
「ソロ五周年」の到達点は、ソロとバンドの融合なんて言葉で片付けられる次元じゃない。
全身全霊で愛したい聴衆に向けて、信頼できる仲間と奏でる《俺》の歌が、「宮本浩次58周年」に《俺たち》の歌として結晶化していた。

《俺》や《俺たち》、《太陽》や《風》。
同じ言葉はたくさんの歌に繰り返し出てくるし、同じことを歌っているように聴こえるかもしれない。でも、今日昇り来る太陽は新しい太陽で、でもひとつしかないのだから昨日と同じ太陽で。吹いてくる風も、新しくて同じ風が毎日吹いている(本当さ)。
そういうことだ。宮本浩次もひとりしかいない。
このひとが明日への夢と希望を歌い続けられるのは、毎日を積み上げながら過ごしているからではなく、常に自分を見つめ直し、置かれた環境を再構築し、日々アップデートし続け、生まれ変わり続けているから。あの日つくられた結晶もフラスコの中で再び融かされ、新たにかたちを結ぶまで、ゆっくりと醸成されるのだ。

アンコール。“冬の花”。
大ラスのセリフを誦ずる宮本浩次は、かつてないほど凛々しい顔をしていた。
胸には涙、顔には笑顔で。戦うため、生きてゆこう。
ココロに花を。花を飾ろう、いつもの部屋に。
今日も私は出かける。

いわば我ら永遠のチャレンジャー。
あらためて、お誕生日おめでとうございます!



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