わたしの平和

先日、こんなことを書きました。

大きい戦争から小さな小さな戦争まで、世界中で毎日毎瞬、起こっています。
わたくしの目の前でも起きます。

そうなったとき、咄嗟にどちらが間違いでどちらが正しいかを判断してしまう。
冷静で、客観的なフリをして。

でも、わたくしの目の前で起こる戦争は他人が起こしているものではなく、
それは、

わたくし自身の中での戦争

なのです。
他人事とかそうじゃないとか、そういうことではなく
ただただひたすら、わたくしの中の映写機が外の世界に映っただけなのです。

涙が出てきます。
戦争を起こしているのは、誰かではなくわたくしなのです。
でもそれは、わたくしが「悪い」のではないです。
誰も悪いのではない。

映画の内容を変えたいのなら、出演者を動かすのではなく
わたくしという映写機に入っているフィルムを変えればいい。

じゃあ、どんな映像が観たいかな?

違った見え方考え方捉え方、それぞれの違いに思いをはせる
受けとめる
誰の事も自分の事も何にもジャッジしない
深刻にならない
明るく軽やか
強者も弱者もない
勝ち負けもない

そう。
みんながそれぞれ同じ歌に気持ちを寄せて
それぞれの個性を発揮して、仲間と協力し合った
あの日のあの時のような
あの空気 あの世界
あそこに戦争などなかったな
思い出すと喜びのあたたかい涙があふれてくるような世界

そういうフィルムに変えたい
だとしたら
今、わたくしができることってなんだろう

賛成も 反対も しない
ジャッジしない

他には??

***

わたくし、昨年、立て続けに人から嫌われました。
あなたのここがイヤだと言われました。
何も言わずに去って行った人もいました。
あなたが悪いわけではないけれど、とみんな言いました。
わたくしは、自分が悪いんだと思いました。
わたくしをイヤだと思うのなら、あなたの中ではわたくしが悪いのではないの?
だったらわたくしが悪いんだよね。
そんな風に思いましたが、ある時から、
わたくしは悪くない、もちろんみんなも悪くない、ご縁が切れただけ。
そんな風に思うようになりました。
そうしたらラクにはなりました。

でも今思います。
やっぱりね、わたくしもみなさんも、どこかで
自分が正解、自分が正義だと、思っていたかもしれません。
正解と正解が 正義と正義が 戦っていて
どうにかしてお互いを認めさせようとしていたかもしれません。 

でもそれは、お互いをあきらめたくなかったからかもしれません。
そんな時のやり方が、まだうまくできなかっただけかもしれません。
もちろんそれも含めてご縁というのだろうけれど。
そう思うと、去っていた友人知人のみんなに感謝の気持ちがあふれてきます。

結局、ご縁は切れたけれど、
次にこんなことがあったら、今度はどうすればいいのかな。
ご縁が切れるにせよ、繋がったままでいられるにせよ、
自分の正解を押しつけずに話をするにはどうしたらいいのだろう。
ご縁が切れたとしても、その時お互いに傷をつけ合わないで済むには
どうしたらいいのだろう。

その答えを、わたくしだけの答えを、探し続けて行こうと思います。
「ご縁」という深い言葉を簡単に使って逃げないで、
大事な人たちと、笑い合っていきてゆくために。

ジャッジをしないということの大切さをもっともっともっと
腑に落としていきたいと思っています。

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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