【かんがえること】 第2回 水島七恵の語ることについて考えること
廣木響平の考えること
元々パンクバンドのベーシストだと聞いて、それでもう水島さんが素晴らしいことは理解。ところが「あ、わたしはやっぱり音楽じゃない」と気づいてしまって、編集者になったというエピソードも大共感。
私は若い頃、バンドをしながらレコード屋で働いており、出来ることならばそこで人生が終わるまで過ごそうとしていた。レコード屋の採用面接の時に最近買ったレコードは?と問われ、マジカルパワーマコと答えたところ採用され、これから毎日、好きな音楽を聴きながら仕事ができる、という、初日こそはウキウキ気分であったが、現実は店内で爆音でかかる嫌音楽(下っぱなので先輩の趣味のレコードがかかる。それが本当に一つも良いものが無かった)と、中古レコードをビニールにピシっと綺麗に詰める、極めて単純なルーチン作業と相まって、徐々に気が狂いそうになり、このままだと音楽に触れること自体が嫌になってしまうと気づき、おそらく2番目ぐらいに好きな「本(あるいは図書館)」の世界に逃げた経緯がある。
ところが、この図書館の世界に入ってみたら20年経ってしまった。今は図書館建設の計画を作る仕事をしている訳であるが、バンドとかもそうだが、何かを人様に見せる、(あるいは使ってもらう、とか何でも良いが、他人からそれを良いものだと思ってもらう)という行為は、例えばライブハウスで演奏するなら、お客様からお金をとっている訳だし、図書館を建てるのであれば血税な訳であり、人々にとって、それに見合うエンターテインマント(byポール・ウェラー)として成立させなければ行けない。もちろんエンターテインマントだけではなく、その前提としてアティチュード、ノットスタイル(by ジョー・ストラマー)の問題もある。
そのためにはルーチン作業では生まれない、常に今よりも良いもの(今日来たお客さんが明日以降にも来てくれる)を考え続ける必要があり、そういう考え方が何かを創るということに生きるのだと思う。
ある視点から世界をうまく切り取り、くっつけて成立させるという、水島さんのやられている「編集」という仕事には、その感性が絶対に必要なのだと感じる。だからこそ、水島さんという編集者がかつてパンクバンドのベーシストだったということは極めて信頼に足るのだ。
さて、やっぱり図書館司書は一人一人の利用者に本を届けるために図書館というエンターテインメント空間にある本棚を編集=サーチ・アンド・デストロイ(byイギー・ポップ)しても良いのではないか?もっと思いを届けてはダメなのかな?と一人の司書として思ってしまう1時間だった(文章もパンク成分を高くしました)。
染谷拓郎の考えること
いま、とても大切な話を聴いている、と聴きながらもう1人の自分がその時間そのものをうれしがっているような経験。水島さんと対話した60分はそのように感じた。時間の捉え方、チームアップの話、編集の本質。どの話も、いつでもポケットに忍ばせて取り出したくなるような大切なものばかりだ。
特に僕は、この記述が心に残っている。普遍性をもちながら、個人の心の奥深くに刺さる場所になること。広いから浅いというわけではない。広いし深い世界がある。
これは、チームアップとリーダー(編集者)の役割を端的に表している。ディレクションの本質は、自分の口数が少なくなること。相手をよく観察し、必要なところだけちゃんと伝えること。水島さんとの対話からもう1年半も経ってしまったが、今でもこれができているかというと怪しい。常に意識したい。
いつだって何かを生み出すのは、過去にあったものを異質に組み合わせた結果なのだ。それを、どれだけ新しい価値を付け加えられるか。
図書館に落とし込んだときに、何がどうできるか。水島さんの言葉を噛み締めて僕たちは次の旅へ。