3/2「活動終幕に向けて書ける限りの記録を始めます」
2013年から開始した「片山さゆ里」活動を今月末で終了するまで、なるべく毎日ここに、できる限り文章をつづることにした。
10年間の中での思い出や出来事や感情を記録しておこうと思ったのと、年明けにTwitterの本アカを削除してしまったので近況や生活の報告もかねて。
どれくらい書き残せるかわからないが、このnoteの最初の記事の「約束」にあるとおり、おそらく実在する場所や人物が多く出てくる。
私はそれらの場所、人物を基本的にすべて愛している。だから多少口が悪かったり悪意を感じても許してちょんまげ。
あと、どんなに筆がノっているタイミングでも、夜22:30が来たら強制終了して就寝へ向かうことを絶対のルールとする。
今日は、手始めに最近どうしてたかをおおまかに書く
最初に書いておきたいのは、元旦の地震に関して。
今年の元旦の能登半島地震について、多くの人に心配や配慮をいただいた。
いきさつと事実だけを簡素に記す(お気持ちはライブのMCなどで散々話した)。
・私は富山県出身で、当日の地震発生時は県内の実家にいた。海沿いではない。
・実母は石川県の人で、向こうには母の実家があり、親戚が石川県内でそれぞれ暮らしている。
・おそらく現地民はわかると思うが、富山と石川は、方言や地理や産業や交通網で「地続き」になっている部分が多い。
・私は加賀も能登も、石川県内のいろんな場所に記憶がある。
・富山・石川県内の家族と親族はみんな無事だった。
・2024年の1月3日、ソーシャルメディアの害を強く感じたため、いたって理性的な判断で、2012年から毎日ずっと使っていたTwitterアカウント(いわゆる『本アカ』である)を削除した。
・1月5日に東京へ戻った。心身の調子を大きく崩し、1月はたくさん泣いていた。
・でもその程度で済んだ。
それから色々ありながら過ごし、本日に至る。
ことばで書き尽くせないほど色々なことを考え、問いかけ、答えは出ないままである。
ご心配、お心遣い、本当にありがとうございます。
私は大丈夫です。
2月は、1日、始まったと思ったら瞬く間に29日になって終わった。
2月は2月で色々あった。アイドルのライブに行ったりして元気な日もあったが、つらい日のほうが多かった。
そんな中でもライブを何本かした。ライブは自分にとって明るい時間だった。
そういえば、リリースして以降、ライブの物販で最新作CD「片山さゆ里作品集⑤」が売れない回がない。今までで一番、ライブ会場で手にとってもらえている。
CD屋さんに委託販売もお願いして現在店頭に置いてもらっているが、そちらのほうはどれくらい人の手に渡っているのか全くわからない(4月に答え合わせがある)。
楽曲配信やらデジタルリリースやらサブスクリプションやら、そういうのが主流のこの時代に、半ば意地で、低予算でも、私がCDを作る理由のひとつは「手渡せる」からだ。
片山さゆ里の活動を終えたあと、サブスクやYoutubeなど、作品と活動に関するオンラインコンテンツすべてを消すか、今ちょっと迷っている。たぶん残すだろう。それでもCDを買ってくれる人には、本当に感謝している。
今週は、月曜にめちゃくちゃ落ち込むことがあり、これは現実逃避せねばと思い、レンタル漫画を30冊借りてきてひたすらフィクションの世界に没頭していた。
昨今の大ヒット作「呪術廻戦」をようやく読み始めた。今は14巻まで読了。渋谷事変で「野薔薇」が「真人」の必殺技を受けたところまで。続きは月曜から読む。
「夏油傑」が心変わりするまでのエピソードを読み、ああ、と思い出したのは
高校の同級生で、終末期医療に関わる仕事をしていたが精神的に限界がきて辞めたと話してくれた友人。
あと、京都校の「三輪」が「メカ丸」に語りかける「仲良くなりすぎたら、いなくなったとき辛いもんね」というセリフがあり、似たようなことを過去記事(3/9)で自分も思って記していた。
あ、そうだ
前述のとおり、地震をきっかけに、たくさんの人と繋がってたTwitterアカウントを削除してしまったが、その後一応、私的なことを投稿するアカウントは設けてあり、今はそこを見ていることが多いので、生存確認など気になったらここを見ていただけたら様子は確認できる。ちょっとまだ震災に関して繊細になっており、フォローは極限まで減らしている。どなたかにフォローされたらその人を「リスト」に入れて、元気な時はそのリストを追ってみんなの動向を眺めている。なるべく好きなものと明るい話をするつもりのアカウントである。活動終了までのライブ予定やその他の活動情報に関しては「片山さゆ里インフォメーション」を見ておけば大丈夫にしてある。
今日はここまで。
明日は、この10年でどうしても切り離せなかった『持病』とその経過・現状について書きます。書けたら。
寝ます