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2023から1988へ 現在地について19

1988年9月10日、渋谷公会堂。

2023年7月24日、ロンドンAbbey Road スタジオ。

このひとの中には、透徹する芯が貫かれている。
なんとかして、《それ》をつかみたい。
…そう思って note を書いてきたのかもしれない。

ヒリヒリしてるのもいい。にっこりしてるのもいい。
こいつはまあ、言ってみりゃあいわゆるギャップ萌えというやつなのかもしれないけど、考えてみりゃあそもそも人はみんな、ギャップの中で生きている。悲しみと喜び、栄光と挫折、失敗と成功、希望と後悔、欲望と忍耐、愛と憎しみ、夜明けと夕闇…、相反する両極の物事の間には自然にスパークが発生する。そのスパークこそが人生なのだと、私は宮本浩次に教えてもらった。
そして、35年の時を経たこのふたつのステージも、両極にありながら繋がっているように思えてならない。




映画館で鑑賞した渋公ライブは、とんでもなく凄まじい迫力だった。

剥き出しの舞台装置、点灯したままの客電。

DVDで観ているから曲順もMCの一言一句までも知っているのに、スクリーンがそのままステージのように見えて、まるでその場にいるかのような錯覚を起こす。画面のざらつきさえ臨場感に変わる。だが、横からのあるいは煽りのアングルになったり、歌係さんがアップになったりフレームアウトしたり(けっこうな頻度で)すると、ああそうかこれは映像なのだ、と気づかされ…る余裕もないくらいに惹き込まれた。
これが、伝説の渋谷公会堂ライブかぁーーー!!

…年月が経っているとはいえ、穏和でご機嫌だった Abbey Road とはずいぶん雰囲気が違う。

でも、同じひとなのだ。

何かが、その底でたしかに繋がっている。
時空を超えて。


22歳の宮本浩次。
どうしてこんなに牙を剥くんだ?
初見ではそういった印象がどうしても否めなかった。
だが、スクリーンの中の彼は違って見えた。

とにかく、声量がすごい。あの細っこい身体から、どうしたらあんな凄みのある歌声が出せるのか。
歌がうまい。声が美しい。がなり立ててもブレない音程。ときどき挟んでくるファルセットの美しさ。荒削りなんかじゃない、発声、緩急、音色の使い分け…、今に繋がる全ての要素がすでに磨かれて完成していた。

でもって、若い!(当たり前)
ダボダボでふわふわする服をはだけさせ、仰け反って目を剥いたり、靴を…靴…、あれはどうなってんだ?踵を踏んだり横に倒して履いたり。そして歌いながら身体をくねらせたり、千鳥足さながらにふらふらしてみせたり、柔軟な動きは身体能力の高さと体幹の強さを見せつける。そこにニキビもあったりするから、なおのことかわいい。
そして意気がったかと思えば、不貞腐れてみたり。飽きてきちゃった、ってあなた。「力づけなくていいよぉ〜」って。「これからどっか行くんですか?土曜日だしね。」ってそんな表情で。いやいや、みんな君たちのライブを観に土曜の夜の渋谷に来てるんだよ、わかってるくせに。

そう、ちゃんとわかってる。
なぜなら、その目は真っ直ぐで、力強くて、挑戦的で。
やってやるぜ。俺達がどこまで通用するか。
そんな強い意志に満ち満ちていた。

いや、「どこまで」とかそんなことは、きっと思ってないだろう。
(これが35年後には、単身イギリスはロンドンにまで行くことになるわけだが。)
どこまでだって行ってやる。行けるところまで突っ走るだけさ。
俺達のこの音楽が世間に響かないわけがない。
そんな気概に満ち溢れていた。

リアタイしていたらどう感じたか、沼底にいる今となっては想像もつかないが、まだ幼いハリネズミのような白さが眩しくて、子鹿のようなあどけなさがかわいらしくもいじらしくもあり、やんちゃが跋扈するさまは痛快ですらある。
相棒のギタリスくんは、弾けそうな楽しさ嬉しさを抑えながら、歌の人とシンクロする軽快なノリ。リズム隊は、あれだけ歌の人が遅れたらテンポを落としたくなりそうなものだが、歌の人はそうさせないギリギリのところでねちっこくビートにぶら下がってるし、リズム隊もテンポを変えることなく澄ました顔でズドンズドン進んでいく。この独特のグルーヴはもうこの頃から、つまり原初から構築されていたのだ。不動の4人。

