パソナと淡路島と週刊プレイボーイの記事
さて、先週月曜日発売の週刊プレイボーイ39.40号合併号の記事に、ちょっとだけ発言が取り上げられた。
とはいえ、そのわずかのために取材をされた時間は1時間以上に及ぶ。意外とこういうところ週プレはまじめだったんか(失礼)と思った。
私がその取材で話したけど紙面の都合上取り上げられなかったこと、またその取材やその後の関係者の発言や諸々情報で見えてきたことをここに記しておきたいと思う。
パソナのそもそもの立ち位置なぜパソナが淡路島なのか。それは創業者が出身だからということもあるが、兵庫県知事とも親密だったこともある。
その縁もあり、淡路島の活性化を考えることになった。このへんいろいろあるのだが。
そもそものきっかけとなった野島スコーラなど、廃校の活用というものは非常にお金がかかる部分でもある。どういう形であれ、学校というのはある程度大きく、既存の施設を導入するには大きすぎ、また中で何らかの作業をするには、個々の部屋は小さかったり、施設としては不十分だったりする(電気、水道、その他)。なので、活用のやり方としては限られている。電気やガスや水道をそこまで必要としないとなると、創作活動などしかない、というのはある程度他の可能性がない中で出てきたものだろう。
ただ、その創作活動を淡路島に誘導する中で、その活動が周辺に大きな効果を得られるようなビジョンがあったかが問題である。
これと比較するわけでないが、同じ兵庫県に、豊岡市がアーティストを支援する拠点づくりを行っている。
正確に言うと、豊岡のこちらは舞台芸術に関する活動を支援する拠点としての活用で、淡路島の方では廃校+レストラン+農業+アーティストの半農半エックス的な活動になるので毛色が違う。
しかし、豊岡の方は、ここを拠点に豊岡市内に多くの活動拠点、パフォーマンス拠点を広めていき、豊岡市内で大学まで作る構想が進んでいる。
まあ、この活動が市民の理解を得ているかというとそれはそれでいろいろ意見はあるのだが、但馬をアート(舞台芸術)のまちという形でやっていこうという姿勢に一貫性はある。
ところが、パソナの場合は、アーティストの活動はイベントとしてはそれなりに効果はあるようなものの、それを淡路島でどう定着させていくかということに対しての一貫性が見られない。それがニジゲンノモリであり、キティちゃんレストランだろう。
前の記事などでも書いたが、コンテンツビジネスというのは誘客には一定の効果はあるが、そもそもお金を要する。また、ここが大切だが「その土地のストーリーに相乗効果を発揮するコンテンツビジネスであれば問題ないが、そうでないものは流行らない」
これはこれで1回分の記事になる要素なのでまたの機会に書くが、「聖地巡礼」などの観光戦略は、その土地の風景や作品の内容が良いから成り立つだけであって、それとの結びつきがないコンテンツビジネスはただの「テーマパーク」でしかない。ということは、同じジャンルのUSJやディズニーランドとはどういう違いがあるのか。そもそも、淡路島が求めていたのモノは「テーマパークなのか」。今回の淡路島の拒否反応はこれに尽きる。雇用が生まれていないとか、パソナから見れば「雇用や経済効果に恩恵がない人のやっかみ」とかそういう話ではない。経済効果があっても、市民が求めていないものであれば当然拒否反応はある。
赤字になるにしろ、地域の郷土・歴史・文化を守ろうとする伝承館のようなものと、テーマパークではわけが違う。地域活性化のシンボルというのであれば、地域の歴史を活かしたり、文脈を活かした歴史を新しく作って行くものである必要がある。そうでなければこういう活動はまず地域から理解されない。その心理が分からないようであれば、パソナの今後の活動も上手くはいかない。国生みの島、伊弉諾神宮、、、淡路島にはそういう歴史がある。そして、震災という大きな経験もある。
週プレの取材で紙面都合上取り上げられなかったのは、「震災という事態がまだ多くの人の記憶にある中、兵庫県は率先して地域のつながり活動、震災の記憶伝承ということに取り組んできた。それが、いざというときの共助の精神をはぐくんでいる。淡路島は国内でも市民による地域のつながり活動が最も意識が高いといっていい。その一つとして、花と緑の運動は非常に大きな成果を出している。パソナの新しい住民はそこに溶け込めるだろうか。震災という記憶を伝承したり、いざとなったときの助け合いはできるだろうか。経済効果も大切だが、淡路島はそこがもっと大切だと思う」という内容である。
兵庫県のまちづくりの活動をそれなりの立場でそれなりに見てきた&地方創生に係る人間としては、パソナのように大手企業が地方に来ることは基本的に大きな意味があると思っているが、そのやり方に関しては非常に危惧を抱いている。願わくば、その危惧が杞憂になってほしいが、あの赤字を見る限りそうも言えないと思っている。