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片づけを片づける


私の仕事、これじゃん


片づけの仕事を始めてかれこれ10年が経とうとしています。
「あっ、私の仕事これかも!」と思った瞬間の興奮を今でも覚えています。

それは、当時2歳だった(?)娘を寝かしつけて、ほっと、ひと息ついた時のことでした。私の目に、「整理収納アドバイザー」なる職業の人の映像が飛び込んできたのです。

私の仕事、これしかないじゃん!
と大興奮で、すぐにインターネットで調べて、講座に申し込みました。
翌日からは、図書館に行って、『片づけの本』を借りまくり、寝る間も惜しんで、読み漁りました。

昔から、インテリアや雑貨は大好きで、東京に上京したのも、「音楽の仕事がしたいから」と言うのは、親への建前で、本音は「一人暮らしがしたい」だったように思います。

だから、自分はきっともう十分に知識はあって、分かっているはず。そんな、生意気な気持ちで講座を受講にいきました。そして、多くの人がそう思うように、「収納の仕方」を教えてくれると思っていた講座は、全く違っていました。

「片づけの目的」だの、「物との関わり」だの、分かるような分からない話。さらに、物が捨てられない理由やら、家の中にある物を、「要る/要らない」だけではなく、4つに区分する考え方などなど、とにかく『片づけの理屈』を教えてくれる講座だったのです。

当時は、オンラインもなくて、資格を取るのに、広島まで泊まりがけて行かなくてはなりませんでした。それも、数度。あの頃は、「お金がない」を実践していたので(もちろん本当にそんなに無かったけど)、とにかく一発で合格してやる!という思いで挑みました。そして、無事にストレートで資格を取得することができました。

そこから、『片づけパンダ』という名前が決まり、当時の仕事を辞める日&開業届けを出すXデーを決めて、名刺に箔をつけるために、ファイリングデザイナーなどの資格を取得することを計画。とにかく何の迷いもなく、ポンポンと決めては行動していたように思います。

そして、もう一つ覚えてるのは、将来たくさんの人に「パンダさん」とか「パンダちゃん」って呼んでもらえてるイメージができたことと、もう一つ。きっと、最後は片づけの仕事はしてないんじゃないかなというイメージが降りてきたことです。

資格をとってもプロにはなれない

これも、超あるあるだけど、「資格さえ取れば仕事がある」と甘い考えでいました。もちろん仕事なんか来ません。当時は、片づけの仕事自体の知名度も今よりも全然低かったし、これは今もそうだけど、「片づけにお金を払うなんて」「片づけを人に習うなんて」「片づけくらい自分でできなきゃ」と、片づけを誰かに頼むことへのハードルは、私の想像をはるかに超えてました。

資格を取ったからってプロに慣れるわけではありません。お金をもらって始めてプロと呼べるのです。

それでも、不安になったり辞めようと思ったことは一度もありませんでした。友人の協力もあってランチ付きセミナー(当時2500円)を開催し、チラシを作って置いてくれるお店を探し、ブログを書いたり、Facebookで知り合いを増やし、何だかよく分からないけど、できそうなことは、手当たり次第やっていました。

そうこうしているうちに、少しづつ仕事は入ってきましたが、当初から「リバウンドしない片づけ」を目指していたため、とにかく新規のお客さんを集め続けなきゃいけないのが、まあまあ大変でした。

同業者の中には、ずっと同じ家のサポートに伺うタイプの方もいるし、そういうサービスを望まれてる方もいらっしゃるので否定をするつもりはありませんが、私は飽きちゃうのでムリです(笑)

空前のキラキラ女子ブーム

当時は、空前のキラキラ女子ブームでした。「ほら、私こんなに楽しそうでしょ」「ほら、私こんなに上手にできるのよ」「ほら、私こんなに・・・・」
とにかく自己ピール合戦。そして、その先に待っているのは、他者比較と妬みや恨み・・・・。

まっ、それは、私の勝手な偏見だとしても、当初から、私の中に一つの大きな疑問が湧いていました。こんな事やってて、「世の中から片づけの悩みが消えるんだろうか?」
その疑問は、資格講座の講師になってから更に大きくなりました。

最初に書いた通り、「整理収納アドバイザー」の内容は素晴らしいですし、今も私の片づけ(パンダメソッド)の根幹になっているのは間違いありません。

けれど、資格を取ったからと言って、全員の片づけの悩みが解決されるわけではないし、片づけの仕事をしたい人が増えても、結局、また皆んな同じように、仕事を取るのに苦労する。そんなことする人ばっかり増えても、結局、誰の悩みの解決も手伝えないんじゃないか?(ちょっと極端なんです)

