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鷗外と『扉』と “あなたへ” をめぐる考察メモ
「今、俺の行きたい場所」ツアーに寄せて
◆敬愛する鷗外
◇敬愛する偉人:
森鷗外、夏目漱石、永井荷風、ル・コルビュジェなど
俺には中学、高校くらいの頃から文学趣味みたいなものがあった。教科書に載っている、森鷗外や夏目漱石、芥川龍之介や太宰治の写真やら経歴を眺めては、ほのかに憧れていた。彼ら、特に鷗外、漱石は、江戸時代生まれの知識人で、漢文の造詣非常に深く、漢語的表現が多く使われたその文章は、「俺は男だ」的な格式に満ち満ちていた。で、どこか中国の隠棲者を思わせる文人風の佇まいに、俺は大いに感化され、間接的に中国に憧れを持ったのかもしれない。
◇惹かれる理由=共鳴ポイント
・鷗外、漱石:漢文の造詣、漢語的表現→影響を受ける
・荷風:江戸情緒と近代化する東京へのまなざし
・コルビュジェ:カクカクしたもの
コルビュジェに関しては、
わざわざその人の建築を見にパリまで来ちまったのである。
俺がこの人の名を知ったのは最近で、ソファを買ったらたまたまコルビュジェのヤツで、これがやたらに格好良かったのである。
(中略)
で、俺は今パリに来ている。コルビュジェの建物が無かったら、決して来なかったであろうパリに。
◇それぞれとの対峙のしかた
・コルビュジェ建築を見たくてフランスまで行き、昨年もロンドンまで来たからには…とパリへ
→建築作品が好き、見たい
・だが鷗外については、足跡を追ってベルリンに行ったりはしていない
→鷗外は、人生と作品
→生き様と、生きた時代をリアルに反映する作品への憧れ
→日本国内の鷗外ゆかりの地は訪れたい?
今回のツアー「今、俺の行きたい場所」には、鷗外ゆかりの地が2か所
・軍医として過ごした小倉
・出生地、墓所のある津和野(益田)
◇鷗外の立身出世欲
その頃露伴が予に謂(い)うには、君は好んで人と議論を闘わして、ほとんど百戦百勝という有様であるが、
↓
青年期あらゆる希望を胸に、いきりたって人に喧嘩(論争)をふっかけた鷗外。(“歴史”)
博士の祖父から博士の母を通じて、一種の気位の高い、冷眼に世間を視る風と、平素実力を養つて置いて、折もあつたら立身出世をしようと云ふ志とが伝はつてゐた。
↓
以後官僚として栄達をのぞみ、ドロドロした権力闘争にも身を置いた鷗外。(“歴史”)
余は模糊(もこ)たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽(たちま)ちこの欧羅巴(ヨオロツパ)の新大都の中央に立てり。何等なんらの光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。
※森鷗外の「鷗外漁史とは誰ぞ」には、
・並び称される文士の中でひとり自分だけ医者・軍医である
・専業小説家ならばとても名を成すことはできないのに、小説家として認められている
・毀誉褒貶の風に翻弄された
・偽りの幸福、見当違いの幸福
・鷗外という名を署するのをやめた
などと苦悩が綴られている。
※「石見の人森林太郎として」の生き様
余ハ石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス
宮内省陸軍皆縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス
森 林太郎トシテ死セントス
※肩書、社会的地位や、軍医・作家といった職業から解放されて、ひとりの人間「石見人森林太郎」として死にたい
※とはいえ、名誉や地位を不要と言えるのは持っていたから
↓
男の生涯、ただの男になって死に様を見つけた。(“歴史”)
◆“歴史”、『渋江抽斎』、37歳
◇37歳
“歴史” に歌われる鷗外の作品『渋江抽斎』
(荷風も憧れた作品)
冒頭は、抽斎が書いた詩から始まる。
三十七年如一瞬(さんじゅうしちねんいっしゅんのごとし)。
→37歳という数字が出てくる歌 = “覚醒(オマエに言った)”
オマエに昨日の夜中話したことは
別にオレが急に偉くなった訳じゃなく
三十七なり。オレの青春は終わったけれど
明日もあさってもオレはやって行くから
ひとりでいる時には様々なことを考えようとしている
偉大な人たちの考えを辿った気になって
オレの部屋には理解を超えた本と
むなしい気分がつきまとってる
感じろ 思え おのれ自身のココロで そんなことをオマエに話した
“覚醒(オマエに言った)”⇒2003年の『俺の道』収録
“歴史” ⇒2004年の『扉』収録
→時期が続いている
鷗外が、栄達が望めなくなって凄みのある口語文に達して『渋江抽斎』を著したように、
俺も37歳で青春が終わって、「覚醒」した?
