明日もまた愛を探しに行こう 現在地について26
この夏フェスにあたり、ひそかに注目していたことがある。
“ガストロンジャー” と “今宵の月のように” を、演るか、演らないか。
演るなら、ソロでか、エレカシでか。
このエレファントカシマシを代表する2曲は、35周年アリーナツアー「35th ANNIVERSARY TOUR 2023 YES. I. DO」ではセットリストに入っていなかった。
その言葉を実証するかのように、前年の「TOUR 2021〜2022 日本全国縦横無尽」の重要な場面でさんざんに歌ったからということもあったかもしれない。何しろ日本のすべての都道府県で歌ったのだから。でも、それだけじゃない。
ソロの成功によって、鬱積していた承認欲求にけりをつけることができた。だからもう、化けの皮を剥がしに行くってことを結論しなくても、「勝ちに行こうぜ!」と咆哮しなくてもいいんだ。そう思った。
その歌たちが、また歌われた。
ソロ5周年のバースデーコンサート「宮本浩次 五周年記念 birthday concert GO!」で。
それはつまり、戦いはまだ続くということなのか。
俺もまた輝くだろう、今も輝いてるけど、その手応えをつかみたいのか。
エレファントカシマシはひとつの到達点に至った。
そして新たな出発点に立っている。
その上で、翻って己自身の現況を鑑みるに、鬱屈したコンプレックスを一気に解消すべく、化けの皮を剥がしに行くってことを自問自答の末、再び結論した。再び胸を張って、もっと力強い生活を手にするために。そういうことなのかもしれない。
何度も書いてきたことだけど、「バンドより売れたい」という発言にはいろんな意味で衝撃を受けた。
だが改めて考えてみりゃ、当たり前だ。「エレファントカシマシは宮本浩次の一部」なのだから。
さらに言えば、《歌手・宮本浩次》も《ロックスター・宮本浩次》も、《人間・宮本浩次》の一部。そんなことは言うに及ばすだ。
日本全国縦横無尽ツアー真っ只中の2022年の新春。
「大人エレベーター」の一問一答形式の問答。
誰のために歌っているかを問われた宮本はこう答えた。今また同じ問いを向けられたら、なんと答えるだろうか。
たった1曲で人生が変わると思うか?という問いには、曲が人生を変えることはない、とも答えている。だが、現実にはたった1曲で人生が変わることは ある と私は思う。実際に、私の周りは宮本浩次の歌によって人生が変わった人ばかりだ。
「その人の持ってるものが喚起されるということはあるとしても、曲が何かを変えることはないような気がする。もともと持ってたとしか思えない」
と宮本は言った。たしかにそうかもしれない。でも、もともと持っていたにしても、その歌と出会わなければ喚起されることはなかったのだとしたら、やっぱり歌との出会いが人生を変えるトリガーになったと言ってもいいんじゃないかな、と思う。
だが、自信家で、自己肯定感が高いわりには謙虚な彼にとってはきっと、歌が誰かの人生を変えるなんて、そんなことは烏滸がましいし、興味ないし、正直どうでもいい(と思っていてほしい)。
かつて、ファンに対して「離れたかったら離れてもいい。聴きたくなったらまた戻って来てくれれば」(意訳)と言ったそうだが、本当は多くの人に聴いてもらいたくて、わかってもらいたいはずだ。でも、シャイでやさしいからストレートには言えなくて、こういう遠回しな表現になってしまったのだろうと推察する。
とはいえ、この歌を聴衆の心に届けたい、響かせたいと思ってはいても、歌で誰かを支えたいとか救いたいとか、考えながら歌を作っているだろうか。売れたいと切実に願っているが、迎合は一切しない。歌いたいことを歌って、わかるやつだけわかればいい。わからなければそれまで。響かなければさようなら。この言わば諦観が、完全燃焼しているにもかかわらず手応えを得られていないような、心の叫びを引き起こす。
なんで売れないんだ!本当はこういう歌で売れたいんじゃない、もっと俺のことをわかってくれ!
