杉本博司#1 東西の交錯ー安土桃山とルネッサンスの夢の接続
杉本博司(1948年〜;以下杉本)は稀有な才能であり、人物である。 国際的に高く評価されている在命のアーティスト、写真を始点に、彫刻、インスタレーション、建築、執筆、料理、伝統芸能、と多岐に渡る才能だけではない。「人間とはどこから来たのか」、更には「生命」が誕生したその現場に立ち戻り、その起源を「意識」「気配」を切り口に、科学的な検証を基に時間と空間を串刺しにしながら「歴史と存在の物語」という壮大なテーマを提示し続けているからである。 美学や感性という曖昧な主観性に基づく(=延々と個々のポジョショニングを重ねている統一性のない西洋哲学)のではなく、ガリレオやニュートンの天文学、光学、物理学などの科学的、経験主義的知見を持ち、それを他の誰も成し得なかった手法ー古今東西の歴史、自然、宇宙まで何重もの入れ子構造による精緻なコンセプトを「諧謔」まじりに編むーによる杉本流の「技術」を確立して、コンテンポラリー・アート作品としてほぼ完璧に自身の世界観が展開されているからである。
杉本作品を初めて(意識して)見たのは、2016年春、地元京都の私立美術館での「趣味と芸術」であった。出会いは遅い。日本美術を学んだ私の御用達的なその美術館で、高級マダム御用達雑誌に連載していた「謎の割烹 味占郷」を、ゲスト+掛軸+置物を選んで構成した床飾りを再現したもので、古典美術も料理も好きな私の食指を唆るテーマであった。雑誌主導の企画だけあって、ゲストの選定と料理、古美術の組み合わせはスノッブ極まり少々辟易し、庶民の嫉妬と羨望も相まってアートとしてはあまり評価せず。とにかく古美術や料理、室礼への並々ならぬ知識と目利きコレクターとしての杉本に感嘆したことが記憶に残る。
ゲストの人物像と個人史を、料理と古美術、現代アートを京都の風土を意識した組み合わせで当意即妙なエッセイで客に出す割烹の主(杉本)の趣味と見識、造詣の深さは並大抵ではない。それら全てを知り尽くした故のお遊び感覚も、嫌いではなかった。古今東西の古典と歴史、それも高度な水準の事物を自在に出現させた組み合わせの妙。それらがある種の室礼の中で「コンテンポラリー・アート」として成立し、しかも、提示される時期と場所で展示構造が異なる、オルタナティブなサイトスペシフィック・アートとして仕立てしまう手腕。それも固苦しくも、圧力もなく、ユーモアと(親父)ギャグ混じりで分かりやすく楽しいのだ!その手法でもって、壮大な「歴史と存在の物語」へ引き連れてしまう作家に興味を惹かれないわけがなかった。
さて、世界的なアーティストだけに、その経歴、展覧会評などは各国語で数多に存在し、優れた論考も多い。今更何をいわんやだが、単純に、日本の大学の経済学部出身の若者が、現在の到達に至った経路を探りたいのである。時間、人間、生命、意識、風土などを切り口とした東西の「血と知と地」のあわいにある観念を参照して、人間の知覚や意識の起源、エートス(ethos)を探ることが目下の私の課題だからである。
杉本博司という巨人を探るなど大それたことではあるが、寛大な心と日本文化や風土をこよなく愛する心やさしい人である(という印象)。しかも、その独自のサイト・スペシフィックな展示方法による幾つかの大型展覧会で、杉本の経験主義的な物理的、精神の旅の軌跡と杉本が読み解けた事象が明確に提示されている。完璧主義らしく、同じ作品を展示するも精密にサイト・スペシファイする重層的(からくり的?)展覧会により、逆に多くの事が立ち上がり、読み取れるのである。
>天正遣欧少年使節肖像画 1586年、木版、紙 京都大学付属図書館
そこで気がついたのが「クアトロ・ラガッツィ 桃山の夢とまぼろし」展(以下、クアトロ・ラガッツィ)である。クアトロ・ラガッツィとは四人の少年の意、上記の肖像画は日本人には教科書などでお馴染みだろう。他の大型展覧会同様、ニューヨーク(2017年)と熱海(2018年10-11月、MOA Museum of Art)に次いで、同年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録を記念して長崎県美術館で2018年11月~2019年1月に開催された。Japan Societyでは創立110周年記念として「Gates of Paradise」(天国の扉)、MOA美術館では2017年のリニューアルオープンと同タイトルでほぼ共通した作品から構成されている。それぞれの記念事業に相応しい内容と広がりを持ったテーマであり、各国の歴史、地勢、嗜好などをそれぞれの主催者、キュレーター達と練りこんだ独自のコンセプトによるNY版、熱海版、長崎版として、同一の巡回展ではないところが杉本流の、オルナタティブなサイトスペシッフィク性と呼ぶ所以である。