急に偉くなったわけじゃなくて、偉大な人たちの考えを辿った気になっていた。
明日も明後日も、己自身のココロで感じろ、思え。
◆《歴史》とは
◇《歴史》
→歌詞に出てくるのは、14曲28か所
そのうち10曲24か所がEMI期!!
(あと4か所はユニバ期『悪魔~』2、『Wake Up』1、未収録1)
“歴史” が収録されているアルバム『扉』考察。
↓
前作『俺の道』で自分を探しあぐねて “化ケモノ青年” となった彼は、おのれのルーツを確認するために実家を訪れる(“地元の朝”)。そこで思索を重ねて至ったのは、‘二親に捧げられし愛’ を返すには、おのれの全部を死ぬまで使い尽くすしかないということ。
‘それが結論’、とひたすら連呼する( “イージー”)。
“イージー” で歌われる ‘男’ と ‘女’ とは、‘父’ と ‘母’ をも含み、‘あなたを あなたを もっと知りたい’ の ’あなた’ は ‘二親’ をも含んだすべての人を指しているのか?
だからこのアルバムでは、前作『俺の道』で100超えだった一人称「俺」はたったの2曲3か所!で、主語が「男」「ぼくら」という普遍的な言葉に取って代わったのか?
では、「ぼく」はどうなったか。
何度目かの太陽が昇り、何度目かの月が沈む荒れ果てた大地に、一輪の花を求めて(“パワーインザ・ワールド”)、神を見失って孤独を抱いたまま、灰色の海に飛び込み、泳ぎ始める(“一万回の旅の始まり”)。
《近代的自我》が確立した ‘アノ19世紀以来’、いやもっと前から、‘ヒト’ は生きる理由を求めて思い悩んできた。その煩悶は今を生きる「ぼくら」が継承し、更新していく。
‘幾世代にも亘る長い人の歴史の そのまた果てに佇むぼくら 古くて新しいこの気持ち 言ってみりゃあそんなとこだろう‘(“傷だらけの夜明け”)
だが、人の歴史と共に脈々と続いてきたそれは、ひとりひとりが気に入った場所を何度も探し、やっと辿り着いても飽き足らない(“パワーインザ・ワールド”)ほどに自分自身と戦わなければ、未来へはつながらない。
‘古いほこらや ガードレールに漂う 今のおのれを 乗り越えてゆけ’(“生きている証”)。
その葛藤によって、‘ニューヒーローが生まれ’ るのだ(“星くずの中のジパング”)。
美しいメロディーで「森鷗外」を歌ってしまったのは、そのポップさに向かい合えなかった弱い自分がいたからだと述べているが、このアルバムは、 “歴史” と冠する歌で始まるからこそ、《今いる場所》と《人生の役割》への想いが熱く沸騰してアルバムを貫通する。
この世界でぼくらは死ぬまで生きていくし、
この世界はぼくらが死んでも続いていく。
“星くずの中のジパング”、つまりこの日本で ‘未来と一緒に 生きている 歩んでる’。
‘歴史の末裔たるぼくら’ が、死ぬまで自分の生涯を生き抜くこと、
‘それがぼくらの未来だ’。
◆《傷だらけ》とは
◇傷つくこと、偉くなるとは?
→毀誉褒貶を鷗外自身はどう思っていたのか?
不要と思っていたのか?
