人間なんて人情盗坊
たまにはプライベートな話を。
13年前に母を見送り、やもめの実父をプチ介護中。
3月17日、93歳になりました。
昨秋、救急搬送されて病院で1泊して帰ってくるというのを繰り返しやらかし、結局は入院させてもらった。面会は週1回15分だけ認められていたのが、オミクロンのせいで全面禁止に。最後の面会は年末、その週末までで面会できなくなるという知らせを受けて慌てて会いに行ったら、やや伸びすぎの不精髭がかっこよくて吃驚したぜ。父の無精髭の顔なんて、初めて見たかもしれない。
急性期病棟から地域包括病棟に移り、日数が限界になったので、老健を探してもらって入所することになった。ところが、移動日が決まった矢先、環境が変わることになると聞いて動揺したのか、発熱してしまい、入所が延期になってしまった。
熱が引いて、改めて入所日が決まったら今度は、受け入れ先の施設でスタッフさんに濃厚接触による自宅待機者が続出してしまって手が回らない、とのことで再延期。2週間後に入所日を設定して、今度こそと思っていたら、なんと同室の入院患者さんの陽性が発覚。父も抗原検査では陰性だったものの、PCR検査で陽性が出てしまった。
今いる病院には専用病床がなくて、本来なら専用病床がある病院へ転院するところなのだが、どこも満床で入れない。空くのを待っている間に隔離期間が終わるということもあるから、うちで責任を持って診ますから、と院長先生が力強く仰ってくださった。介護関係も含め、医療従事者の皆さんのご苦労ご心労はどれほどだろう、と泣けてきてしまった。
そして、主治医でもある院長先生の判断で、同室の方の陽性がわかった時点からすぐに新薬を投与してくださっていたおかげで重症にはならず、隔離期間を終えることができた。
そして、三度目の正直と思って改めて入所の準備をしようとしていたら、入所が決まっていた老健から、罹患した人は3か月経たないと入所できない、と言われてしまうという青天の霹靂。受け入れてくださるつもりだったそうなのだが、隣接する病院の入所審査会で引っかかってしまったとのこと。
振り出しに戻り、受け入れてくれる老健を探してもらい、ようやく見つかった受け入れ先に今週末、面談に行くことになっている。←今ココ
いやはや、上り下りのエヴリデイ。
こんなふうに書き出してみるとバタバタしていたように見えるけど、結局のところ、私ができることは何もなかった。だから、淡々と仕事に行き、推し活をして、自分の生活を送っていました。
家の冷凍庫の中を見ると、いろいろ買い置きがある。
こういうものが食べたいのかな…と思ったりもするけれど、本当に食べたいのは母の手料理なのかもしれない。私にはそれを再現できる腕がない。だがそれは言い訳で、母が父にしてあげれらなかった分と、父が母にしてあげたかった分を、私が父にしてあげないといけないのかもしれない(「してあげる」という言い方も語弊があるが、愛情をもって尽くしたいって意味です)。母が亡くなる3日前、「あとどれくらい生きられるかわからないから、お父さんのことよろしくね」と言い残したことがのしかかる。
なかなか意思疎通できないし、耳が遠くて大きな声で話すと叱られてると感じるらしく、ギクシャクする。そのたびにジョニーの気持ちになって歌いたくなる。「その話なら~先日も何度か繰り返して説明したつもりだけど…」。
でも、気まずくなってこっちがいたたまれなくなっていると、最後には「はい、ありがと」とふんわり微笑みながら返してくるから、うわー敵わねえ…と思う。
ワンオペではもうどうにもならない。
老健にいられる3か月の間に、何らかの方針を考えなければいけない。次はいつ会えるだろうと思いながら、寝室やトイレを改めて掃除した。ここに帰ってくることはあるだろうか。
いやはや、なかなかに汚い。
「あーあ、ったくもう、しょうがねぇなあ、こんなに汚しちまってよぉ。ほら、かしてみな!」とあの妖精の声で脳内再生しながら掃除機をかけ、トイレブラシをひっつかむ。気の持ちようが変わる。
ドーンと生きて行こうぜ!ってこういうことだろうか。
どう考えても、恩返しのしかたがわからない。
返せるわけがない。
老後の面倒を見たからといって、育ててもらった恩を返したことにはならない。そんなことをうにゃうにゃと考える。
そうすると結局は、与えてもらった命をしっかりと生きる。それしかないんじゃないかというところに行き着く。
大事で大事でしかたない自分、自分らしく、やりたいことをやって、もらったココロとカラダを使い尽くして、悔いのない人生を全うする。
それが恩返しなんじゃないだろうか……
…と結論した。
まあ何とも、自分に都合の良い自分勝手な結論だが。