だがこの展覧会は、熱海と長崎というローカルな地での開催であった為か、杉本を紹介する際のレジュメや美術評などではあまり取り上げられていない。しかし、江之浦測候所に繋がる重要な視点が、ここに鮮やかに象徴されて提示されていると思うのだ。 「天正」(1573〜1592) の始まりは「安土桃山時代」(1573〜1603)の始まりであり、すなわち室町時代後半からの「戦国時代」と重なって、政治と社会が激しく動き、日本文化が絢爛豪華の頂点に達した時代である。ヨーロッパではルネサンス期にあたる。当時の京都は政治と権力の中軸を失い、群雄割拠の様相を示し、1603年の江戸幕府まで陰謀策略、裏切りと武勇が渦巻く血を血で洗う時代。しかも、鉄砲も伝来し、戦乱の熾烈さと経費は増すばかり。既にイエズス会がアジア進出(侵略)の先見隊として日本で積極的な布教を行い、1580年には英国船も平戸に上陸するなど「大航海時代」の大波が日本も襲った、まさに東西ともに時代と歴史が入れ替わる激動の時代だった。クアトロ・ラガッツィが日本を発ったのは1582年、帰国は1590年という、まさに「天正遣欧少年」だったのだ。
上記の世界地図は当時の覇権国スペインとポルトガルが15〜16世紀にかけて世界を両国で二分する協定を結んだもの。16世紀末にはスペインがポルトガルを蹴散らして南米のみならずアジア進出を果たしてフィリピンを植民地に。さらなる強敵英国とオランダもアジア進出して「未開の地はすべて西洋(=キリスト教徒)のものとばかり植民地化していく。国内では都と地方、海外では当時のヨーロッパ列強とアフリカ、南米、アジア、文化的には安土桃山とルネサンス。支配するものとされるもの、富むものと搾取されるもの、が東西を問わず増大していく。ここに、1970年代の米国に旅だった杉本が完全に重なる。時代も、心情も。杉本の写真作品だけではなく、多くの歴史資料は余分なイマジネーションを廃し、限界状況で時代の風景とそこにいた人々の心性を表象している。そこから湧き出るリアリティや現在の我々の新たな思考への接続が目論まれた仕掛けの展覧会。クアトロ・ラガッツィー杉本ー我々が同一地平で、視点を介して共犯者となるのだ。 おりしも本年2020年は「麒麟がくる」で、まさにこの時代を現代的視点で描いており、クアトロ・ラガッツィでも重要な立ち位置だった織田信長や明智光秀、豊臣秀吉が登場し、理解が進む(ちょっと、展覧会の開催時期が早かったのかもしれない)。
杉本は戦後色の残る東京の下町で生まれ育ち、アングラやヒッピー文化の中で青春を送り、その本場、70年代のロサンゼルスで写真を学び、74年からNYで写真を起点とした現代アート作家として「ジオラマ」(76年〜)を始め、「劇場」(78年〜)、「海景」(80年〜)など代表作となる長期シリーズ作品活動などを展開していく。70年代のNYは、時代もアートも激しく動き、新しいものが爆発的に生まれたアメリカの輝ける時代の終盤に向かいつつある時代。いや、杉本には、何もかもが変動と興奮の時間であったと思う。奨学金で凌いでいたが、作品が国際的な評価を得て売れるまでは家族を抱えた生活の為に古美術商を営み、数十年来NYと日本を行き来した旺盛な、息の長いシリーズ作品の制作活動や古美術との出会いが、今日の杉本を形成する土台となっている。当時の米国は禅など、所謂「東洋の神秘」への熱病にかかっており、杉本と古美術との出会いは「必然」であった。
