ロシア史小話 ざっくり全体編
noteを始めてからはや2ヶ月?くらいというものの、Twitterでちょくちょくやっていたロシア史小話を一度も展開していませんでした。
そもそも私はロシア史に関して特に大学とかで専門的な教育を受けたことがあるわけでもなく、ただ単に市販の学術書とか歴史小説とかを読んで知ったにわか知識程度のものなのですが、ロシア史自体が自分から進んで学ぼうという気にでもならない限り知りもしないであろう分野っぽいので、隙間産業的なノリで学び始めたというような次第です。別にこの知識が金になってるわけでもないし、金にするつもりも金にできる可能性もありませんが。
前置きが長くなりましたが、黎明期からお話しするのもありきたりなので、現代からロシアの歴史をお伝えしていきます。その前に、ロシア史の全体的なお話からしましょう。
そもそもロシアとは?一般的に現代のロシアという国といえば、モスクワを首都とするロシア連邦を連想する人が大多数でしょう。確かにそれはおおむね正しい認識です。
しかし、広義にはウクライナもロシアだし、ベラルーシもロシアです。歴史的・文化的にはウクライナのほうが真の意味で「ロシア」に近いかもしれません。
というのも、現代のウクライナの首都キエフ(ウクライナ語でキーウと発音)が9世紀に今で言う「国家」と呼べるような形で興り、13世紀ごろまではキエフを中心としてロシアの文化は発展しました。
キエフは13世紀、タタールと呼ばれるモンゴルの軍勢によって攻撃され壊滅し、ロシア文化の中心から離れてしまいます。その後、ロシアの政治と文化の中心は新たに興ったモスクワに移りました。現代のロシア連邦の首都ですね。
18世紀にはロシア帝国初代皇帝ピョートル1世が「聖ピョートルの街」サンクトペテルブルクに居を構えたため、モスクワは政治の中心ではなくなりましたが、モスクワは依然文化の中心であり続けました。
日本で言えば、室町幕府から江戸幕府に変わって江戸が中心都市になったけど京都は日本の第2の都市であり続けたといった感じです。一方のキエフはいいとこ奈良か太宰府といった感じで、完全に文化の中心から外れた古都扱いでした。
そして20世紀、ロシア革命が起こり首都は様々な理由からペテルブルクからモスクワに戻されました。やがてソ連は解体されロシア連邦が出来上がり、ロシア文化の中心たるモスクワはそのままロシア連邦の首都となって現在に至ります。
そういうわけで、ロシア文化の勃興そのものは現在で言うウクライナのキエフから中世に始まったわけですが、現代まで続くロシア文化のは中近代から現代までモスクワで育まれました。
そしてそのモスクワを擁しているのがロシア連邦だから、ロシア連邦が現代で一番「ロシア」的な存在・真のロシアであり、ウクライナやベラルーシは傍流…というのは暴論であり、決してそんなことはありません。まあ古都キエフを首都とするウクライナはともかく、ベラルーシは土地柄的にかなり本流から外れた存在と言えなくもないけど。今回のお話でも全然触れてないし。
とにかく、ロシア連邦もウクライナもベラルーシも、みんな「ロシア」なんだということをなんとなく理解してもらえたであろうところで今日はここまでにします。