家長としての重圧と覚悟、二足の草鞋を履く苦悩
→栄達を望めなくなると急に肩の荷が下りたのだろうか
小説家鷗外が俄然輝きを増す(“歴史”)
↓
“はてさてこの俺は”
はてさてこの俺は かれこれ何十年
時には適当に 時には気合いいれて
あらずもがなの仕事やら
憧れの何かを追い求め
そのくせ何にもしなかった昔より
ちっとも偉くなってない
ちっとも偉くなってない
なんて ああ馬鹿な俺さ
そりゃあそこらの阿呆どもに比べれば
俺の方がいくらか気が利いてるだろうが
世間の栄華や名誉も何にも持ってない
この上こうして生きてろなんて
誰だって頭(かぶり)を振るだろう
ああ 頭を振るだろう
ちっとも偉くなってない
世間の栄華や名誉も何にも持ってない
→思うように評価されていない?
→“覚醒(オマエに言った)” の
‘別にオレが急に偉くなったわけじゃなく’
と呼応?
→「偉くなる」とはどういう状況を意味するのか?
※「英語が自然に出てくるようになった」=「出世した」
と最近のインタビューで述べている
→「傷だらけ」とは、(鷗外も俺も)思ったような評価が得られず傷ついたという意味?
‘幾世代にも亘る長い人の歴史の そのまた果てに佇むぼくら 古くて新しいこの気持ち 言ってみりゃあそんなとこだろう’
(“傷だらけの夜明け”)
◆“あなたへ” と “はてさてこの俺は”
◇あなたを彩る花束になる、とは?
→“はてさてこの俺は” のC/W曲 “あなたへ”
“あなたへ”
お母さんへの想いを歌っているというのは巷説。
本人の言説によれば、
リリース時のインタビュー
「特にこれは2番の歌詞がすごく好きで。
わたしが迷い傷つき
そして努力して来たこの日々が
いつしかあなたを彩る花束になるのです
っていう、このフレーズがすごく好きで。これ実は、"ファイティングマン" 並にいい加減に作ってるんです。ゲーテとかに触発されて。(ゲーテは)すごくエネルギッシュだから、おじいさんになってから10代の女の子に求婚するくらい、ゲーテはやっぱすごいバイタリティの人だから。好き嫌いは別として、エネルギーの源泉みたいな――結構好きなんですよね、ゲーテ。あと
すべてあなたへ すべてあなたへ
ぜんぶぜんぶ わたしの生命は繋がっているのです
っていうところは《baby ファイティングマン》で感動する人には何が何だかわかんないかもしれないけど、この《すべてあなたへ すべてあなたへ/ぜんぶぜんぶ わたしの生命は繋がっているのです》っていうのは、非常に素敵だなって思えたんですよね。すごく力強く歌えるんじゃないか、これは⁉︎っていう」
「問い詰めて問い詰めて、裸の自分っていうのは、ただひとりの人でしかないっていうーー前回のインタヴューで言った、『俺は才能だけで生きてる』って、考えてみたら誰でもみんなそうだなと思ってさ。別に考えてみたら俺だけじゃなくて、全員そうだっていうことなの、この “あなたへ” は。」
(《すべてあなたへ》っていうサビ。)
「この歌詞も意味がわかんないと思うんだけどさ、流れがすごく良くて。メロディと合ってるよね。《baby ファイティングマン》っていうのと同じくらいの瞬発力、爆発力があるよね。自分でも好きなところですね」
あなたを彩る花束になる とは
偉人の人生を追いかけ、自らもまた生きていくこと?
ひとりひとりが一輪の花ならば、それが集まって、あなたを彩る花束になる?
→→→歴史の末裔たるぼくら(“歴史”)
→→→幾世代にも亘る長い人の歴史の そのまた果てに佇むぼくら(“傷だらけの夜明け”)
鷗外が軍医であって作家であったように、宮本浩次というひとりの表現者も、おのれの生き様を生きていくためにあらゆる形態(ソロやバンドやかつては文筆も)を使いこなして世を渡って行く
→それが「生きる」ということ。
「いくしかないでしょ、生きてるんだから。」
歴史SONG、大いなる歴史の中で。歴史の末裔たるぼくら。
残された時間の中で、ぼくら死に場所を見つけるんだ。
それがぼくらの、それがぼくらの未来だ。
毀誉褒貶と承認欲求、
夢と達成、
残された時間と目指す場所、
これらが渦巻きながら、旅はクライマックスへ。