話をクアトロ・ラガッツィに戻すと、2015年に上記の「劇場」シリーズの撮影の為に赴いたイタリア・ヴィチェンツァのオリンピコ劇場で、天正少年使節を描いた壁画と出会う。ヨーロッパ最古のオペラ劇場の姿を今日に残し、内部には無数のギリシア彫刻像の装飾、天井には美しいフレスコ画、そこに1585年の開館時に訪れた日本からの使節が歓迎を受けている場面があると教えられ、これぞまさにクアトロ・ラガッツィであった。ヨーロッパ文化の粋とも言える古式のオペラ劇場での日本人との出会いは、当時の最先端世界文化の中心地である米国や欧州での若き杉本青年の姿と完全に重なった。石と鉄の文化の重さと高さに圧倒されていく感覚は、如何ばかりか。さらに、クアトロ・ラガッツィの足跡は、ピサ、フレンツェ、シエナ、ローマと完全に杉本の撮影の地と重なり、同じ光景、同じ視線が430年の時間を超えて重なったのだ。
>オランピア劇場 ヴィツェンツァ 2015年 ゼラチン・シルバー・プリント、149.2X119.4cm 個人蔵
>ピサの斜塔 2014年 ゼラチン・シルバー・プリント、149.2X119.4cm 個人蔵
私は遥かな時代の彼方から声を聞いたような気がした。「私たちが見たこのヨーロッパの風景を、今一度あなたにみてもらいたい」という声を。 ー「クアトロ・ラガッツィ」図録序文 「天国の門ー日本と西欧の十字路」杉本博司よりー
偶然が必然を促す時代と文化、そして少年という「青春」の足跡の旅は、すでに人生の後半に入っていた杉本の人生と重なり、「日本人が初めて知る西洋」と「西洋人が初めて知る日本」を再見できた必然の旅となった。 21世紀は決して人類が成熟して、平和を手にいれた時代へとは進んでいない。テロ、内戦、国際紛争(そして、2020年にはそしてコロナ禍)。陰謀と策略の戦国の世の再来である。2014〜2016年は、ヨーロッパはテロや貧困との戦いが続いて不穏な時代だった。そこで撮影する「天国の門」や聖堂、ピエタなどキリスト教美術の粋が、静かに時間を語るモノクロームに沈んで我々の視線の前に立つ。地中海や天草の「海景」は東西の天正時代の史料や文物(肖像画、キリスト教関係書籍、地図、南蛮屏風、茶碗、など)とともに並び、最後は凄惨な殉教図(元和の大殉教、1623年)と数々の殉教図で締めくくられている(十字架のキリストを見慣れた目には殉教図も神聖な場面にうつるのだろうか、かなり奇妙でグロい...)。
彼らの欧州滞在8年5ヶ月後には時代は大きく動いた。彼らの出発年に信長は謀反で殺され、時代は秀吉へ。秀吉は彼らの帰国より前の1587年にバテレン追放令を出し、江戸幕府の禁教令発令(1612年)へと弾圧は続き、信長が送り出した8年前とは天と地ほどの変化があったのだ。青雲の志でローマを目指したクアトロ・ラガッツィは、天下人が変わり、時代が、社会が、思想が短時間で移り変わる東西情勢を見て、その視線の果ての夢は現実に接続しえなかった。彼らは輝く未来を描いたはずだ。誰も予想できないほど複雑で、スピーディに交錯する東西の時代の大波の中でも。 なお、蛇足ながら、現在のバチカン市国はムッソリーニによって作られたもので、当時は「イタリア国」はなく、ローマ教皇領であり、現在とは国や教会の立ち位置は異なっている。
そんな東西の文明と文化の交錯する荒波の中で自らの技術を磨き、世界観を築き上げ、現代アートとして我々にお披露目してくれる杉本一流の戯れか導きのような作品群は、2020年の京都市での「瑠璃の浄土」で、まったく異なる世界観を提出して驚かしてくれた。これは「杉本博司#2」で書いてみたい。
>リグリア海、サビオレ 1993年 ゼラチン・シルバー・プリント、119.4X149.2cm 小田原文化財団
>天国の門04、アブラハム 2016年 ゼラチン・シルバー・プリント、80X182cm サン・ジョバンニ礼拝堂、フィレンツェ
>南蛮渡来風俗図屏風 17世紀半ば 紙本金地着色 六曲一双、117.0X274.6cm 逸翁美術館
>長崎大殉教図、作者不詳 1622-32年頃 紙本着色、128.0X166.1cm イタリア内務省 宗教建造物基金(ジェス教会、ローマ) マカオの宣教師が書き写した記録を元に再現された。女性、子供も含まれ、斬首刑の場面などが周囲で祈るキリンタンの群衆と共に描かれ、我々は彼らの視線とともに時代の目撃者となっている。
<私の血の中には、430年前の双方の驚きが、未整理のままに流れている。私は私の精神の出自の出自を訪ねて、目視確認の為の旅をまとめ、 ここに展覧会としてお披露目する> ー「クアトロ・ラガッツィ」図録序文より