私のなかの皇帝
というフレーズが、とても頭に残っています。
これは、私が大好きなお香・キャンドルを販売されているeightというブランドのキャンドルのうち一つのキャッチフレーズ。
決断は自分のもの、という意味が込められているのかな。
自分をコントロールするのは自分自身だけ。
タロットの大アルカナ1つ1つをモチーフにしたタロットキャンドルを作ってらっしゃるのだけど、私はそのうちの一つ「皇帝(The emperor)」を購入しました。
朝イチ、早起きして、キャンドルをつけて、30分くらいぼうっとするのが好きです。
1週間くらいそんな感じで毎朝キャンドルを楽しんでいて、
キャンドルをつけるたびに「自分のなかの皇帝」という言葉が浮かんでいました。
そして、ある出来事が。
ずーーーーーっと、とってもお世話になっているけどもうこれ以上情熱を持てないな、生活のためでしかないな、というパートの仕事があって。
もう何年も働いているからある程度責任のある立場にもなって、
上司も信頼してくれていて、必要としてくれている。
でも自分自身は、もう、自分の目標に向けて動きたくて、
でもお金のためと必要とされているから責任をもって仕事して、
でも上司に仕事について「この先どうしていきたいか」と言われると、
情熱がないので何も言えない・・・・
という、非常に微妙な状態の仕事でした。
そこで出会う仕事仲間たちのことは、とても好きなのだけど。
生活のため以上の目標、あとは自分が必要とされている実感がある以外に働く目的はそこまでもうない、(昔はもちろん情熱をもって働いていましたよ)
という状態。
リーダー的な立場もしんどいし、
やめたい気もするな、でもな、
やめてやりたいことをしたとして、うまくいかなかったら困るな、
ある程度ちゃんとお給料がもらえる仕事を保険としておいておきたいな、
という感じの。
その仕事先で先日、上司と一対一でお話する機会がありました。
そこで言われたのが、
「仕事にもっと情熱を持ってほしい」
ということ。
その仕事はある程度ブランドイメージのある仕事で、
一般的に「好き」「憧れ」というのが強い仕事です。
でも、実際に働いてみて中を見て、
純粋な「好き」という気持ちを持ち続けるのは難しかった。
さらに、今の自分にはその仕事よりも情熱をもってチャレンジしたいことがある。
そして何より上司の言葉に違和感をもったのが、
「情熱って強制されて持つものではない」
ということ。
その時、キャンドルの
「私のなかの皇帝」
という言葉が、突然頭に響きました。
なぜ強制されなければいけない?
なぜ情熱を持つものを人に決められなければいけない?
自分がどこに力を注ぐかは、自分で決める。
そう、強く感じました。
なので、上司にも正直に伝えました。
「責任をもって必要とされている仕事はできます。でも情熱はもうありません。そこを求められるのであれば期待に応えられないので辞めます」
上司は、顔には出していなかったけど、
とてもショックだったと思います。
二人でいろんな話をしていたから。
私のことを心の拠り所にしてくれていたことは、
私自身もよくわかっていました。
でも、これは私の人生です。
上司のために、自分を本意でないところに置くのは、
上司に対しても自分に対しても失礼だと思いました。
そして、年末に退職することになりました。
お金のこと、自分がこの先どうしていくのか、
不安はつきません。
子どもたちもいます。
生活をしていかなければいけない。
でも、とりあえずは長い長い宙ぶらりんな状態だったのを、
やっと自分の決断でやめることができた。
自分で決断をくだすことができた。
そのことを、自分で褒めてあげたいと思います。
最初の投稿でした。
note、すごくシンプルでとてもいい。
ブログは装飾を気にしないといけないから・・・
では。