それが、変わった。
第1の転換点は、「日比谷野外大音楽堂 2022」。
この年の野音は、前年からの日本全国縦横無尽ツアーを完走し、バースデーコンサートはその集大成としての「縦横無尽完結編 on birthday」、秋からは「ロマンスの夜」公演が予定されているという、その一瞬の隙間にねじ込んだ日程だった。
まだまだ行かなきゃならないと叫びつつも、悩みを吹っ切った、明朗爽快なセトリ。
そして、そのセトリの中にも “ガストロンジャー” と “今宵の月のように” は、なかった。
この後、思いっきり舵を切る。
第2の転換点は、エレファントカシマシデビュー35周年。
冒頭に書いた通り、35thツアーでもこの2曲はセトリ入りしなかった。
このタイミングで生まれたのが、“yes. I. do”、“It's only lonely crazy days”、“No more cry”、“Hello.I love you” の英語タイトル4部作だ。
今回の夏フェスのソロ出演セトリでプレイリストを作って聴いていると、なぜかこの4部作が聴きたくなる。そして唐突に俺は気がついた。“Hello. I love you” の明るく爽快なリズムとメロディーは「さあ、がんばろうぜ ♪ 」に近似している。この歌からもらえるパワーは、“俺たちの明日” の系譜に連なるのではないかということに。
そして、2023野音。
“今宵の月のように” がアンコールで演奏された。
「唯一のヒット曲、聴いてくれ」という前置きつきで。
このライブには、30周年以降の「“今を歌え” とかって訴えながら、どんどんしおれていってる感覚」(「ロッキング・オン・ジャパン」2024年7月号)はもうない。越し方行く末のすべてを受け入れた清涼な疾走感が支配する。
自分のために歌っているはずの歌が、多くの人を支えている。救っている。
これまでも、これからも、今も。
ソロ活動が盛り上がる中で、その現象が揺るぎない事実として目前に突きつけられた。
それを肌身で感じ、目を逸らすことができなくなった。認めざるを得なくなった。
そして、とうとう、自分の歌の力をありのままに受け入れ、最大限に発揮する方向に舵を切ったんだと思う。
だから、“今宵の月のように” のヒットを受け入れることができた。
そして、“俺たちの明日” のベクトルに連なる4曲が生まれた。
「バンドも生き返った」という真の意味は、ここにあるのではないか。
それが《新生エレファントカシマシ》なのだと。
ソロのコンサートでエレカシ曲をやることについては、賛か否かの二択では片付けられない複雑な思いもある。だがフェスでは、他の出演アーティスト目的で訪れる幅広い年代の聴衆に、エレカシ曲のポピュラリティーが強く鋭く刺さりまくる。
レジェンドにして現役、守護神にして最前線。
この場所での手応えはさぞかし格別な喜びだろう。
そして、birthday concert GO! で直感し、さらにこの一連の夏フェスでいよいよ腑に落ちたのは、やっぱり今は「俺たち」の歌を歌いたいのだろうということ。
それに加えて、ソロでエレカシ曲をやるのはエレファントカシマシを大切に思ってるからだし、エレファントカシマシでエレカシ曲しかやらないのもエレファントカシマシを大切に思ってるからだということ。(言ってることわかりますか?)
沼落ちしたばかりの頃、心に引っ掛かった歌がある。いや、そりゃもう、他にもいろいろと引っ掛かりまくりだったけど、例えば、
見上げた空にいつもキミを感じていたとか、これからの季節をキミと一緒に…とか歌ってくれて、ときめきながら聴いているのに、
この部分に至って、え?!「俺しか知らない」…って、え、待って、一緒に連れて行ってくれるんじゃないの?!と肩透かしを喰らう。この感覚。これがまた非常に心地よかったりする。
わかる。わかるのよ。
そりゃ俺は俺、キミはキミ、それぞれに生きてるんだから、個々であり、それぞれの孤独を抱えている。たとえ一緒にいても。でも、いや…だからこそ、人生においては戦友。だから一緒に明日へ行けるんだ、ってことが。
この歌のこの部分がわかりやすい例なのではないかと思うのだが、つまり、一切合切そういう歌たちなのだ。(言ってることわかりますか?!)
そして、今年の夏フェスのソロ出演。
1曲目に選ばれた歌。
ゆっくりとした優しい弾き語りの歌い出しが、空高く響き渡る。
宮本浩次、ここにあり。
“今宵の月のように” だった。
今日も、明日も、愛を探しに行く。
真夏の夜空に月を仰ぎ、
真冬に、花となって咲く。
月は、自ら光っているわけではない。太陽の光を反射させて光るのだ。
だから月が光るためには、俺もまた月のように輝くためには、太陽の光を浴びなければならない。
だから、
曙光の力を得て、愛を探す旅。
たとえ雨が降ろうと
聴衆ひとりひとりの ‘さすらう heart’ とシンクロし、
続く、“悲しみの果て” に
と日々をしっかりと生きていくことを、突き上げる拳に握りしめて誓い合う。
そこから終盤の “ハレルヤ”
俺が、私たちがもともと持っているはずの、生きる喜びと力を呼び起こす。
そして、
締めくくるのは、“俺たちの明日”。
このひとは、いついかなる時でも、勝ちに行く。戦っている。
その時代、場所、己の状況に合わせて、武器や武装を変幻自在に使いこなす。
だが、いついかなる時でも、一番の武器は歌、一番の武装は人生と戦友への愛。
一人称が単数の「俺」か複数の「俺たち」か、もはや同じことなのかもしれない。
このセットリスト・ストーリーは、「俺」と「私」と「俺たち」と「私たち」が、人生における戦友であることを確認するプロセス。
彼の歌が放出する圧倒的な説得力は、自我と他者の境界を揺るがし、そのすべてをこのパワーワードが包括する。
「勝ちに行こうぜ! エヴリィバディ!!」
ひたちなかのロッキンでは、エレファントカシマシとして、どんな選曲で挑み、それをどんな順番で聴かせてくれるのか、楽しみで震えます!