どん底からサンタさんが救ってくれたあの年のクリスマス
あの人がいなければ、まず間違いなく、僕は海外留学中に所持金が尽き、大学院を中退、職務経験ほとんどなし。の状態で世間の荒波に放り出されていただろう。
いま、思い出すだけでも、そんなゾッとする状態から救ってくれた恩人のお話。
当時、僕はアメリカ、テキサスの大学院に留学中。
新卒で入社した会社をたった2年で辞めて、日本を逃げ出すようにアメリカに渡ったのだった。
卒業まで最低でも2年はかかるというのに、日本を発ったときの所持金は学費も含めて1年分。学内の図書館でアルバイトをすることはできたものの、とうてい卒業まで資金がもちそうもない。
そもそもなんでそんな状態で留学したのかといわれれば、それまでなんだけど、やらかしてしまったものは仕方がない。
そこで起死回生の策として、本屋さんに行き、ウェブサイトの作り方の本を購入。HTMLの書き方とCGIの使い方を急ごしらえでマスターし、
留学カウンセリングの有料Webサービスを立ち上げた。
当時はインターネットの黎明期。
Yahoo Japanや楽天がサービスを開始して間もない頃、Googleがまだ存在しなかった時代だ。
とは言っても、一介の留学生が有料のWebサービスを立ち上げただけで、簡単に売上が立つほど甘くはない。
どうにかしようと足掻いてみるものの、手持ち資金は刻一刻と減っていく。
そして、その年の12月。
学費を払うか、食費に回すか、いずれにしても、翌春まで資金はもたない。つまり、大学院中退。無職。
という、当然予測された終着点に向かって、まっしぐらに進んでいた。
そんなとき、突然、留学カウンセリングサービスの入会者数が激増した。
「え? いったい何が起こったの?」
僕が立ち上げた留学カウンセリングサイトが、プロレスラーのジャンボ鶴田氏のお勧めサイトとして、日経新聞社の情報誌に掲載されたのを知ったのは、それから少し後。
なんで? どうして、ジャンボ鶴田氏がこのサイトを知っているの?
しかも、お勧めまでしてくれるの?
そのときやっと、スポーツ科学の研究ができる大学院を探したいという自称レスラーさんが、数か月前に入会されていたことを思い出した。
そういえば、その会員の名は鶴田さん。でも、女性と思わしき名前だったから、女子レスラー? 程度の認識でしかなく、子供時代、大のプロレスファンでジャンボ鶴田さんの試合を何度も見せていただいていたのに、本名が、友美(ともみ)さんだとは知らなかったのです。
そして、その記事をきっかけに毎月のように、次々と雑誌、書籍に掲載されるようになり、留学カウンセリングサービスが順調に軌道に乗るという奇跡が…
そのおかげで、なんとか学費も支払いができ、無事、大学院を卒業することができました。
後日、日本から取り寄せたその雑誌の表紙には、サンタクロースがそりに載ったイラスト。
まさに、サンタクロースからのプレゼント。
帰国してから1年後、2000年5月13日、出張先にいた僕は、コンビニエンスストアの店先に置かれた新聞の見出しから、ジャンボ鶴田氏が急逝されたことを知りました。
それは、プロレスラーからの引退、スポーツ科学研究者としての第二の人生に進まれた矢先のことだったと聞きます。
鶴田氏の墓石には、氏の座右の銘である「人生はチャレンジだ!!」の文字が刻まれています。
あの年のクリスマスから、今も、これから先も、ずっと、鶴田氏への感謝の気持ちと人生へのチャレンジの精神を忘れることは決してありません。