剥いたよ、今日も
今日のとらつばもいちいち感涙でした・・・。
1話につながったあの場面この場面、最初に見た時とは違う気持ちで見て
感極まり、新憲法13条14条に胸が熱くなり、とらちゃんの「(大黒柱なんて)ならなくていい!」と花江ちゃんの「みんなで柱になればいいのよね」に涙し、からの終わり間際の主題歌、からの1話で見た場面以降が始まり、来週へつづく。
カータールーシースーーーーーッッッ!!!
密度が映画レベル。
って、毎回とらつばの話題になっちゃうので今日はこのあたりでやめますが(苦笑)語りたいことだらけ。
脚本を取り寄せ中です。
DVD化したら買おうと検討中。
閑話休題。
ここ最近は
全自分受容・全自分信頼
を標榜しておりますが、上滑り感がありありありです。
lovemyselfも自己一致もあれもこれも上滑りなのはなんでかというと、
観念の洗い出しが生ぬるいからです。
呼吸をするように当たり前すぎる観念は気がつけない。
じゃあどうやって知るかというと
他人と交流すること、他人と話すこと。
これしかないなぁ、自分の場合。
それで最近も、
「あ!?あ、ああああああ???あれ?私、そんなことわかっていたのに
やっぱりわかってなかっ・・・・た・・・」
という案件がありました。
頭でっかちスピっ子の我はメンターやあの人やこの人の言葉を見聞きしてわかったつもりになってるけど
結局は
他人とのあれこれがあって
体験として知るというか
約束のタイミングで体感するしかないんだわ。
そんな感じで日々瞬間瞬間、自分の観念を洗い出して修正して行動するの繰り返しを延々していって
玉ねぎの皮を剥いて剥いて剥きまくる。
皮を剥くたびにわかることは、やっぱり現実は自分の投影だということ。
と同時に
我の宇宙だか人生だか運命なんだかの流れに逆らってもいいことないなとも思う。
矛盾しているようだけどそう思う。
真実や宇宙は矛盾だらけなのですね、うん。
そこは考えずに粛々と本当の意味で
全自分受容・全自分信頼の道を選んでゆきます。
剥いたよ、今日も、皮2枚くらい。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?