その、キラキラアピールに注ぐエネルギーを、もっと片づけをサポートする方に傾けられる仕組みが作れないか?例えば、掃除屋さんのフランチャイズの仕組みみたいな。なんて事を漠然を考えるようになっていきました。

片づけと掃除は違った件

「片づけにお金を払うなんて」そんな、言葉を耳にタコができるくらい聞き飽きた頃、なんとか片づけをマニュアル化して、アプリ作って、誰でもサクッと片づくようなことができないかなあ、と妄想していました。

その一方で、クライアントさんのお宅の片づけで経験も増えていきました。

そんな中、ある時、とっても重要なことに気づいたのです。
それは、「片づけと掃除は違う」と言うことです。

もちろん、掃除もケースバイケースで、全く同じなんて事はないので、やる人の技量が問われると思います。が、基本的には、おまかせ作業で、ご本人が居なくてもできることが多い。

けれど、片づけは違います。
要る/要らない、捨てる/売る・あげる
など、すべても物の決定権は、クライアントさん本人にあるんです。

ましてや、それは
使っているか?使っていないか?
捨てるか?捨てないか?
なんて簡単なことではありません。

物を見れば、心が動きます。思考が動きます。

要らないと分かっているのに捨てられない
物が減ってもスッキリしない

そうなんです。片づけはただ単に、物の量とか場所とか、収まってるとか出てるとか、そんな3次元の物質社会の話ではなく、その人の、心や思考、潜在意識と顕在意識、右脳か左脳か、そして、「私は何者ぞ?」という、自分探しの旅みたいなものだったのです。

物がすべて教えてくれる

私は、心理カウンセラーでもなければ、コーチングを学んでるわけでもない。それなのに、片づけのコンサルをしていくだけで、クライアントさんの表情が晴れやかになり、声のトーンが上がり、かもし出される雰囲気まで柔らかくなる。
そんな仕事に、喜びと誇りを持ち始めた頃、ある事に気づき始めました。

それは、私が地元紙に書かせてもらっていたコラムを呼んで、お問い合わせをくださった方のお宅に片づけに行った時のこと。

伺うと、とても綺麗なお宅で、到着早々、お茶まで出していただきました。どうやら、お洋服の片づけでお困りとのこと。先ずは、「片づけのセオリー」通り、要らない物を取り除く作業。一着づつ、ご本人に確認していく。確かに、お困りと言われるだけのことはあって、決して少なくはない。しかも、そこそこのお値段がしそうなお洋服がたくさん。

高い物は捨てづらい

黙々と二人で確認作業を進めていくうちに、とある一着のジャケットに辿り着いた。聞けば、10年前に10万円出して買ったけど1回しか着ていないとか・・・。

高い物は捨てられない

このジャケットはそういった理由だけで、10年もの間、クローゼットに居座り続けていたのだ。他にも数着、そんなような服がありましたが、この機に、それらを友人に譲って、手放すことを決断されました。

その3日後、偶然、スーパーの入り口で、そのクライアントとたまたま会い声をかけてくださった。「すっごいスッキリしました!!」
(それ以来、一度もお会いしていません)

とっても嬉しかったのと同時に、
人が片づけに悩む理由は【物】だけなんだと、その時確信しました。

そして、「物」を通して見えてくるのは本当の自分。

片づかない家はない

世の中の人が、収納グッズや収納技に飛びついて、上辺だけの片づけをしたがるのは、実は、この『本当の自分』を見るのが怖いからなんだと思う。
けれど、ここから逃げている限り、「片づけの呪縛」から抜け出すことは、決してない。

逆を言えば、ここに本気で向き合えば、誰でも片づく。誰でも「本当の自分」に出会うことができる。

確かに、片づけは掃除のように、マニュアルはノウハウだけで伝えるのは難しい。人は皆んな違うし、同じ人でも、物との関係は一つづ違う。頭で分かっても物や場所が変われば、皆フリーズする。

けれど、向き合い方さえ身に付けば、誰でも、片づけの呪縛から抜け出せると、10年片づけを教えてきた確信している。

片づけは、「捨てる技術」でもなければ「収納のテクニック」でもない。
思考のベクトルの話なのだ。

これが世界標準になれば、「片づけの悩み」も「片づけの仕事」も世界中から消える日も夢じゃない・・かな。









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