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「推し」とは《戦友》である

唐突に俺は気がついた。
おのれにとって「推し」というものは、一体どういう存在なのか。
自問自答の末、《人生の戦友》である、と結論した。

昨夜、お久しぶりの Instagram 投稿。
ご無沙汰の言葉もないし、何事もなかったかのように(実際には35thツアー、春フェス、バースデーコンサートがありましたが…? 自然災害も戦争も例の流行り病いもあるし…)、そして何事もないかのように(今週末は ap bank fes ですが…?)、涼しげな澄まし顔の近況報告。それ以上でも以下でもない。

うーん。これでいい。これがいい。
いやほんとに正直な話、率直に言って、マメに更新してほしいとは思っていないのよ。まったく。ただ元気にご機嫌で日々を生きていてくれたらいい。

改めて考えてみると、私の推しは吃驚するほどSNS更新にマメじゃない。スポーツ推しであるラグビーの齋藤直人選手も、ほとんど更新しない。他の選手たちは、ちょいちょい日常をアップしてくれる。誰とどこに行って何を食べたとか、明日は試合だから応援よろしくとか。そうすると、うわぁ、一緒に行くんですね〜!仲良しなんだ〜!とか、もちろん全力で応援します!!などと界隈ではたいそう盛り上がるものなのだが、我が推しはそういう投稿は、ない。まっっったくと言っていいほど、ない。
そして、そこが、良い。

そんなことを考えていたら、以前に書いたツイートを思い出した。
結局さ、今日も悩みながら頑張っているのだろうと思うと、今日もどこかで不器用にこの日々ときっと戦っていることだろうと思うと、私も頑張れる、ってことなのよ。すべての答えはこれまでの歌の中にある。答えはいつも heart の中にあるのさ。
というようなこと。

そう、誰それとどこどこ行って何を食べた、を投稿するのが彼らの日常ならば、何も投稿しない、それが我が推しの日常。それぞれの日常を生きているだけのこと。
だから、SNSの更新は求めていない。それほどは。いやそりゃあ、更新してくれたら嬉しいに決まってるけど、その分の労力を何かに使っているならそれでいい。そしてたま〜にアップしてくれる何でもない近況報告、これが生きる力をくれる。
このサムアップの力強さの中に、何でもないあたり前の毎日が実はあたり前ではなくて、実は一日一日が素晴らしくて、だからこそ大切なんだ、しっかり生きてくぞ!って心意気が詰まってるから(本当さ)。
何も言わなくても伝わるものって、ある。

つまり、私にとっての推しとは?をひと言で表すなら、《人生の戦友》。
ありがとうございます。
私も、なんとか元気にやってゐます。


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