“passion” 旅みたいだね生きるって
2021年6・7月のNHK「みんなのうた」のために作られた “passion” (『縦横無尽』収録)。
ポジティブなワードがぎちぎちに詰め込まれている。 ‘投げ kiss’ の部分なんて、普通だったら歌詞が入ってこないくらいの隙間なんじゃないかしら。
怒りとか満たされないものを追い求めて歌っていたような印象が強くて、やりたかったことを実現させてしまったら曲が作れなくなってしまうんじゃないかとか思ったけど、いらぬ心配だった。幸せなら幸せで、こんなにも愛と多幸感にあふれた楽曲たちが生まれるのだ。
つまり、その時その時の心情を歌っているのだということ。
聴くとめちゃくちゃ元気が出る。
生きてれば上り下りのエヴリデイ。
頑張ろうぜ!に力をもらって頑張れる。
でも……、頑張れない時だってある。
そんな時は、無理しない。流れにまかせて潮の時を待つ。
とはいえ、社会の中で働いているからには、やっぱり多少は無理をしなきゃならない局面にぶち当たることだってある。普通にある。そんな、無理をしてでも元気を出さなきゃならない時でも、この歌を聴くと、無理することなく自然に元気が出る。「力をもらえる」とか、「勇気づけられる」とかじゃなくて、「元気が出る」。ほんとに。これはいったいどんな魔法なんだろう。
「みんなのうた」は、アニメーションがこれまたとっても良かった。
通称「パッションマン」が楽曲の世界を全身で体現してくれているから、何度も見ていてストーリーがわかっていても泣かされてしまう。クライマックスでは(ここからは私の解釈)、パッションマンがマントを靡かせながら自身の心の襞をかき分けて突き進み、奥底にうずくまっていた黒い影をハグ。そのタイミングに合わせてそっと響く「OK」のささやき。ここで涙腺崩壊……。
大好きなこの曲の、一番好きな歌詞は、
珠玉の一行。
宮本浩次、ここにあり。
このひとは、嵐の中で船を導くセントエルモの灯だ。
このコロナ禍の道しるべだ。
自分でコントロールできないことには一喜一憂しない。
やりたいこと、やるべきことを貫くのみ。
愚痴や嘆きや、この状況にあたって特別な言葉は、ポジティブにしろネガティブにしろ言わない。
2022年1月12日に敢行されたエレファントカシマシ新春コンサート。
やっとエレ次に逢える。「おかえり」と思うのだろうな、と思っていた。
でも、そういう感覚にはならなかった。
そう。だって、ずっと居たんだ。ソロ次の中に。
「行こうぜ」とか「出かけようぜ」とか言いながら、居たんだ。
エレファントカシマシは青春の実験場所であるべきだし、ソロ活動は音楽の実験場所、エンターテインメントの実験場所であるべきだ、と述懐する。
自己実現と承認欲求を満たすための長い長い旅。
これまでの紆余曲折、怒涛の40年間が彼の中では常に整理されて、それがセットリストとして表現されていた。こんなにも見事に伏線回収されるのか、というとんでもなく壮大なスケールの爽快感。
そして、自己肯定感を一番もたらしてくれたのは、ソロ次という自己だった。
なんてロマンチックでドラマチックなんだろう。このメビウスの輪をまさに「縦横無尽」に行き来しながら描いていく「俺の人生の歴史絵巻」、現在進行形で立ち会える喜びに打ち震える。
ことあるごとに、この時計の音を刻む歌を引用したくなる。
時は、ただ行き過ぎていくだけだ。
毎日を繰り返していくこと。
昨日から今日、そして明日へと。
生きていくって、そういうこと。
生きることと夢を追うことは同義なのだろうか。
行きたいところになかなか行かれないこの状況。
だけど、空想の翼を広げればどこへだって行ける。
ということは海?
異国情緒の描写に旅愁をかき立てられるけれども、具体的にどこかを目指しているわけではないのだろう。
「行く」とか「出かける」とか歌っていても。
出かけるのは、ーいつもの街。
嵐が去って青空になったら、その羅針盤はどこを指しているだろうか。