好きなコメディー
コメディーは好きなジャンルです。笑えるもの。軽いタッチ。ドラマでも漫画でもコントでも好きです。
ただ自分の中では基準、優劣があって、面白いと思うのはキャラクターたちが普通のもの。
「普通」というのはよくないですね。曖昧です。説明になってない。
平凡? 無個性? ありきたり?
うーん、なんか違う。
だいたい「普通」ってちょっと引っかかる言葉ですね。
「普通そうだよ」って言われると、
「そうなの?」「聞いてないよ?」「みんないつ教わったの?」と思う。
「みんなそうだよ」って言われるのと同じくらい突っかかりたくなります。
「普通そうだよ」「みんなそうだよ」
「いやいや、みんなってダレ」「普通ってナニ」「世間を味方にすれば恐れ入ると思ったら大間違いだよ!」
スミマセン、脱線しました。取り乱しました。
「普通」ってのはつまり、常識的って意味です。面白いと思うコメディーはキャラクターたちが常識的なもの。
でも「常識」ってのも曖昧ですね。
じょうしき【常識】
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。社会通念。
ここでも「普通」すか。
だいたい「健全」も「一般」も曖昧ですね。どんな基準?
「社会通念」てのもそれ、社会によって違うってことでしょ?
要はそういうことなんでしょう。「普通」も「常識」もコミュニティーによって違う。
国によって、地域によって、業界によって異なるし、学校によっても、家庭によってもバラバラ。その社会では当たり前でも他では通用しなかったり。
なので安易に「常識」を使う人、言いたがる人を自分は軽蔑しがちです(まぁ自分が非常識だからでしょうけど。よく言われましたからね。今でも言われてるかも)
いつの間にか自分に染み込んだものを、信じて疑えない人でしょう。「そんなの言わなくてもわかるでしょ」と。
なんだか雑さを感じます。だいたい「常識」とか「非常識」って呼ばれるものは他の言葉で言い換えできそうな気がする。なのにしない手抜き感。
こういう時に挨拶しないのは非常識→いやいや、それは礼儀を知らないだけで「無知」
このご時世でくしゃみする時あえてマスクを外す人がいる。なんて非常識→いやいや、それはただの「無神経」
また脱線しました。
要は「変なキャラが出てないコメディーの方がいい」ということです(最初からこう書けばよかった。ゴタゴタ書いたねぇ)
だって変人集めればそりゃ面白くなります。ボケ担当の芸人さん集めたバラエティー番組と同じ。笑える話になって当然。
でもそれはとても楽な方法と思うので、コメディーを見る時はそこを気にします。変人が出てないかどうか。
キャラクターの特殊な個性じゃなく、状況などで笑わせるのが好きです。本人たちは至って真面目なのに、はたから見るとおかしくてしょうがない。そう、みんなが真面目ってのがポイントかも。
面白いと思うコメディーは変人が出てなく、みんなが大真面目なもの(やっとできた!)
という条件で思い出すのは、アンジャッシュのすれ違いコントです。あれは好きでした。面白いのがいっぱいあった。
本人たちはマジなんだけど、誤解や成り行きでどんどん食い違う。そのさまを俯瞰する面白さ。
とても高度ですね。センスが。造りが。
自分は基本いろんなものがあっていいという考えですが、質の高低、上下というのは明らかにあるんだろうと思います。変人ばかりを集めたコメディーより、それを封印して笑わせようという方がずっと難しいし深みがあるし上品。
あのアイデアは秀逸でした。惜しい人をなくしましたね(いや復帰してる!)
渡部君のスキャンダルは詳しく知らないんですが、今後テレビのバラエティー番組で活躍するのは難しんじゃないかな。バラエティー番組って「素で勝負」の場だろうし。その素は誰でもほじくればたいしたことなくても、上辺のイメージが大事なんだろうし。
なので原点回帰、コント師としてがんばってほしいなぁと。今はYouTubeあるし、見たい人しか見ない(検索しないと辿り着けない)ようなメディアはいいんじゃないかな。
それにコントは虚構です。素がどうだろうと関係ない。
とは言えないかもしれないけど(スキャンダルがチラついて何やっても笑えないとか)
それは時間が経てば変わるのか。新たな露出を重ねればどうなんでしょう?
一度の失敗で終了、やり直しが効かない世界ってキツイですけどね。
でもまぁ、思うようにいかないもんでしょう。いろんな人たちで構成されてるのが世界だし。
それでも素と芸を切り離して見る人はいると思う。別物として評価する人。
コントは難しいのかな、相方のオオシマさんが忙しくなっちゃって。いや児嶋だよ!