同時に、漲る若さをぶつけたい屈託もある。
我が身の置かれた状況を、日常の身辺から社会情勢まで含めて歌に籠め、魂の咆哮をぶつけるロックスピリット。
そうした硬派一点張りの彼らのポテンシャルを世に問うには、剥き出しの舞台装置と点灯したままの客電というセッティングで、そのエネルギーを白日の元に晒そうという企画意図も理解できる。
だが、とてもやりにくそうだった。
今にして思えば初見で尖っていると感じたのは、このやりづらい設定に対して、それでも懸命に自分達のパフォーマンスで食らいつく姿に、生命力と闘志だけじゃなく健気さを感じて、見ていてつらかったからかもしれない。
渾身のビートに、絶唱が炸裂する。
ここで踏ん張らなければ先はない。4人が一丸となって正面突破して、やり遂げるしかない。


ふと、新たな感覚が湧いてきた。

この挑発的なパフォーマンス、
もしかしてこれは、甘えん坊が世間にからんで甘えている…?…のでは??

そんなふうに見えた。
憎まれ口は希望の裏返し。
セッティングへの苦言やMCを言いかけてやめるのは、どこまでなら世界が受け入れてくれるのか、その距離感を探ろうとしていたのではないか。「慣れちゃうのかな…、心配だよ…」と言いながら。


だが、この後、彼らが望んだようにはならない。
尖りすぎた音楽と言動は、玄人受けはしても「売れる」という状況にはならない。
消えそうな希望、つぶれそうな勇気、つぎはぎだらけの誇り。

それでも諦めなかった。
いくら拒絶されても不死鳥のように復活する。
何度クラッシュしても再起動して立ち上がる。

この世界を信じたかったから。

この世界が好きだから。

世界が、いつか受け入れてくれる日が来ると、信じていたから。


Abbey Road 独演会。
57歳の宮本浩次。
外国語を話す人達に囲まれて、たったひとり。
舞台装置なし、客電つけっぱなしの空間を思い出させるような孤独な緊張感。
1曲目に選ばれたあの歌の、一節が耳に刺さる。


でも 信じることは やめるな

“俺の道”


35年の時空が繋がった。


「自分を信じる」すなわち《自信》を鞭にして黒い薔薇をとりはらい、白い風を流しこみながら、歩き続けてきた俺の道。
自分を、自分の才能を、仲間を、そして世界を信じることはやめなかった。


35年の時を遡って、全国19都市24館で開催された上映会。
伝説とはいえ封印されていたら、この企画にラインナップされただろうか。それは彼らが孤高と称されながらも独自のスタンスを貫き、現在も存続しているからに他ならない。勝利を目指し続け、勝負から降りない限り負けることはない。しかも今がキャリア最高って。こんなバンド、他にはいない。もはや存在自体が伝説と言ってもいい。


届け!届け!!届け!!!
スクリーンの中の若者は、必死で訴えていた。
いつかこの歌が、届くはず、と。

「ちゃんと聞こえますか? 言葉とかね。」

自分の歌を通して、自分達の音楽で、この世界と繋がりたい。

「カメラの向こうに歌ってるぜ!エヴリィバディ!!」

今でこそ、しっかりと届くようにと届く言葉で歌えるようになったけれども、“奴隷天国” を「ある意味でラブソングかもしれないけど」と説明し、“RAINBOW” を「日常的な歌」と表現する感性。衝動を爆発させていたこの頃に、世間がそれを読解するのはなかなか難しかったのだろうと思う。
このひとの歌は、人生へのラブソングなのに。

ここまでずっとやってきたのは、世間と、世界と繋がりたかったから。
だって、この世界が好きだから。

渋谷公会堂のステージでがなり立てて悪びれてみせる若次くんに、この人生賛歌を聴かせてあげたい。
君が「届け!届け!!」と叫び続けた想いは、たしかに届くよ。
この4人で奏でる音が、35年後も変わらずに、100年目の日比谷野音の空に響くよ。
大人になった宮本浩次は、今も、これからもずっと、この世界が大好きだよ。

意地になるなよtime is time
すべてit's all right

夢を追う人ならば知ってる
行かば 道は開けん

問うな涙の訳を おお
生きる それが答えさ

“yes. I. do”





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