誕生日
悲しみの歴史それが 人の歴史だとしても
‟P.S. I love you” 。
この歌が我が魂を救ってくれた話を。
私はずっと自分の誕生日を祝わないで生きてきた。
というのは誇張かもしれないけれど、私の誕生日は日本中が、願わくは世界中が鎮魂と平和への祈りを捧げる夏の日で、物心ついた時から、喜んだりはしゃいだり祝福されたりすることが憚られるような重苦しい気持ちで過ごしてきた。朝起きてテレビをつけると、いつもの番組はやってなくて、もういきなり式典の中継が流れてくるわけで。投下時刻である午前8時15分に合わせて慰霊の祈りをするために。映像が揺らぐのは、平和の灯の熱なのか、真夏のかげろうなのか。
そうしてこの年齢までずっと心の底に静かに澱を淀ませたまま、祝わないこと喜ばないことに慣れてしまって、いつの間にか、それを寂しいともつらいとも思わなくなっていた。
でも、誕生日は本来、喜んでいいことで祝福されるべきことなんだと思う。
どんな日だって世界中の誰かの誕生日だし、この世に生まれてきたその瞬間は、家族や親戚や立ち会ってくださった医療関係の方や、たくさんの人に喜びと祝福をもって迎えられたはず。
そして今年のその日をまた迎えられたことはとても喜ばしいこと。だから「おめでとう」なのであって。
たとえその日がどんな過去を背負った日であっても。
頭ではわかっていても、とても喜べる雰囲気ではないし、しかも朝からだし、子どもの頃のお誕生日会は夏休み真っ只中で友達に集まってもらうことも難しくて、その屈託は晴れることはなかった。
‘新たな誕生日’ という言葉は、エレファントカシマシの ‟必ずつかまえろ” に ‘夢から醒めた日が新たな誕生日’ と歌われている。だが、この言葉が出てくるサビがマイナーに転調して(?)、歌詞に散りばめられた刹那的なワードたちに引っ張られて、耳に心地よくすんなりと聴けてしまう。
そして2020年、ファンになりいわゆる沼落ちして初めてリアタイで手にしたシングル ‟P.S. I love you”。
毎日を頑張って生きる大人への応援歌。
いや頑張れないときは頑張らなくてもいい、と言ってくれているようにも感じられる。そっと優しく寄り添ってくれているかと思いきや、 ‘I love you’ ‘愛してる’ という力強い言葉が直球で向かってきて、‘ああ 愛してるぜきみを’ でとどめを刺される。
でも、真のキラーワードはそこじゃない。
愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日
2番の歌い出しのこのフレーズに、魂を救われた。
誰だっていつだって生まれ変われる。
実際に生まれた特定の日にとらわれる必要などない。
そしてそれが一周まわって、生まれた日がどんな日であっても祝っていいんだ、と思わせてくれたのだ。雨の日に傘をさすように歩いてゆけばいいんだ。
ゆかりの深いNHK『みんなのうた』。
10歳で合唱団からソロで、40年後の50歳にバンド30周年で、そして番組60周年の今年、55歳の誕生月にソロで、ハットトリックを達成。ポジティブワードがこれでもかと詰め込まれた書下ろしの楽曲 ‟passion” では、なんたることだ、‘今の俺に happy birthday’ と最強の自己祝福を繰り出してきた!
今週末はバースデーコンサート。
昨年は作業場からの配信だったけれど、一昨年のリキッドルームでのソロコンサートでは、彼の誕生日を祝福したくて集まった聴衆に向かって「みんなもおめでとう!!」と叫んでいた。自身の誕生日にこんなことを叫ぶ人がいるだろうか。
‘I love you’ も、’祝福あれ 幸あれ’ も、自分自身に対して、そしてそれと同時に自分以外のすべてに向けているのだろうか。
今週末の彼の誕生日に、またこの祝福を浴びることができたら、もう誕生日を喜べないなんて思わない、そんな自分に生まれ変われるかもしれない。