世間に見つかってしまった
宮本浩次が、エレファントカシマシが、また世間に見つかってしまった。。。
ああ…。。。
フェスの度に、度肝を抜かれた方々の感想がSNSに流れてくる。
「すごかった!とにかくすごかった!」とか「かっこよかった!!!」とか…。
…わかる!…めちゃくちゃわかる!
この言葉にならない感じ、ものすご〜く共感!
脳天直撃とはこういうことか。ハート鷲掴みとはこういうことを言うのか。
フェスのエレファントカシマシは本当にかっこいい。
彼らだけを目当てにファンが集まるコンサートとは違って、いろいろな音楽を聴くあらゆる客層の人々が集結する場。このいわば音楽の祭典で印象に残る演奏をするべく、心に刺さる歌を届けるべく、戦いに挑む。勝ちに行く。そりゃあかっこいい。
(そこらへんの想いを春フェス後に書いたのがこちら)
夏フェスは春フェスに比べて、よりわかりやすいセットリストにアップデートされていた。
北の大地には行かれなかったが、蘇我には行くことができました。
1曲目:誰もが知る超有名メジャー曲 “今宵の月のように” で始まり、2曲目:自称「かわいいバラード」超マニアック大迷曲 “珍奇男” をぶちかまし、3曲目:これももはや往年の起死回生の有名曲 “悲しみの果て” で心を震わせ、その余韻に4曲目:炎天下も凍る鋭利な歌い出しをブッ刺すベストオブベスト・イントロ無し曲 ”RAINBOW” をお見舞いするヒーローそれが俺さ!お前がヒーローだ!!からの、5曲目:完全無欠レジリエンスな新曲 “yes. I. do” で全ての自我を全肯定してくれて、6曲目:やってやろうぜ! “ガストロンジャー” ででっかい渦巻と化した聴衆は胸を張って拳を突き上げ、7曲目:会場は既に一心同体だけど「一人ひとりだけどみんな」な “so many people” であらゆる挫折と輝きのめくるめく世界を共に泳いでゆく同盟を契り、ラスト8曲目:再び超メジャー曲「ご存じエレファントカシマシ」にして熟成された大人のファイティングマン “俺たちの明日” で締める。
こんな完璧なセトリがあるだろうか。もはやどこでどう改行すればいいか茫然自失する筆者。まさに神セトリ。否、妖精セトリ。
顔も名前も、代表曲も知っていたのに、それは突然やってくる。
突然、雷に撃たれたように、ほんとに雷に撃たれたとしか言いようがないような衝撃が。
そしてフェスでその雷に撃たれた人々は、きっとSNSを探す。そしてインスタに行き着く。
ああ…。。。
このひとの歌は、さわりだけでも強い印象を残す。
職場の若者が
「“悲しみの果て” ってエレカシだったんですね!いいですよね〜!!」
と言う。そっか。知らなかったか…。でも若い世代にも届いてるんだな…と胸が熱くなる。
だから、新曲が企業CMに採用されたというニュースは本当に本当に嬉しい。これでまた、エレファントカシマシの歌が世の中に広く遠くまで届くだろう。しかも、世界水泳と世界陸上なんて、ありとあらゆる世代のありとあらゆる嗜好の人々が観るであろう番組で流れるという。
ああ…。。。
およそ企業という組織体は、常に問題解決のためにチャレンジして前進しようと試みているはずで、ということはエレファントカシマシのポジティブ前進ベクトルは、どの会社さんの理念にも合致するはず。どんどん起用してくださっていいんですよ…。
先ほどの職場での会話には続きがある。
「これって、ユーミンがなりたいって言ってる『詠み人知らず』ですよね!」
とか言うから、そっちは知ってんのかい!と思わずツッコミたくなりました。まあ、それが名誉ある喜ばしいことなのか、正直なところ筆者には感覚的によくわからない。あのひとならば「俺(たち)が作って俺が歌ってる俺(たち)の歌」として認識されたいんじゃないかな…などと思ったりする。
だがしかし、認識はまだ「頭ぐしゃぐしゃする面白い人」。「天然記念物を見させていただいている感じ」と。それはまあ、的を得てはいるけれども。全人類が全力で保護すべきですから。
そこからなのよ。少しでも心が動いたら、そこから是非、いろいろな歌を聴いて映像を観てほしいなぁ。
このひとは、文脈で見られるべきなのだと思う。
