発信するということの加害性を忘れない
えー2回目からそんなヘビーなタイトル行くー???
行きます、私が最近学んだこと。
大事な話なのでせめてタイトル画像は平和なやつにしようと思ってカメラロールから探しました、これは息子4才が描いた「おしりくっついてるの月」。
発信するとは何か
私の思う『発信』は、将来の夢や自分の活動、思想のために積極的に活用するSNSだけじゃなくて、自分では個人的な日々の記録、思い出と位置付けているつもりのものも含みます。
文章でも映像でも音楽でも、人に自分の考えや自分に起きたできごとをSNSを通して伝える行為は広義の『発信』と思う。
私がTwitterで日々を発信する理由
これ、今まではずっと「毎日の生活の中のキラカードだけ取っておくため」と答えていました。
うれしいこと、楽しいこと、感動したこと、感謝の気持ち、それだけで生活は終わらない。鉛のような感情を抱えてなんとか一日一日を「やっつける」時もある。
その中で、取っておきたい思い出だけあとから見返せる場所がほしいと思って記録を始めました。
それが少しずつ変わってきたのは、見てくれる人がだんだん増えて、自分の思ってなかった場所にまで自分の言葉が届くようになってから。
私は結婚したことがなく、両親の助けを借りて、働きながら、こどもをひとり育てています。「普通の」「一般的な」「多数派」の家族形態とはすこし違う。
その「すこし違う」私たちが、「ごく普通に」暮らしているというただそれだけの事実が、今まさに「ひとりで子供を育てることになるかも」と選択を迫られていたり、何かしら不安を抱えてる人達からすると「ちょっと安心しました」「ほっとしました」という風に受け止めてもらえることがあり、そういう声をもらうと本当にうれしかったです。
私は選択的シングルマザーというほどかっこいいものではなくて、はじめは全然結婚するつもりだったし、自分の選択に後悔したことは一瞬もないけど、この選択に息子は一切関係なくすべて私が決めたこと、こどもから父親を奪ったのは自分だということ、それは息子と両親に対してだけ永久に申し訳なく思っている人間なので、
「さぁみんなこっちにおいでよ!」とあえておすすめしたい意図は本当に全くないです。
でも自ら選択した人もそうでなく必要に迫られて選択した人も、とにかくパートナーがいない状態でこれから子供を育てるかもしれない人たちにはなるべく「こういうパターンもあるよ」と前向きな情報を届けたい。
大変なことしかないだろうな、不安しかないな、と毎日泣いていた過去の自分にも見せてあげられたらいいんだけど、それはできないからせめて「これから」の人たちに一例としてでも知っていてほしい。
届けたい人に届けるためには
「届けたい」人ができたことでバズりがちょっと怖くなくなり、マイナスの反応にもちょっとだけ耐性がつきました。ちょっとというのは、マイナスの言葉を見てはぁ………と重たい気持ちになるのではなくて、「あっ!不快!(スワイプ)」と思えるようになったということ。
かなり頑張ってもこれなので、逆に言うと「慣れ」で不快を消すことはできないとも言える。
毎度鮮烈に不快、すごく嫌、なんでわざわざそんなこと言うんだろう、その気持ちはこれからも消えないけど、それによって心を深く傷つけられるという段階ではなくなりました。
ただ、マイナスの反応でボコボコになった先に気づいたことはもうひとつあった。
私たちがただ普通に生活しているというそれだけの情報が、誰かを傷つけることもある
これは私がTwitterをするまで本当に知らなかった、考えが至らなかった点です。
例えば以前私は「大人3人で子育てしてるから」で始まるツイートをしました。ワンオペに苦しむ人からしたらこれももう傷つくよね。
「両親が」と書くだけでも親子関係に何か問題を抱えた人を傷つけるし、「息子が」と書いただけで何かつらい経験を思い出す方もいる。
その場合、私が「私はただ自分の話をしただけ」「あなたが勝手に見たんでしょ」というのはTwitterという場所においてはあんまり言い訳にならなくて、お目に止まってしまいすみません、これ以上あなたを傷つけないよう、お手数ですがブロックをお願いできませんでしょうか?という気持ちです。
(一度目はね、二度目からはだからブロックしてよー頼むよーと思いますが)
どうしてかというとTwitterは仕組み上、自分がフォローしていない人の言葉も、RTやら「〇〇さんがいいねしました」の通知やらで届いてしまうものだから、「嫌なら見ないで」がなかなか難しい媒体だと思うから。
公共の電波に載せているという感覚、それにより、この内容に傷つく人にまで自分の言葉が届いてしまうかもしれないという可能性は、覚えておかないといけないなぁといつも思っています。
いやいやいちいちそんな気にしてられないよ、しかも自分の発言の広がりを過大評価しすぎでしょ、とも思われると思うけど、
それでも私は本当にこのことをつねに自戒として考えています。
自分のためだけの記録というには私にはもう目的意識がありすぎる。届いてほしい人がちゃんといるので。
子育てというジャンルが持つ特質
さらに言うと育児というジャンルはもうひとつ難しい点があって、子供の成長には個人差があって当たり前なのに、人の話を聞くとどうしたって自分の家と比べてしまい、焦ったり自信をなくしてしまう瞬間があるということ。
離乳食、トイレトレーニング、言葉の発達、文字の読み書き、習い事、受験、たぶんどこまでいっても、今まさに私はこれに悩んでる!という問題を、軽やかにスキップするように乗り越えているように見えるご家庭の話はしんどい。
私で言うと、授乳、離乳食、トイレトレーニングは特に悩まず終わってしまったんだけど、
言葉の発達は内心とても心配しました。
あと今まさに!なことで言うと息子はまだひらがなが全部読めません。というか私が教えきれていません。年下の子がひらがな全部読めたり、アルファベットの練習をしている話を見かけると内心胸がひりひりする。
もうひとつ勝手にひりひりすると言えば、本当の本当の本当を言うと、もし普通に結婚していたら私は2人目がほしかったので、
下の子を授かりました!うまれました!というお話、本当におめでたくて素敵でうれしいと思った後にふとせつなさや胸のスーーーンという感じが必ず来ます。これは内緒ね。(いやめっちゃブログに書くじゃん)
じゃあ発信を諦める?
こういう風に「誰かを傷つけたり焦らせたり自信をなくさせたりしてしまうかも」という可能性があるなら、もう発信を諦めた方がいいの?っていうと、私はずっと考えた結果「いや続けます」という結論に至りました。
最初は「私が勝手にうちはこうですと書いてるだけ、みんなにそうしろなんてどこにも書いてない、嫌ならお願いだから見ないで」と思っていたけど、今まで書いてきたようにTwitterはそういうコンテンツではなく、私の言葉の広がり方にも責任を持たなくてはと思うようになったし、届けたい人もいるし。
大体私のツイートなんかさ、どう考えても一言一句練りに練って推敲を重ねてるに決まってるじゃんね、言い回し工夫しまくりじゃん。
これで「ただの個人の記録です〜」はもう無理があるよ。どう見ても誰かに伝えたい・届けたいと思っちゃってるもん。
私の場合はそれがパートナーを持たずに子供育てることになるかも、な人だったり、あとは「子供は持たないつもりだったけどかたゆまちゃんとすしくんを見てるとちょっといいなと思う」みたいなこと言って下さる方だったりする。
くり返すけど、子供まじいいよ!絶対みんな育ててください!できればシングルで!と思ってるわけでは全くないのでね。
というわけで今回は発信するということについて、私がいつも考えている話を書きました。
タイトル画像の「おしりついてるの月」、本当に突然おしりくっついてて笑ってしまう。
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