「恐怖」と「未知」の関係
「よなかに ねないこ ここにもいるぞ おばけのくにへ つれていけ」
一般的に子供は「オバケ」を怖がります。なぜか。真っ暗闇の夜に現れ、連れ去ったり苦しめたりと恐ろしいことをする、子供自らの常識では理解の及ばない超常の存在。それが子供から見たオバケです。確かに、そんなものが本当に存在したら恐ろしいでしょう。
一方で、大抵の大人はオバケなんて怖がりません。あらゆる困難が科学で解決するこの令和の時代、オバケなど存在しないことがわかりきっているからです。存在しないものを恐れることはありません。実は現代人の能力では認識できないだけで存在するかも!?というオカルト話は今回ナシの方向で。
ところで、オバケや怪談が怖くない大人でも「夜の真っ暗闇」が怖くないと言い切れる人はそう多くはないでしょう。一寸先も見えない暗黒、段差や急斜面と足元だけでもどんな危険があるか知りようがありません。道路であれば急に暗闇から車や歩行者が飛び出してくることもあるかもしれない。怖いですね。
暗くなくても、真っ昼間に「見知らぬおじさん」に突然声をかけられたりしたら?なんか凶器みたいなの持った状態で掴みかかってきたら?女性が恐怖を感じるのはもちろんのこと、男性でも何をされるかわかりません。怖いですね。
以上のように、大人でも怖いものはあります。「何があるかわからない”未知”」からくる恐怖、「何が起こるかわからない”未知”」からくる恐怖、恐怖とは未知から来るものなのです。
真っ暗闇でも十分な灯りで見通せられれば怖くないし、知り合いのおじさんとかであれば怖くない「未知」の要素がなくなるからこそ「恐怖」もなくなるのです。
「未知」は怖い。なんか突然周りの人が口にし出した変な流行語、馴染みの街で知らない言語を話す外国人の集団、携帯各社がなぜか推してる新しい通信規格、目に見えない電磁波、漠然とした未来、嫁や旦那の隠し事、新種のウイルス、詐欺、宇宙人…どれも知っていればどうってことないけど、知らないから怖がってしまう。
世の中知らないことだらけ、知ろうとしても真偽の怪しげな情報だらけですが、可能な限り物知りになって恐怖を克服していきたいものですね。
ここから無線(電磁波)の話に繋げようかと思ったんですが前置きが長くなりすぎたのでやめます