炭鉱の朝鮮人労働者「給料のことを言えばリンチ」(厚生省報告から)
家族に対する送金は本人又は工場、事業場より其の家族に直接送金するもの、工場事業場より府邑面〔日本の市町村に当たる〕を通じ送金するもの等、其の経路一定しあらざるも概ね其の額僅少にして内地向動員忌避の最大原因をなしあり
例:長崎県北松浦郡小佐々村日本鉱業会社矢岳炭礦に稼働中の木村魯栄に関するもの
送金人 矢岳炭礦
送金先 京城府楼下町17 木村英雄
送金額 26円
木村魯栄の月収 105円56銭
内訳〔中略〕
尚京畿道高陽郡勤労動員課長(内地人)の談によるに帰鮮労務者の多くは
一、 自分の給料の内訳が判らない
二、 給料のことを云えば私刑〔リンチ〕をうける
三、 帰鮮時貯金通帳などは勿論貰へない
実状にあるが如し
(出典:厚生事務官松崎芳より勤労局長宛「復命書」、1945年1月8日、原本のカタカナ表記、漢数字表記を変えた部分がある)
●解説
戦争末期に厚生省勤労局事務官が書いた内部向けの報告書。「木村魯栄」は、創氏改名によって日本名になっているが、朝鮮人労働者である。
勤労局は労務動員そのものを管轄する部署だった。朝鮮人労働者がいなければ戦争も続けられない、しかし、朝鮮の状況もひどいらしい、ということで朝鮮の実情を視察し、その結果を報告したのだろう。
この文書には、困難な動員の実態と、その原因が記されている。動員忌避の最大の理由として指摘されているのは、家族に送金できる額の少なさである。事例で挙げられている送金額「26円」は、最底辺の労働者の月収以下の水準に過ぎない。貯えもなく、他に働き手もない場合、残された家族は、とうてい生活を維持できなかったはずだ。
しかも、運よく期間延長を強いられることもなく日本から帰ってきていた朝鮮人労働者でも、自分の給料の内訳が分からない。つまり、貯金その他でどれだけ引かれているのか教えられていないか、たとえ何か書類を渡されていても理解できていなかった。
朝鮮人労働者が控除額などの内訳について質問しても、事業所側は丁寧に教えず、それを私刑=暴力で黙らせていたのである。そして、退職時に貯金の通帳をもらうことはほとんどなかった。
結局、日本での労働について、それによって得られたはずの総額が本人や家族に渡ることはほとんどなかった。そもそも、それがいくらかも分からないままだった。こうした実情については、朝鮮総督府も厚生省も知っていた。だが、改善措置が取られることもなく、日本敗戦まで無理な動員が展開された。進んで日本に行く者がいなくなるのは当たり前なのである。