良い人(人間)を目指す理由
みなさん、こんにちは。
経済系のネット記事で漫画のチラ見を読んで気がついたことがあります。
私が2つの漫画を読んで驚き、感心したのが「良い人(人間)にならなければ、良い成績は残せない」といった趣旨の発言が記されていたことです。
2つの漫画は、一つはプロバスケットを目指す現代版スポ根漫画でした。もう片方は東大を目指すストーリーでした。
それぞれ違う分野ですが、主人公が成功を求めて普段はひたすら努力をするという点では似ています。
しかし、スポーツと勉学と相反する世界観であるにも関わらず最終的には人間性を高めなければ成功はおぼつかないということを教えている点は同じなんです。
私が学生の頃などは、失礼を承知で言うとスポーツ推薦で大学に行くのは脳みそ筋肉だからと笑いのネタにしていたくらいですし、世間も大方そのような印象を持っている人が多かったと思うのです。
「大男総身に知恵が回りかね」という言葉を引用する人も多かったと記憶しています。(この発想自体が、昭和的で前近代的な認識だったというのは最近になって気がつきました。まあ、今となっては負け惜しみの僻みだと自分でも重々承知しています。)
スポーツ科学という言葉が出てきた近年では、スポーツを科学的に分析する手法によって、アジア人でも他人種の人々と互角に競技をすることが証明されてきているからです。
話が脱線してしまいました。
勉学だけでなく、スポーツの世界でも人間性を高めないと成功を手にするのは難しいということを漫画を通して訴えている人たちがいるという事実が重要なことなんじゃないかと私は考えているのです。
特にスポーツだと、運動能力だけを追求すれば良いのではないの?と私のような運動音痴の頭でっかちの人間からすれば思うのですが、それじゃあ頭打ちになるよというのが現代のスポーツ界の常識なんだと思うようになったからです。
特に近年大活躍されている大谷翔平選手のインタビューや海外のファンのコメントをテレビのニュースで見聞きすると、上記に記したスポーツ選手でも良い人(人間)にならなければ成功はおぼつかないという教えは真実だと思うのです。
成功した人というのは、ほんのひとにぎりの人かもしれない。
けれど、それを目指す過程で良い人(人間)になるという気持ちは絶対に必要不可欠な要素になってくるんじゃないかと思うのです。
例えば、ピンチの時に似たような潜在能力のある人間が二人いたとします。
そんな時に、あなたが監督で誰を使ってピンチを乗り切ろうと考えますか?
有能な選手であっても素行の悪い人(人間)にチャンスを与えようと思いますか?思わないですよね。
それよりもまず同じ能力ならば素行の悪い人(人間)よりも、良い人(人間)でピンチを乗り切りたいと思うんじゃないでしょうか?
そこが幸運の女神の前髪を掴めるかそうでないかの分岐点になるんじゃないかと思うようになったのです。(中年になって今頃気づいたのか?とツッコミいれられそうですが、、)
いい年したおじさんが言うのもなんですが、「良い人(人間)になる」ということは成功したい人には必要最低限のことだと思うのです。
私の最近の座右の銘が、「良い人(人間)になる」です。
今日は、この辺りで終わりにしましょう。
最期までお読みくださって感謝します。
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