ステージを愛すること。猫道(猫道一家)について

猫道さんは、ポエトリースラムという遊びへ私の手を引いてくれた恩人だ。うふふ。

初めて会ったのはどこか覚えていないが、猫道さんの第一印象はハッキリと覚えている。
「口がうますぎて怪しい。裏がありそう」「なんか、うさんくさいかも…」

そう、私は本当に失礼な第一印象を胸に抱いていた。
だって、あまりにも人当たりが良すぎるんだもん。コミュ力があるし。おしゃべりする時も、順序立ててわかりやすく話す。

猫道さんが「うさんくさい」人ではない、とわかったのは、パフォーマンスを見てからだった。ああ、この人は汗水流してガチで演ってんだ。自分が見つけた、自分にいちばん合ってるスタイルで以って、ステージに殴り込みに来ているのだ。

猫道さんのパフォーマンスを見終わったとき、「何も残らない」感じがする。
これは、いい意味で、「何も残らない」。だって、パフォーマンスの最中だけは、物語をみせてくれている時だけは、夢中にさせてくれるのだから。終わっちゃったら、何も残らない。それは、ナマモノ芸術の宿命だ。

演劇でも、音楽ライブでも、朗読会でも。終わっちゃったら、何も残らないんだよ。私はそれに抗って、何か一つでも残ればいいと思っているけれど、それでも、やっぱり、残せるものはとても少ないと思う。
帰り道に、「あー…あんなことを作品をやっていたなあ」とぼんやり思い出す程度。
だから、猫道さんはきっとそのことを、周りの人よりも強く強くわかっていて、だからステージで全力なのだと思う。お客さんに焼き付けたい。何か残したい。…いや、そんなことを考えているのかはわからないけど。

猫道さんは演劇をやっていたんだって。私も演劇をやっていた。だからなんか共感するところが多いのかもしれない。
猫道さんはきっと、ステージを愛している。今・ここ・性の、ステージ。終わったらもう何も残らない。本もいいよね、絵もいいよね、だけどやっぱりナマモノの芸術が好きなんだろうな。だからライブという表現手段を選んで、続けているんじゃないだろうか。

だって、目の前に人がいて、その人が何か出し物をするって、ドキドキワクワクするんだよ。それを浴びたくてライブハウスに行くんだよ。
猫道さんを見るとき、ドキドキワクワクする。

猫道さんは、ストイックだ。動揺したり、ブレているのを見たことがない、私は。そこが魅力的だと思う。でも、ブレてるところ、見てみたいなあ。もう少し仲良くなったら見れるんですかね。
そういえば、猫道さんの失敗談で、「●●●と●●を●って●●●を●になった」の話はギャハハはって笑っちゃったけど。


猫道さんにカバーをお願いした片山さゆ里の曲は『森に死す』。

↑恥ずかしいくらい昔の映像。最初に茶番がありますが、そのあと歌うのが「森に死す」です。ちなみにこの時の私は2014年なので24歳です。

古い曲だ。そして、とても暗い曲。猫道さんは、「死」をどんなふうに見せるのかなと思ったのと、猫道さんは鍛錬の鬼なので、きっと、ちょっと難解かもしれないこの曲もちゃんと解釈してパフォーマンスしてくれるのではないかと期待した。
どうか、よろしくお願いいたします。

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猫道さんみたいに、一つのスタイルを突き詰めていくのは一つの憧れだ。
私は、ギターと言葉でできることをまだまだ探したい。ギターと言葉で、もっともっとまだ誰も見たことがないようなカッコイイことを探したい。
それで、表現の形が違ったとしても「カッコイイじゃん」って言い合えるような、そういう次元まで行きたい。売れたいとかそういうのじゃなく。
人が生まれてくる理由って、「その人を極めるため」なんだって。…ってことを、猫道さん見てると思い出すよ。


次回予告:
3/4(土)更新
片山さゆ里と解釈と上演について

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