頭わしゃわしゃして走って暴れまわるとか、ガニ股スクワットで目を剥いて歌うとか、ボタン引きちぎるとか、瞬間だけ切り取るとエキセントリックさが強調されるけれど、そういう扱われ方をする時代は終わった。ライブでは一連の流れの中において全ての動きに意味があって、とてもナチュラルな所作なのだと理解できる。
「お尻出してブー!」だって、豚っ鼻だって、僕らの愛は一瞬に全てがあって、「悲しみは果てしないけど、つらいこともあるけど、笑い飛ばして、勝ちに行こうぜ!」というアジテーションなのだ。それを実感できるのがライブの醍醐味であり、だからこそそこで沼に堕ちる人が後を絶たないのだろうと思う。
そう考えると、インタビュー等での発言も同じことなのかもしれない。
このひとの発言は今でこそ、その時は真意がわからずとも、この道の先で必ず腑に落ちる時が来るということを、もう皆が知っている。伏線だの回収だのはない、ブレもない、ただただ真っ直ぐに歩む道なのだということを。
だが、「バンドのためにソロをやる」「バンドより売れたい」「エレファントカシマシが世に問うものはもうない」といった一連の発言が、その時点では真意がつかみきれなくて考えさせられた。
それはまさに、流れの一部分しか見えていなかったからなのかもしれない。パフォーマンスの一部分だけ切り取られて、天才の奇怪行動のように受け取られていた(発信側も意図的にそう見せていた)時のように。
それがようやく今、点と線がつながった。
やりたかったこと、やりたいこと、表現したいことを表現するための手法の模索、手がかりと実験、実現と手応え。
そして、ここが厄介かつ崇拝すらしたくなる重要ポイントであるわけなのだが、彼の場合は、この一連の流れのスパーンが凡人では把握しきれないくらいの長さと深さだったりする。
本当の気持ちなんて本人にしかわからない。それはそうだろうと思う。
だが、心情は意図的にあるいは意図せずとも作品に投影される。芸術作品研究の世界ではそれを手がかりに読み解くというアプローチがあって、古くから数多の文学や絵画等の作家と作品が研究されてきた。私はその手法で宮本浩次を研究したい。そんな信念のもと取り組んでいる。
そして考察したことをこうして書き散らしているわけだけれども、実はご本人が過去にインタビューや文章で既に表明されている内容だったことが後からわかって恥ずかしくなることもしばしば。まさに、論語にある「学而不思則罔。思而不学則殆。(学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。)」。でもやめられない。だって沼なんだもの。ライフワークと出会ってしまったんだもの。
フェス直後、続々と流れてくる率直な感動投稿に、うんうんそうだろうそうだろうと深く頷くと同時に、嬉しくて誇らしくなる。これが私の好きなひとだよ、とみんなに紹介したくなる。
だが。
ここまで書いてきておいてあれなんだけど。
「隠れた名店の心理」が働いてしまうことを白状します。
つまり、例えば、美味しいお店を見つけると、広く知ってもらいたいのと同時に、予約が取りにくくなったら困るから隠しておきたい、という矛盾する気持ちが起こってモヤモヤする。
どんなにミヤジが「もっと売れたい!!」って叫んでも、あー…かっこよくて可愛くて超絶歌うまなのがまた世間に見つかっちゃった…って思う矛盾オレほんとごめん、までがルーティン。
ほんとごめん。
ああ…。。。
だから、売れたい!大スターになりたい!ってもっともっと言ってほしいんです。そうすればこのモヤモヤに居場所ができそうな気がする。(…って既に売れてるし大スターですがね。本物のミスターハリウッド・スターであるヒュー様が思わずシャッターを切ってしまうほどのオーラ発してますからね。)
いや、それでもやっぱり見つかっちゃったって思うんだろうな。この心理は何なんだろう。
売れるということは、それだけ世間に認知されて聴いてもらっているという指標なのだから、売れたいと思うのは至極当然のこと。わかる人にしかわからない感じが心地よいんだろうか、などとまたモヤモヤと考える。
でも、この心理状態から解脱して訣別しないといけないんだろうな。
許せかつての私よ。私は今を生きてゆくぜ。