やってみたかった雑貨制作会社に入社
デザイン事務所を辞めてから
どこかないかな。と大阪まで範囲を広げて
社員のお仕事を探していた。
だけど、なかなか見つからない。
クリエィティブ専門派遣会社から電話がかかってきて、
「単発の仕事があるからいってほしい」
と依頼があった。
デザインと思いきや、郵便局の資格試験の監督業務だった。
えー、そんな仕事もあるんだと驚いた。
一日でおわる単発の業務で、郵便局の人たちが私と一緒に監督をしていた派遣のおじさんに礼をしてくださるのがこそばかった。
監督職でもなんでもないのに。
そのあと、
「1か月だけだから、携帯電話販売に行ってほしい」
とまた電話がかかってきて家電販売店の携帯電話ブースに派遣された。
急だったので、研修もなく(;^_^A
行ってみたらみなさん、携帯電話のプロのひとたちばかり。
まだガラケーの時代で、softbankやauもdocomoも扱わなきゃいけない。
1か月だけの仕事でそんなの覚えられないよね。
結局、呼び込みになった。
売り場の近くで 携帯電話新機種でてますよー
Docomoキャンペーンでお得ですよ
みたいなことをする。
お客様が立ち止まってくれたら、
先輩たちにつないでいた。
勝手に携帯販売している人たちみなさん、電話会社の社員さんと思い込んでいたのだが、話してみるとみなさん派遣だった。
派遣社員ばかりでここの売り場は作られているんだ。
だから、どこか、この電機屋の人っていう感じが薄いんだなと納得できた。
ここで、若い学生さんからおじいさんおばあさんまでいろんな人と話すことができて、面白かった。
学生時代のバイト以外で知らない方に話すことってあんまりないし。
人が少ない時は、とても暇で。
売り場のPOP見たり、雑巾がけしたり、チラシ整理したりして時間を過ごした。
その派遣が終わるころに求人雑誌で一つ気になった会社があった。
雑貨制作企画会社の求人に応募してみる
「雑貨制作企画」
と職種に書いてあり、経験よりもやる気重視のような言葉がそえてあった。
未経験でも正社員になれる可能性があるらしい。
未経験だけど、面白そうだし行ってみたい。
思ったら吉日、すぐに電話してみた。
面接の日時が決まり、会社に行ってみると社長は同年代の30代。
他働いている方もみなさん、30代前半だった。
身なりから、おしゃれな身にそったスーツ、ピカピカに磨かれた靴、バッグも高そうな雰囲気のするものを持った社長。
大阪弁の気さくな喋りもあったかそうな感じがする。
すぐに採用と連絡があり、こちらの会社に入ることになった。
雑貨制作って何するんだろう。
ほんとに未経験なんだけど私できるんだろうか。
ちょっと怖い気持ちも持ちながら、会社に入ったのだった。
人情味溢れるあったかい社員に恵まれた会社
社長がザ大阪人って感じの人で、良く話しかけてくれる。
ほとんど、出張などで会社にいないんだけどいるときは大きな声で
話しかけてくれた。
上司もみなさん、まこちゃんとか、呼びやすいように読んでくださる。
今までのところでは苗字で呼ばれていたから最初はこんなにフランクでいいんだろうか。と思ったけどすぐに慣れた。
仕事の内容は、雑貨企画デザインだけでなく海外や国内での生産もしていたので、商品の管理をする方や事務の方もいて少人数だけど覇気があった。
帰りは遅くなることが多く、終電ギリギリ最悪は泊まり込みもあった。
でも、定期的に社長が晩御飯食べに行こうと連れ出して下さったりして社員みんなで話す機会が多い会社で、みんなが一緒に働いている社員さんの様子を気にかけてくれた。
落ち込んでいたら、ランチに連れ出して話を聞いてくれる上司。
派遣では経験できないあたたかみ。
社員で働いた看板会社の時は、まだ22歳だった私には引け目があり溶け込めなかったけど27歳の今の私にはみんなの環には入れたことがうれしかった。
雑貨には、たくさんの手がかかっている
雑貨の企画は、ノベルティグッズや通販で販売するピンバッチやキーホルダー、バッグなどの雑貨だった。
私が印刷会社にいたことを認めて下さった社長は、
ノベルティグッズの提案書や社長が話してくれたことをまとめた企画書を書く仕事やチラシなどの印刷物の仕事を下さった。
そのうち、チラシや飲食店のPOPがメインになってきて、雑貨にあまり関われなくなり、寂しい気持ちがしていた。
ある時社長が
「中国の工場にいってこい」
と言ってくれた。
生産担当の社員さんと中国の工場に行ってこうやって物が作られているんだと肌で感じた。
日本の会社でデザイナーがデザインした絵を元に生産担当の方と素材のサンプルを持ちこみ、サンプル品を作ってもらう。
サンプル品がOKになれば、本生産し日本に送ってもらう。
だけど、サンプル品がなかなか、一発でOKにならない。
日本人とは違う感覚だからうまく伝わらない。
生産担当の方も、やり取りに悶絶していらっしゃった。
言葉は通じないんだけど身振り手振りで気持ちが伝わったりして、中国人も一生懸命やってくれている姿を見ることが出来た。
中国料理も普通の庶民のお店で食べさせていただいた。
味は美味しく、量が多かった。こんなにたくさんの量、いつもこの人たちは食べてるんだろうか。
帰り店を出たら、お店の外でざーっと食べ終わった食器を水で流している店員さん。油まみれの料理は取れているのだろうか。
日本だったら洗剤でしっかり洗っているだろう。
やっぱり、ここは外国だ。感覚が違う。そんなことを感じた。
生産できた物を段ボールに梱包して飛行機に積んで持って帰ったこともあった。船で運んでいたら間に合わないなどの理由があったんだと思う。
荷物の運び屋してるんだと思うとちょっとドキドキ。
仕事なんだけどデザイナーだからと机の前にいるだけじゃない会社が面白かった。
会社の中のお金の動きにシビア
楽しい面がいっぱいある会社だったけど、全員出席の会議があった。
そこでは、お金の話がメイン。
営業さんの報告からはじまり、デザイナーの番もある。
デザイナーだから売り先がありませんは通用しない。
担当しているお客様以外にどこに行こうと思うん?
どんな仕事を売りたい?
規模が大きい仕事をとるにはどうしたらいい?
質問責めだった。
「デザインだけで手いっぱいで、、、できません」
なんて言った時にはガンガン、責められ泣くはめに。
それが当たり前の光景になっていた。
会議が終わってから、フォローはしてくださるのだけど。
その時間が怖くてたまらなかった。
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